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愚者の始まり・1

 目を閉じていても分かる。

 瞼を射すような暖かな太陽の光。地元がコンクリートジャングルな俺には嗅ぎなれない土の匂い。子守唄のように心地良い風と川のせせらぎの音。背中に感じる柔らかな草の感触。

 気持ちいいな。なんだか、春の陽気に干された布団になった気分だ。このままずっとこのまどろみの中にいたい。

 よし、眠りの海にレッツダイブ。


「ロイド!」


 と思ったらすぐ傍で大声が。そして体が揺すられる。

 勘弁して下さい。後5分で良いんです放置しといて下さい。

 って言うか、だからロイドって誰やねんって。……思わずエセ関西弁でツッコんでしまった。


「ロイド! ねえ、ねえってば! 起きてよ、ロイド!」


 ユサユサユサ。

 ああ、もう。はいはい起きます起きますってば!

 重い瞼をゆっくり持ち上げる。

 最初に目にしたのは空。見ていると、もう何か仕事とか勉強とか義務的な事をするのがバカバカしくなってしまうような雲一つ無い空。

 綺麗な空だな。空を遮るビルもなく、視界いっぱいに広がる青。


「ロイド!?」


 女の子が俺の顔を覗き込んでいる。

 赤茶の混じった金色のショートカットの髪、今にも零れそうな程涙を浮かべた少し垂れ目な優しそうな瞳。

 誰だ? 見覚えはない。

 外国人の見た目の年齢は良く分からないが、多分俺よりもちょっと下くらいかな?


「ロイド、大丈夫?」


 さっきからロイド、ロイドって…これ完全に俺に向かって言ってますよね?

 人違いじゃないでしょうか? 俺はそんな外国人風な名前じゃなく、阿久津良太という面白味のない純正日本人なんですが。


「ロイド…?」


 俺が寝転んだまま何も答えないでいると、心配になったのか女の子の顔が曇る。

 焦った。

 見ず知らずとは言え女の子にこんな顔されて気分が良いわけがない。とりあえず返事はしておこう


「ああ、大丈夫……です」


 見た目は年下っぽいが、一応初対面なので敬語で話す。

 女の子は俺がちゃんと返事をした事で一瞬安心した顔をしたが、すぐに俺の様子に首を傾げた。


「えっと、立てる?」

「え? ああ、多分大丈―――」


 言われて立ち上がろうと地面に手をついてようやく気付く。

 柔らかくて冷たい土の感触。手が、足が、体が在る!

 生きてる!?

 とりあえず、お決まりとして自分の頬を抓ってみたらシッカリ痛かった。そして、女の子から若干「何やってんだコイツ…」な目で見られた。まあ、それは気にしないでおく。

 どうやって助かったんだ俺!? あの状況で助かるって、まさに九死に一生。いや、この際どうやって助かったのかはどうでも良い!

 カグも無事なのか!?

 そして、辺りを見回して最初に口をついて出た言葉は。


「どこだ…ここ?」


 草原が広がっていた。

 人工的に植えられた芝生ではない。瑞々しく生命力に溢れた草花が、視界いっぱいに生えており、それを横切るように小川が流れている。

 さっきまで歩いていた筈の街並みはそこには影も形も無い。高層ビルもマンションも、ファミレスもコンビニも、忙しなく行き交う車も、何もない。代わりに目の前にあるのは、草原の向こうに険しそうな山や、草原以上に広そうな森。

 なんだ、これ? なんの冗談だ?

 一瞬、自分が本当に頭がおかしくなったのかと疑ってしまった。

 落ち着け、俺!

 冷静になれ。俺は阿久津良太。市立の高校に通う高校2年。家は東京都八王子。父親は証券会社で働くサラリーマン、母親は市役所で働く公務員、兄弟はなし。隣の家に住む秋峰かぐやは俺の幼馴染で、小学校から高校に入った今でも同じ学校。得意科目は体育と現国、苦手科目は数学と英語。

 よし、大丈夫。記憶はちゃんとしてる。俺が突然頭パーンってなったわけじゃなさそうだ。……いや、トラックに撥ねられて物理的に頭パーンってなったかもしれないけど。

 そっと自分の頭に触れる。

 大丈夫、頭から脳みそがデロリンしてるグロテスクな状態ではない。特に傷らしきものも発見できなかったし。

 ホッと一息。

 ……アレ? 俺の髪ってこんなにチクチクした髪質だっけか?

 ついでに体の傷も無いか確認しておこうかと視線を落として気付く。

 なんだこの服と靴…? 学校帰りの事故だったから、俺が制服だったのは間違いないよな。やたらゴワゴワする…なんの布だ?

 服を手で触って感触を確かめたところでもう一つ気付く。

 ――― 手が白い。

 いや、日焼けしてないとかの白さじゃなくて、日本人…と言うか黄色人種ではありえないくらい肌が白い。

 それに、気のせいか手のサイズが若干小さくなっているような…。


「どうなってんだ、コレ…?」


 五体満足で居る事を単純に喜んでいたが、なんだろう…なにかおかしい。

 背中を冷たい汗が流れる。


「ロ、ロイド…? 大丈夫?」


 不安そうな声。

 おっと、そう言えばこの子の事もあったっけ。とりあえず根本的な確認をしておかないとな。


「えっと、誰……ですか?」

「…え?」


 表情が一瞬消える。

 あ、ヤバい、コレ泣く! と思ったら。


「ちょっと! まだ寝惚けてるでしょ!?」

「いででででっ!」


 怒って耳を引っ張られるとは予想外でした。

 さっきまで泣きそうな顔してたのにどうなってんのこの子!?

 このコロッと態度が変わる感じ、うちの幼馴染を彷彿とさせてくれる。


「私が分からないなんて寝惚けるにしても限度があるわよ!? まったく、いきなり倒れるから心配したのに! あー損した!! そこの川で顔洗ってちゃんと頭起こしてきなさいよっ!」

「痛って! はい、スイマセン…行ってきます…」


 なんで初対面の見ず知らずの女の子に、耳を引っ張られて怒られてるんだろう。しかも多分年下やないですか、どうなってんの。まあ、暴力に屈して下手に出てしまうのは長年幼馴染に虐げられた事による条件反射として流すとしても。

 とりあえず、これ以上怒られないうちに言われた通りにすぐ近くを流れていた小川に向かう。顔を洗ったところであの子を思い出す事なんてないけど。だって、そもそも知らないし…初対面ですし。

 あー、それにしても耳痛い…。まさか、あんな国民的ループ時空アニメの姉弟みたいな事を自分がされる日が来るとは。

 

「はぁ、ホントにココどこなんだろうなあ…」


 山の方から一直線に流れてくる小川、植物や虫たちの楽園のような草原、陽の光をめいいっぱい浴びて育つ森の木々。

 テレビや写真でしか見たことがないような、力強く美しい自然のありのままの姿。

 日本なのかどうかさえ怪しい。外国…なのかな? 

 でも、あの事故が起きた後に何がどうなったら俺は外国で目を覚ますなんて事になるのかがまったく分からない。

 あの子に事情話して、この場所がどこなのか確認して、それに電話借りて家に連絡してみよう。あ、カグの安否も確認しねえとな。

 そんなことをボンヤリ考えながら小川に辿り着く。

 おー水綺麗だなー。底がくっきり見える。清流を好む魚とかも居そうだな。

 ……にしても何だ? さっきから視界に妙な違和感を感じるんだが…なんだろ…? まあ、いいや、とりあえず言われた通り顔でも洗って一度頭をスッキリさせよう。

 頭の中をグチャグチャとした思考が回っていたので丁度いい。

 川を覗き込む。


「……あ、こんにちは」


 さて、俺は今、誰に挨拶したでしょうか?

 答えは、川の中に居た銀色の髪の少年です。

 一度体勢を起こして深呼吸する。オー、ビークールだぜブラザー。よし、変な汗と一緒に変な外人のノリが出た気がするが大丈夫、許容範囲だ。

 もう一度川を覗き込む。

 やはりそこには銀髪の少年が、俺をジッと見つめていた。その顔はかなり幼い印象を受ける。多分さっきの女の子と同い年がちょっと下くらいと思われるが、やはり外人の年齢鑑定に自信はない。

 何を言うでもなくジッと俺を見つめる銀髪の少年。

 そこ苦しくないですか? と問うバカな真似はしない。

 俺は知っているからだ。

 何を?

 水の中にその少年が居るわけではないと言う事を、だ。

 その少年は水に映されているだけ。では、今水に顔を映しているのは誰か?

 1人しかいない。

 俺である。


「俺が誰だよッッッ!?」


 俺は先ほどあの子に「誰だ?」と問うたが、それより前に自分自身が誰なのかを問うべきだった。

 あ、ちょっと哲学っぽい事言ったかも…。

 いや! いやいやいやいや! 現実逃避してる場合じゃねえよ!?

 マジで誰だよこの顔ッ!?

 川の流れで少し歪んで見える銀髪の少年の顔。いや、まあ、俺の顔なんだが、とにかく恐る恐る自分の顔に触れてみる。すると、映っていた銀髪の少年もまったく同じ動きで自分の顔に触れる。

 マジでこの銀髪の幼顔が俺、なのか…?

 そこでふとさっきあの子が呼んでいた名前を思い出す。


「ロイド…? もしかして、これがロイド…か」


 別人になったんじゃなく、別人の体に俺が入ってるって事なのか!?

 どゆこと? 説明プリーズ。

 いや、とりあえず落ち着け俺。焦ってもどうにもなんねえ。

 今の状況だけで仮説をたてるなら、トラックに轢かれて死んだ俺の魂が、このロイドという少年に取り憑いた、って感じかな。

 自分でもバカバカしいストーリーだとは思う。思うのだが、実際にまったく別人の顔がそこにある訳で…もうこりゃ無理やりでもなんとか納得するしかないだろう、という話で。

 悪い夢であって欲しいという希望を込めて手を川に突っ込む。

 冷たくて、緩やかな川の流れが心地良い。リアルな感覚が、コレが現実なんだと俺に告げているようで涙が出そうになった。


「くっそ…ふざけんなよ…!」


 勢い良く水を掬って顔を洗う。

 目を閉じたまま顔の滴が落ちるの待つ。

 悪い夢ならコレで覚めて欲しい。頼むから……!

 目を開けば、そこにあるのは当然のように受け入れがたい現実が、銀色の髪の少年となって映っていた。


「……冗談だろ………なんだよ、これ………」


 水に映る少年の顔が泣きそうに歪む。

 その顔を見るのが辛すぎて、水面を力任せに叩いてその姿を散らす。が、当然のように川の水は元通りに銀髪の少年の姿を映し出す。


「…クソ! クソ! クソ! クソッ!」


 水面に映し出された姿を叩いて何度も何度も散らす。何度も何度も、無駄だと分かっていながら。

 ………なんで俺がこんな目にあってんだよチキショウ…。

 

「………くっそ…」


 最後に強めに水面を叩く。バシャリと跳ねた飛沫が顔を濡らす。

 目を閉じて一度深呼吸。

 …泣いて騒いだらちょっと落ち着いた。

 泣き喚いたってどうにもなんねえ。自分が別の人間の体に入ってるのは……理解はできないが受け入れよう、そうしないと話が進まない。

 とにかく自分の置かれた状況をちゃんと確認して、助けを求められる人を頼る。俺1人で考えるのはキャパシティを超えすぎてて無理だ。第一に思いつくのは両親だが、こんな意味不明な状態をどう説明すれば良いだろうか? 今頃俺がトラックに轢かれた知らせを受けているかも知れないし。その点で言えばカグもか…俺アイツの目の前で轢かれたからな。

 死んだ人間の中身(魂)ですって、どう説明すればいいのかな? そんなの考えたこともねえよ。俺だけが知ってる事とか言えば信用してもらえるかな。

 なんにしても、現在地と、この元の体の持ち主のロイド(…でいいのかな)について話を聞いてみてからだな。

 川の水を掬ってもう一度顔を洗う。…涙の後とか残らないように念を入れてもう一度洗う。

 そろそろ戻るか。

 川に映った見知らぬ顔に言い聞かせるように頷くと立ち上がる。

 あ、さっき歩いてる時に感じた違和感の正体が分かった。視界がいつもより低い。

 …そりゃそうか、別人の体なんだから。

 多分この体150ねえな、カムバック俺の170cm。

 頭の中で、親にどう説明したものかと考えている間に女の子の待つ元居た場所に戻る。


「スッキリした?」

「むしろモヤモヤした」

「どういうことよ…」


 そういう事です。


「で、ちゃんと私の事思い出せた?」


 呆れたような顔。多分、俺…いや、この体の本当の持ち主であるロイドが首を横に振るなんて欠片も思っていないのだろう。その信頼を踏みにじるようで心が咎めるが「うん」と頷く事はできない。

 一瞬迷ってから首を横に振る。


「ちょっと! もうその冗談はいいから」

「………」


 俺が無言のまま真っ直ぐな視線を受け止め切れずに俯くと、表情が不安で曇ったのが雰囲気で伝わる。


「……ねえ? 冗談よね? 私の事からかってるんでしょ?」

「………ごめん」


 謝るのもなんだか違うような気がしたが、それ以外の言葉がでない。

 顔を見るのが怖い。

 俺にとっては赤の他人だが、この体…ロイドにとってはどうだったのだろうか? もしかしたら代えがたい大切な人だったのではないか。

 この子を悲しませるのは、他人様の人間関係を俺が勝手に壊しているようで……ようでって言うかそのものズバリか。言ってしまえば、人の体を使ってこうして話している時点ですでに関係を壊している行為なわけで…。


「私だよ、イリスだよ!? 本当に分からないの!?」


 俺の服の袖を掴んで必死に言葉をぶつけてくる。勢いに押されて顔を見ると、ポロポロと大粒の涙が止め処なく瞳から零れ落ちていて、その一滴一滴が見えない痛みとなって俺の心に刺さる。

 ……精神的な痛みってのは、どうにも耐えられねえな。でも、本当に痛い思いをしてるのは目の前で涙を流している彼女の方だ。

 涙を止めるための言葉を探すが、そんな都合の良い言葉は咄嗟に出て来てくれなくて…。そもそも、俺の言葉を発したところで、彼女…イリスにとってはロイドの言葉となって届くわけで、それはなおの事彼女の傷をえぐるのではないだろうか?


「…本当に、分からないの……?」

「………ごめん」


 何度問われても、別人である俺にはイリスとの記憶はない。

 ちゃんと言わないのはイリスに対しても、ロイドに対しても不義理だよな。勝手に人の体使って、それが原因でこうして泣かせてる訳だし。

 俺がロイドでない事を口にしようとした途端、グイッと腕を引かれる。イリスが俺の服の袖を握ったままどこぞへ歩き出したのだ。抵抗する事も出来ずに引っ張られる俺。

 人の体にとやかく言いたくないけど、この体、ちょっと力弱くないですか?


「ちょっ、ど、どこ行くの?」

「村長様の所よ! きっと記憶を取り戻す良い知恵を貸して下さるわ!」


 まだ止まらぬ涙を拭いながら真っ直ぐ歩くイリスの背はあまりに小さくて、これ以上の荷を負わせたらすぐにでも倒れてしまいそうな気がした。

 ……だから、俺が…中身が別人であることは、彼女が落ち着いてから改めて話そうと決めた。それまでは、ひとまず記憶喪失って事で話を通そう。まあ、何も知らないって意味で言えば確かに記憶喪失と変わらないし、その演技に不安はない。


「あの、ところで村長って?」

「わたし達のユグリ村の村長に決まってるでしょ!」


 ユグリ村…?

 頭の中に日本地図を思い浮かべて検索をかけてみるが、該当する村はない。検索範囲を世界地図まで広げたいが、そもそも地理強くないんだよなあ…。だいたい市町村の名前なんてあんまし覚えてねえよ。

 まあ、とにかくやっぱりここ日本じゃ無いのか? 俺が名前知らないだけのどっかの地方の村なのかもしれないけど。


「いや、そうじゃなくて素直にどっかの病院とか行く方が良くない?」

「びょういん? 何言ってるの。もしかしたら何かの魔法の影響かもしれないし! あっ、魔物のせいって事もあるのか…」


 え? 今何て? 魔法とか魔物とか言いませんでした?

 いや、流石に泣きながら冗談は言わないか。多分痴呆とか刃物とかそんな感じの事を言ったんだろう。

 泣きながらもズンズン歩くイリスの速度に引っ張られて何度か転びそうになるが、それでも速度が緩む事はなく、さりとて服の袖から手を離す事もなく。


「っとと、危なっ! せめて手離してくれ、まともに歩けない」

「いや!」


 いやじゃねーよ、離してくれよ。マジで危ないから! とは思ってても、中身他人であることの罪悪感が、強く言葉を発する事を許さない。

 せめて服を握る位置を変えてもらおうかと、少し手をずらしてみるが、離すどころか更にギュッと握られてしまう。その手は赤くなるくらい力が込められていて、イリスの必死さを物語っていた。

 恐怖心…なのかな? 俺でも、身近な人間が自分を分からなくなったら、必死になるかもしれない。

 その後は黙って、なんとか転ばないように着いて行く。

 結局、村に着くまでイリスの涙は止まる事はなかった。


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