11-25 冥土のメイド
腐臭漂う冥界の片隅で、腐った肉体の群れは生者に襲いかかる。
数は多い、だが圧倒的に力とスピードが足りない。
アスラはいち早く状況を読みとり、最初に向かって来たゾンビを迎え撃つ。
「フンっ!」
型も何も無い力任せの一撃を、腐った体の胸―――心臓部に叩き込む。
拳の威力を受けるには、腐った体は脆弱過ぎた。
体の内部で爆発が起きて、周囲に腐肉と骨と黒く濁った血を撒き散らす。
だが、アスラの拳の威力はそれだけでは止まらず、そのすぐ後ろに居た3体のゾンビを吹き飛ばす。
「亡者の餌とは片腹痛い!! この正義の化身、ジャスティスリボルバーを食えるものなら食ってみろ!!」
言いながら、更に突っ込んで来た5体のゾンビを殴り潰して肉片にする。
相手を怯ませる程の声量で叫んだのは、いつもの格好つけだけの意味ではなく、相手の物量に怯んだ様子を見せているパンドラとフィリスを鼓舞する為でもある。
アスラの声でハッとなった2人は、それぞれに武器を握って臨戦態勢に入る。
これだけの数の敵を前に戦う気を無くしていない者達を見て、骸骨のカチカチと剥き出しの歯を合わせて笑う。
「ははは、やはり生き残ろうと足掻く生者の放つ生命力は心地良いな」
「足掻くどころか、そちらの兵士を全滅させるつもりですが?」
「全滅? それは無理だろうな? ああ、いやいや、君達の力を過小評価しているんじゃない。ただ―――」
先程アスラの攻撃で飛び散った骨や肉片が、虫のように蠢いて腐葉土の中に潜り―――すぐさまゾンビが這い出して来た。
「ぁあん!?」
「彼等、ないし彼女等はすでに死んでいる。肉体は朽ちている故、どれだけ粉々になろうとも、再び繋ぎ合わされて蘇る。死んでいるのに“蘇る”と言うのもおかしいかな? くっくっく」
いくら倒してもゾンビはすぐさま再生して蘇る。
力も速さも大した事はない。だが、どれだけ倒しても倒し切る事はない。
今は万全の状態で迎え撃てるから良い。しかし、これが2時間後や5時間後…更には日を跨ぐ程の時間が経過した後だったらどうだろう?
永遠に戦い続ける事なんて不可能だ。食事や排泄、睡眠、休憩無しに動き続ければ、それこそ過労で動けなくなって終わる。
「だからと言って―――」
「諦める理由はありません」
フィリスとパンドラの意思は揺るがない。
その意思の硬さを証明するかのように、近寄って来たゾンビを魔法と魔弾で吹き飛ばす。
ついでに戦闘に参加出来ない白雪も、エプロンドレスの中で一生懸命応援している。
「その通りだ!! 正義の使者たる俺達が、こんな場所で死ねるものかよ!!」
殴る。蹴る。
氷や炎の魔弾が飛び、広範囲の風魔法がゾンビに襲いかかる。
だが―――数は減らない。むしろ、遠くから集まって来るせいで増えている。
アスラの圧倒的な打撃力でも、パンドラの魔弾でも、フィリスの魔法でも、ゾンビにとどめを刺す事は出来ない。
このままずるずると状況を続ければ、いずれは力尽きて群がる亡者に肉を貪られる未来が待つ。かと言って、ゾンビを指揮するハーデスを倒そうにも、今目の前にいる骸骨は本体ではない。あの骨の体を粉々にしたところで、本体は痛くも痒くも無い上にすぐに別の体が用意される。
この場から逃げると言う選択肢もあるが、土地勘が無い場所で動き回るのは悪手。遠くからゾンビが集まって来ると言う事は、どこに行ってもゾンビの群れが居る可能性が高い。
――― 逃げ道がどこにもない
「体力を温存しましょう」
パンドラの判断は早い。
自分達にとって時間の経過は敵である。だが、必ずしもそうとも限らない。
時間が経てば消耗し、敵が集まって来る。しかし―――もしかしたら、奇跡や偶然が何か起こって状況を動かしてくれるかもしれない。
そう、例えばそれは―――
(マスター)
銀色の髪の小さな少年の姿が記憶を過ぎる。
少しだけ元気が出る。
何時だってそうだ。何かが起こった時、そこには必ずあの小さな背中があった。
ハーデスは言った。もう彼は死んでいる、と。だが、死ぬわけが無い。何も果たせず、約束も守れず、命尽きる筈がない。
だったら、この場に―――助けに来てくれるのではないか? 今どんな状況に陥っていようとも…必ず。
「ピンク、何か策があるのか?」
「ありません」
正直な答えに、どんよりとした空気が漂う。
「パンドラよ、言いたくはないが嘘でも有ると言ってくれ…」
「そう言われても、この状況を脱する方法はありません」
無表情に無感情。
焦った様子も無くいつも通りに淡々と機械的に事実を口にする。
「ですが―――」
這うようなスピードで近付いて来たゾンビの頭を雷の魔弾で吹き飛ばし、その後ろから迫っている大きな団体を阻むように【拘束魔法】を放つ。
「ノンビリ待っていれば、マスターがそのうち来ます」
言われて「ぷっ、ははは」と珍しくフィリスが噴き出して大声で笑った。彼女も知っているからだ。絶望的な事が起きた時、まるでそれを紙屑のように破り捨てて現れるその背中を。
「なるほどな! では、“≪赤≫の御方”が来るまで、せいぜい不死者達とダンスでもして待つとしよう!」
「はい。それが宜しいかと」
「え!? 何!? レッド復活すんの!? 復活からの覚醒イベントなの!? くっそ、超羨ましいぞレッド!!! 羨ましいからレッドの出番が来る前に殲滅してやる!!!」
それぞれがやる気を出してゾンビの迎撃を再開するが、ただ1人白雪だけが元気が無い。アークから名前を貰った白雪は、妖精の種族特性として表層の意識がアークと繋がっている。その能力は距離や障害物等の物理的な概念を無視して交信される為、白雪だけはどこに居てもアークの状況を把握する事が出来る。
その白雪が元気が無いと言うのは、とても宜しくない話だった。
下手に皆…特にフィリスに聞かれると折角持ち直したやる気に水を差す事になりそうなので、小声で白雪に問う。
「マスターの様子はどうですか?」
「分かりませんの……ずっと呼びかけているのですけれど…」
パンドラの経験則で言えば、こう言う時はかなり良くない事が起きている。それも、冗談では済まないレベルの何かが…。とは言え、今は自分達が身動き取れない状況だ。助けに行く事も出来ず、無事を祈るしかない。
ただ、目の前の状況は―――冥界は悠長に構えていられる程甘くなかった。
「不死者は生者を憎むもの―――」
ゾンビ達の腐肉の壁の外側から、黒いマントの骸骨―――冥府の王ハーデスが呟く。声量は大した事は無い。だと言うのに、ゾンビの足音や擦れ合う音、アスラの打撃音やフィリスの魔法の破砕音を擦り抜けて鼓膜を震わせる。
「しかし、同時に焦がれるものでもある。かつて己が持っていて、今は無くしてしまった物―――生命」
ハーデスの言葉が呼び水となったのか、ゾンビ達が阿呆のように開けていた口から言葉が漏れる。
「……喰いたい」「…よこせ」「……再び…命を…」「もう1度…」「…苦しい」「いやだ…」「俺の命……」「体を……」「……肉を……」「乾く……」「よこせ……」「死ね」「そうだ…」「死ね」「死ね」「……お前達も…」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」
呪いと怨嗟の合唱。
耳にした者に容赦なく叩きつけられる殺意と悪意。
「このように、亡者達は君達の肉体を望んでいる。餌として望むか、己の新しい体として望むかの違いはあるがね?」
「つまり、さっさと俺達にくたばれって言いたいのか!!」
「いいや、違う」
突然、パンドラの背負っていたかぐやが動く―――。
幽霊のようにゆらりと背中から滑り落ち、パンドラが体を保持し直そうとする間もなくフワリと体が浮き上がる。
そして、起き上がったかぐやとは反対に、骨の体がガシャンッと音を立ててその場に崩れ落ちた。
「このような場に、意識の無い者を連れてくるなど不用心だと言っている」
秋峰かぐやの体でハーデスはクスッと笑った―――…。