10-19 王族のティータイム
ルディエ城。
アステリア王国の西端にある王都ルディエにある政治と外交の中心にして、国を治めるパウロ=アステリア・イム・ファンゲルの住まう城。
その城の中でも、限られた人間しか入る事を許されない部屋……パウロ王の私室に王国騎士団団長トラフ=アグワールの姿があった。
石像の様に直立不動のまま動かないトラフの前には、真っ白な手入れの行き届いたティーセットの置かれたテーブルと…椅子に腰かける部屋の主人である王と、その向かいに座る王妃。
騎士団長とは言え、王の私室に入るような事は、緊急事態や相応の事情がなければありえない。特に王妃と2人で居る時のプライベートな時間では、下手をすれば不敬罪を問われかねない。
だと言うのに、トラフの顔は緊張するどころか、少し安心しているようにも見える。と言うのも、王の私室に来るのは別に珍しい事ではないからだ。
パウロ王と騎士団長であるトラフは、貴族学校時代の先輩と後輩の関係だ。そして、前騎士団長に剣の手ほどきを受けた兄弟弟子の関係でもある。
学生時代の先輩として、そして剣を捧げられた王として、時々こうして呼び出しては話し相手をさせたりしている。
「それで? 我が国のクイーン級冒険者殿はどれ程のものだった?」
ティーカップを王に相応しい優雅な動きで口に運びながら問う。
クイーン級の冒険者。アステリア王国にただ1人しか居ない……世界規模で見てもたった9人しかいない超人的な能力を持った冒険者。
パウロの耳にも「自国のクイーン級冒険者は幼い」と言う話は届いていたが、直に目にして驚いた。まさか、本当にあんな子供だったとは、流石に予想していなかったからだ。
桁外れに強いと言う噂は聞いている。……だが、その噂と目の前に現れた小さな少年がどうしても線で繋がらず、娘の外出の護衛……という名目で、ついでに確かめて来て貰ったのだ。娘の安全については、こっそり近衛を数人後をつけさせて居たのでクイーン級が居ようが居まいが万全だったのだ。
「強い。その一言です」
「ほう、では、噂通りだった…と言う事か」
パウロの中で、あの小さな冒険者の評価が上方修正された。
向かいで2人の会話に耳を傾けていた王妃も興味深そうに頷く。王妃としても、自分の娘と同じか下の年齢の冒険者の事は気になっていた。まして、それが自他共に認めるこの国最強の肩書を背負っているのなら尚更だ。
「……いえ、彼の力は噂以上です」
トラフのトーンの落ちた声にカップを置く。人の上に立つ者としての感覚が、茶飲みついでに聞く話ではないと判断したのだ。
「ほう…」
「クイーン級冒険者が強い事は判っていました……ですがまさか、あれ程の物だとは……。1人で小国の軍事力に匹敵すると噂されて居たのを笑っていたものですが、実際に戦う姿を見て自分がいかに浅慮だったのかを知りました…」
「ふむ、それほどだったか?」
「はい」
迷いの無い即答だった。
トラフの実力は騎士団の中でも折り紙つきだ。騎士団長が1番の戦闘力を持って居なければならない訳ではないが、パウロの目から見て城に出入りする人間の中で最強の個は間違いなくこの男だ。その男が、迷い無く怪物級の強さであると言っている。
「騎士団とルディエの冒険者ギルドが力を合わせても、まともに戦う事すら出来なかったゴーストをたった1人で倒してしまいましたので…」
「なるほど、な」
ゴースト。近頃ルディエの城下で暴れている……いや、暴れていた神出鬼没の巨人型の魔物。
魔道皇帝が襲撃した際にもその姿を見た者が居たと言うので、早々に討伐を試みていたが叶わず、クイーン級冒険者が来るのを心待ちにしていた。
まさか、現れた即日討伐して解決してしまうのは予想外であったが……。
「更に驚く事に、ゴーストは魔道皇帝一派の残党によって呼び出されて居た魔物であったようです」
「そうか」
ゴーストが魔道皇帝と何らかの関係がある事は、最悪の展開として考えてあったのでそれ程驚きはない。
向かいで驚いた顔をしている王妃に、茶を飲んで落ち付く様に促しながらトラフに話を進めさせる。
「残党の1人が魔石を呑み込み、ゴーストの変異体として変貌を遂げ、更にゴーストを8体呼び出しました」
「……なるほど」
先程トラフが小さなクイーン級の強さを迷い無く口にした理由を察した。
それだけの圧倒的な戦力を揃えられたにも関わらず、近衛達からの街の被害報告は無く、姫とトラフは無傷で帰って来た。そして、その場にはゴーストと戦える程の力を持つ者は1人しか居なかった。
つまり、あの少年はたった1人で王都を容易く滅ぼす戦力を倒したと言う事だ。しかも、街や人的被害を出さない余裕まで見せて…。
「あの少年は、それを1人で倒した…と言う事か」
「はっ」
俄かには信じられない話だった。だが、トラフが自分に嘘や誇張を話す事は絶対に無い。全て本当の事なのだろう。
「ふむ……それ程の力、興味があるな。クイーン級冒険者の戦いぶりは、お前の目にはどう映った?」
「軽やかな風の如き疾さで走り、剣を振るえば断頭台の刃の如く敵を狩る。噂に名高い竜人なる亜人を彷彿とさせる戦いっぷりでした。………ですが、何より恐ろしいのは彼の使う炎術です」
「炎術か…。なるほど、確か通り名は<全てを焼き尽くす者>だったな? その名が示す通り、炎術を得意とする者だったか」
「御言葉ですが、あれは得意等と言うレベルの業ではありません! 彼の炎は、まるで神の振り降ろす“焼け爛れた枝”。冥府を焼き尽くすかのような……恐ろしい物なのです!」
焼け爛れた枝の話は、七色教に伝わる伝承の1つだ。
冥府に罪の魂が溢れかえり、現世と天上を喰い尽さんとした時、虹の女神が冥府に“焼け爛れた枝”を落とした。すると、冥府は炎に包まれ、3日3晩燃え続けて魂が抱えていた罪ごと冥府の全てを焼き尽くした―――。
「それほどなのか?」
「はい。炎は人の生活に無くてはならない物、故に戦えない者の中にも耐性魔法を持つ者も多く、そんな事情から最弱の属性と揶揄される事もありますが……正直、彼の炎術を見た後では、そんな事を言う連中を端から殴ってやりたい気分です」
「はっはっは! お前が人を殴ってやりたいなんて口にするとはな」
重苦しい空気を吹き飛ばすようにパウロが笑うと、向かいの王妃が少しだけ呆れた顔をした。
パウロの笑いが収まるのを待って、仕切り直しの意味を込めてコホンッと咳払いをしてから話を続行。
「強さへの賛辞は判ったからもう良い。それよりも、具体的な強さの秘密は何か解らなかったのか?」
(クイーン級の強さの欠片でも物に出来れば、騎士団や冒険者を強化して、もっと安全な国に出来るのだが…)
「申し訳ありません。……間近で見ていましたが、私とは力が違い過ぎて何が何やら……。炎術1つとっても、あれだけの威力と制御を詠唱も魔法名も無くどうやって使っていたのかと………ん?」
「どうした?」
「いえ、そう言えば彼の左腕に、呪印のような物が薄く刻まれて居たのを思い出しました。もしかしたら、あの紋様が詠唱と魔法名を破棄する秘密やもしれません」
「ふむ…興味深いな。あとで宮廷魔導士達にその紋様の形を伝えて置け、何か判るかもしれん」
「はっ」
アステリア王国唯1人のクイーン級冒険者アーク。
パウロは、あの小さな冒険者に強く興味を持っていた。
しかしそれは、彼が小さかったからではない。彼が幼かったからではない。彼が強者だからではない。彼が自分に問うたからだ―――『原色の魔神をご存知ですか?』と。
前王が病気で寝たきりになった頃、密かにパウロは呼ばれて聞かされたのだ「ルディエの地下には、大いなる≪赤≫き魔神が眠っている」と。
しかし詳細を聞く前に前王は亡くなり、パウロは独自に近しい者達を使ってルディエ城の地下を調べさせた。結果は何も見つからず、前王による何かの戒めの言葉だったのだろうと勝手に解釈した。
だが、それから長い年月が過ぎて、魔道皇帝一派の襲撃の際に城下街の地下に巨大な空洞が見つかった。パウロはその時初めて気付く、“ルディエの地下”とは城の地下ではなく、そのまま街の下を指していたのだと。
しかし、地下の調査に入った時には、残っていたのは白骨死体が1つだけ……魔神の姿はそこには無かった。
もしかしたら、その白骨死体が魔神で、長い年月の封印が大いなる存在に死を与えたのではないか…そんな風に安堵した事もあった。
それなのに―――“それ”は現れてしまった。
――― ラーナエイト消滅
犯人は、炎を纏った深紅の悪魔。
パウロは理由も無く確信した―――奴が封印されて居た“≪赤≫き魔神”だと。
それからは“炎の厄災”と名付けられたその悪魔の動向を詳しくチェックしていたのだが……それ以来姿を見せていない。
パウロの心労は積もって行くばかりだ。
そして、そんな時にヒョッコリ現れたクイーン級冒険者の少年。
魔神の事をいきなり訊かれて、正直内心は驚くばかりだったが……そこは海千山千の貴族達と渡り合って来た王である。ポーカーフェイスで知らぬふりを決め込んだ。
しかし翌々考えてみると、何故あの少年は魔神の事を知っていたのかと気になった。
独自の情報網でルディエの地下に封印されて居た事に辿り着いたのなら、それは驚嘆すべき事であり、流石クイーン級の冒険者と褒めるべきところだ。
それに、クイーン級の冒険者が魔神について調べていると言うのはパウロのとって朗報であった。
クイーン級が魔神を追う理由は、勿論討伐の為だろう。トラフが神話の如き強さと称する戦士が戦ってくれるのならば、安心する事が出来る。
(クイーン級冒険者……アークか。協力出来る事があれば、是非支援したいのだがな?)
「それよりアナタ? 私は、あの小さな冒険者さんよりも、勉強嫌いの家の娘が帰ってくるなり机に向かっているのが気になっているのだけれど?」
今まで黙って聞き役に徹していた王妃が、心底不思議そうにパウロに訊く。
2人の娘であり姫であるレティシアは、騒がしい散歩から帰って来るなり「勉強をします!!」と部屋に戻って、いつもなら逃げ回っている教師達と机に向かっている。
親としては喜ぶところだが、普段の姿からかけ離れていて、むしろ不気味だった。
「ふむ、そうだな? 外で何かあったか?」
「彼と何か話して、王族としての務めに目覚めたのではないでしょうか?」
「あらあら。冒険者云々の話は私には判りませんが、娘を机に向かうようにしてくれただけでも感謝が絶えませんわね」
優雅にティーカップを傾ける王妃の姿に、パウロとトラフは顔を見合わせて苦笑した。