11-24 冥府
50m以上の落下―――本来なら数秒間の浮遊時間がある筈なのに、実際に地面までの到達時間はほんの一瞬。
このまま地面に落下すれば、全滅は必至。
「くっ―――【浮遊魔法】!!」
1番下を落下していたフィリスが、全員の体を浮かせて落下を止めようとしたのだが…
…バシュンッとフィリスの手の平に展開されて居た魔法陣が飛び散って、詠唱が強制的にキャンセルされた。
「っ!!?」
―――【浮遊無効】
すかさず転移魔法に切り替えようとしたが、再び詠唱が無効にされる。
―――【転移無効】
明らかに落下して来た者を逃がさんとする意思。
せめて落下速度を殺そうと、次の魔法を詠唱しようとするが……地面はすでに目の前だった。
落下の衝撃に身を固くして目を瞑る。
「俺に任せろ!!」
アスラが“空中を蹴って”加速し、フィリスを追いこしてドンッと音と振動を響かせて一足先に地面に着地する。体勢を整える間もなく落ちて来たフィリスの体を横抱きにキャッチ。50m以上の高所からの落下速度を、キャッチと同時に全身のバネと加重移動で逃がす。
恐ろしく精密で繊細な動作。良くも悪くも超人的。
「おし! 次!」
「うわっ!」
フィリスの体を横にポイっと投げて、次に落下して来たパンドラと、その背中に背負われているかぐや…ついでにポケットの中の白雪の3人をキャッチ―――しようとしたら、思わぬ重量に潰された。
「ヘヴォィん!!?」
変な悲鳴をあげて潰されるアスラ。その上にドヤッと着地したパンドラ。
「ピンク……見た目の割に重くない?」
「普通です。それはそうと、助かりました」
重量級ボディーをアスラの上からどかしながら辺りを見回す。
「ここは、どこでしょうか?」
改めて状況確認。
落とされたのは、奇妙な洞窟の中。
ボンヤリと周囲の様子が分かる程度の光量があるが、決して明るいとは言い難い。まるで、光の通らない深い深い森の中に放り込まれたような視界の悪さ。
上を見上げても、先程まで居た筈の精霊の城の天井は見えない。どこまでも黒い闇が視界を遮っている。
地面には異臭のする腐葉土。壁には何かの骨が棘のように突き出て、融けた肉が張り付いてグロテスクなオブジェのようになっている。
そして何より異様なのは―――壁や地面、天井の至る所からパンドラ達を見張っている瞳。
青い瞳。金色の瞳。黒い瞳。小さい瞳。大きい瞳。産まれたばかりの瞳。老いて死んだ瞳。鳥の瞳。魚の瞳。獣の瞳。人間の瞳。
様々の瞳が、ギョロッと動いて全員の一挙手一投足を見逃さぬようにジッと見つめている。
「楽しい場所には見えないな?」
フィリスの言葉に頷く。
上を見上げていたアスラが、壁を登る事を諦めてこれからの行動を相談しようとした時―――。
「ともかく、脱出の方法を探して―――」
「生きた人間か? 珍しい客人だな」
嗄れた声と共に、通路の奥の方から黒いマントを羽織った骸骨が無防備に近付いて来た。
「骸骨…」「こ、恐いですわ……」「スケルトン!?」「骸骨と言えば……怪人組織の幹部と相場が決まっている!」
それぞれの反応を律義に一通り聞いてから、骸骨は独りで何かを納得したように「うんうん」と頷いた。
この場にアークが居たのならば、骨が動いていた事に対してのツッコミの1つも入れていたかもしれないが、そんな事を律義にする者はこの場に居なかった。
「“冥府”にようこそ、生者達よ」
「冥府…だと?」
「そう、ここは冥府。死せる者の辿り着く命の終着点」
芝居がかった動作でマントを広げ、骨をカチカチ震わせて笑う。
「それにしても、精霊の城の穴から人間が落ちてくるとは………これはまたどう言う事なのかな? まあ、君等を純粋な人間と呼称して良いのかは個人的に悩みどころではあるがね?」
「人に何かを尋ねる前にお前が何者だ骸骨!? 個人的に悪の科学者に改造されたドクロ怪人とかだと嬉しい!!」
「おっと、これは失礼。私は冥府を統べる王ハーデス」
王の名乗りに一瞬冗談を言ったのかと訝しんだが、あまりにも堂々と迷い無く名乗りに対しての反応を待つ姿を見ると「もしかしたら…」と言う気持ちが浮かんでくる。
「ふむ…突然王を名乗っても、信用はして貰えなかったかな?」
「王を名乗るには姿が貧相過ぎる。と忠告します」
挑発の様に聞こえるが、パンドラとしては事実を口にしただけの事でそれ以上の意味はなかった。
横に居たフィリスと、ポケットから顔を出していた白雪が首を縦に振って同意の意を示した。ただ1人、アスラだけがジッと目の前の骨の体を観察している。
「骸骨怪人よ。その体、もしかしてお前の本当の体じゃないな?」
「…どうしてそう思う?」
「お前が桁外れに強い存在なのは気配で分かる。けど、その骨の体からはなんの覇気も感じない」
「ほう、良い観察眼と気配察知だ。君の言う通り、この体は君達にコンタクトを取る為に急遽用意した粗悪品だ。しかし誤解しないでくれたまえ、別に君達と会いたくないわけではないのだ。ただ、そこは今私が居る場所からは少々遠いのでね?」
パンドラ達は知る由も無いが、ハーデスの本体は300km以上離れた場所から骸骨の体を遅延無しに遠隔操作している。その圧倒的な力たるや、現実を捻じ曲げる魔神にさえ匹敵し得る物である。
冥府―――死者の国の王は、間違いなく神の領域に足を踏み入れている存在だ。
「私が冥府の王である事は信じて貰えたかな?」
パンドラ達の答えに迷った沈黙を肯定と受け取り話しを進める。
「では、先程の質問に戻ろうか? まずは、君達が落ちて来たのは精霊の城からで間違いないかな?」
「はい」「ああ」「ですわ」「おう!」
「次に、何故精霊の城から落ちて来たのかな?」
どこまで話すか、まだ誰が話すかをアイコンタクトで決める。アスラが即座に「パス」と脱落し、次に白雪が「私には無理ですわ」とポケットの中に引っ込み、フィリスが譲ってパンドラが説明係になった。
「話しの始まりはマスターが―――」
10分程の時間をかけて事情を説明。
アークが魔神を宿している事から始まり、友人の復活の為に精霊王への謁見を求めた事、そして四大精霊の試練を受けている事。
パンドラが素直に事情を説明した理由は、その四大精霊の試練である。
現在の自分達の置かれた状況は、≪黒≫の大精霊がアーク以外の者にも試練を与えると言う事で連れて行かれた結果だ。と言う事は、「目の前に立つ冥府の王がその試練の関係している」と判断したからだ。
「なるほどな。魔神が精霊王に会いたいとは……また馬鹿な事を考える奴が居たものだな」
アークの事を貶されて、女性陣が殺気立つ。
「四大精霊…兎角≪黒≫の奴がそれを許すわけがない。お前の主人が≪黒≫に連れて行かれたと言うのなら、今頃殺されて居るだろうよ」
「否定します」「ですの!」「アーク様が死ぬものか!!」「レッド…お前の死は無駄にはせんぞぉお!!」
「ふむ? 魔神は死なないとでも思っているのか? だとしたら残念だったな。精霊の城には忌々しい“原初の火”が封じられている。あの黒き炎に触れれば、いかに魔神と言えども生きてはいられん。≪黒≫が本気で魔神の始末を考えたのならば、間違いなくあの炎を使うだろう」
原初の火―――七色教に伝わる伝承の1つ、『焼け爛れた枝』の話の元になった火。
かつて、冥府を包み込みその全てを無に帰した“種撒く者”が落とした究極の火。
ハーデスは決して口にしないが、1度冥府の全てを壊された原初の火と、それを封印して冥府への牽制としている精霊は憎悪の対象だった。
「それともう1つ、君達には非常に残念なお知らせだ」
骸骨がマントを翻して骨の拳を突き上げる。すると、それに呼応して地面や壁から手が生えてくる。
明らかに腐っている腕……今にも崩れ落ちそうな程ぐずぐずになった腐肉の腕。腕が苦しむように空中をかいて、腕の先に有る肩を、体を、頭を地面から引っ張り出す。
「ゾンビ…」
3秒も経たぬうちに、パンドラ達を囲む500体以上のゾンビが現れた。
「精霊が人を冥府に落としたと言う事は、君達は亡者共の餌にされたと言う事だよ」