10-27 魔神と魔神
音も無く世界がひび割れる。
見渡す限りの雪景色にガラスのようにひびが走り、その隙間から不気味な青い光が漏れる。
水野の全身に、神の領域の足を踏み入れた証である青い刻印が浮き上がり、黒かった瞳が深い青色に変化する。
「我は≪青≫」
知ってる。
「原初にして究極」
知ってる。
青く変色した瞳が俺を捉える。しかし、その目からは何も感じない。さっきまでは確かに見えていた怒りや殺意も、その青い視線には何も無い。
無感情で……無表情。初めて会った時のパンドラを彷彿とさせる程の感情の無さだった。もしかして、俺達も魔神になって居る時はあんな感じになってたのか? 全然自覚ねえな。
「おい、一応訊くが水野としての意識は残って居るか?」
「…………」
華麗にスル―された。
馬鹿野郎が…! 魔神に意識を食われたか…。
水野浩也の人格はベースにあっても、コイツは異世界人の水野浩也ではない。ただ、魔神に囁かれるままに破壊衝動に身を任せ、その力を振るう怪物だ。
「ふぅ……」
吐いた息が、周囲の冷気に触れて白くなり広がる。
正直、水野が魔神になった事に驚きはない。一度魔神になってから、妙に他の魔神の気配に敏感になった。だから、近くに居る水野の元に迷わず真っ直ぐ来る事が出来たし……コイツの内側から感じる魔神の力が、やたら大きくなっているのも直ぐに気付けた。最悪の展開として、今目の前にある状況も考えていたから驚きも焦りも無い。
魔神相手なら、パンドラ達を置いて来たのは正解だったな。
……とは言え、これはどうしたものか? 魔神の相手は魔神でしか出来ない。そこは分かっている……けど、どうする? 俺が魔神になる為には、ロイド君と精神を接続しなければならない。
………また、ロイド君に無理させるのか? 戦う為には、魔神にならなければいけない。だが、魔神になればロイド君に大きな負担を強いる事になる。
幸い、水野は―――いや、≪青≫の魔神は動かない。だが、一度踏み込まれれば、コッチは反撃出来ず、相手の攻撃を無防備に受ける事になる。
迷っている時間はない。
死にたくないならやるしかない。けど―――くっそ!!
――― 迷わ…ないで…
え…? 今の声…ロイド君?
――― 戦…って……下さ…い
何言って…?
カチンッと歯車が噛み合うように、意識が繋がる。俺の意思を無視して、強制的に―――…。
口が勝手に動いて、言葉を並べ始める。
「“烈火の如く―――”」
ダメだ!
「“灼熱の如く―――”」
止めろ!
「“世界の全てを赤く染め上げる”」
その先に進んだら、君の精神がもたない!!
「“我に力を”」
――― 【オリジン:赤】と接続します ―――
世界のひび割れが更に広がり、≪青≫の光に俺の≪赤≫が混じる。
全身に魔神の刻印が広がる。途端に、全身を震わせるような声が聞こえた―――。
『壊せ、世界を! 憎め、命を! この世界を許すな! 全てを無にせよ!!』
意識が―――破壊衝動に引っ張られる…!?
初めて魔神になった時よりも、明らかに意識を引っ張る力が強い。それに、心なしか声が左手……刻印の消えなかった部位から響いている気がする。
そうか…これが、ルナの言っていた、暴走の危険性が増すって事か…!?
無理矢理手を引かれるような強制力ではない。そうする事が当然だ、それが正しい事なんだ、そんな甘く囁く様に破壊衝動が俺の足を意識の奥に引き摺り込もうとする。
くっそッ! ふざけんな…!! こんな場所と状況で意識囚われてたまるかっ!!
足を掴む破壊衝動を振り払い、意識の奥に押し込める。
ヨシ、大丈夫だ。これならやれる―――。
ふと、違和感。
あれ? 今こうして思考しているのは“俺”だ。
魔神になったのに―――ロイド君と意識を繋いでいる筈なのに、今の“俺”は阿久津良太のままだ!?
確かに前に魔神になった時も、俺の意識が前に出て主導権を握って居た。けど、それは≪赤≫の持ち主であるロイド君が俺に譲ってくれていたからだ。
魔神の力は確かに発動している。なのに、繋がっている筈のロイド君の意識と記憶だけが、その過程でどこかに転がり落ちてしまっている―――!
クッソ、がぁっ!!
どう言う状況なのか分からない……分からないけど、凄まじく今の状態がロイド君にとってマズイ事は確かだ!!
ぁんのクソガキ! オメェが居なくなったら、全部意味ねえだろうがっ!! 何無茶してんだよッ!?
……あー、クソ、文句は後だ! 魔神モード解除するにしても、目の前の≪青≫の魔神を放置する訳には行かねえ!!
――― 速攻でぶち殺す!!
出し惜しみ無しで行く!
――― 【オリジン:赤】より一時的に【空間認識】【生命感知】【身体能力限界突破】【パワーペネトレイト】【全属性究極耐性】【属性超強化】【超速反応】を取得 ―――
≪赤≫の原初から必要なスキルを引っ張り出し、戦闘準備が整える。
お互いに合図は無い。だが―――走りだしは同時。
転移と見間違う程の、自然界では存在しえない速度での接近。その瞬きにも満たない時間の間にヴァーミリオンを抜―――手が止まる。
【事象改変】で抜剣を無効にされ―――ねえっつうの! すぐさまこちらも【事象改変】で現実を上書きし、止まっていた手を動かしてヴァーミリオンを抜く。
音よりも早い激突。周囲に熱と冷気の混じった衝撃波が広がり、地面に積もっていた雪をまとめて吹き飛ばす。
刃を合わせたまま睨み合う。
――― 力は互角
いや、それは当たり前だ。お互いにオリジンから能力強化を好きなだけ取り出せるのだから、魔神同士の戦いはステータスがカンストしている事が前提だ。
問題なのはそこから先……いかに相手の【事象改変】を掻い潜って肉体にダメージを負わせるか。生半可はダメージを与えたって、オリジンから回復の異能を引っ張りだせば全快は一瞬だ。
魔神を仕留めるつもりなら、一撃必殺だ! 首を飛ばすか、心臓をぶち抜くか…どっちにしても―――
「どう攻めたもんかねっ!!」
刃の押し合いを力を緩めて自分から崩す。……だが、≪青≫は慌てない。いや、本当は慌てたのかもしれないが、少なくても表面上は無表情なままだ。
左側にゆるくステップしながら、位置取りをかえつつヴァーミリオンを振る。狙いは、腕の無い奴の右側―――!
なんの躊躇も無く首を落としに行く。
が、また自分の意思に反して動きが止まる―――チッ、【事象改変】が万能防御過ぎるな…自分で使うのと、相手が使うのではやっぱり印象が変わる。
俺の一瞬の停止の間に、バックステップでコチラの間合いから脱出。こっちもすぐさま現実を書き換えて“攻撃無効”を無くす。
焦って無理な攻め方だったな……少し反省。相手は腐っても、1人で世界を滅ぼす力を持つ魔神の一柱。力押しじゃ首は取れない…攻め方も受け方も、もう一工夫しないとダメだな。
「我が眷族達よ」
魔神同士の戦いを気にせず降り続ける雪を吹き散らし、3つの炎が地面から噴き上がる。
炎から出て来たのは、本来の姿になったエメラルド達。今回は始めから全開で、出し惜しみ無し。……と言うより、魔神相手に省エネの姿だと冗談なしに瞬殺される。
「主様、我等をこの姿でお呼びになられたと言う事は…」
執事姿のエメラルドが、言葉を切って俺が向き合っている≪青≫の魔神に目をやる。
「今回は、お前達にも頑張って貰うぞ? 前回の雑魚を踏み潰すような楽な仕事じゃない」
「お任せを」
ペコリと綺麗なお辞儀をするエメラルド。
後ろに居た神龍の姿のサファイアは、俺の敵と見るや否や今すぐにでも飛びかからんばかりに≪青≫を睨んでいる。
ゴールドだけが、状況を理解しているのかいないのか、メラメラと燃える体をスリスリとすり寄せて甘えてくる。仕方無く、視線は≪青≫に向けたまま軽く炎の体を撫でてやると、いつも通りに目を細めて尻尾を振る。