10-1 奪われた者
「くっそがああああああッ!! クソくそが!」
怒りに任せて近くにあった椅子を蹴り飛ばす。凄まじい力を受けて、椅子が真っ二つになって壁に激突し粉々になり、木片が床に散らばる。
「くそ……痛ぇ…痛ぇんだよぉ…! 俺の腕が痛ぇんだよおおおぉぉおおッ!!!!」
痛みに涎を垂らしながら、掻き毟る様に右肩を握る。
肩から先…本来ならば腕があるべき場所には何も無い。当たり前だ。右腕は、奪われたのだから―――…。
水野浩也は≪青≫の魔神の継承者である。
水や冷気を司る存在であり、絶対的な強者であり、略奪者であり……そして、ただの人間だった。
彼と言う人間は、元の世界では言うところの社会不適合者だった。
学校でも会社でも、上から物を言われるのを酷く嫌い、先輩や上司に対して舌打ちをして怒られたのは1度や2度ではない。
友達や恋人と呼べるような存在は居らず、いつも1人で過ごしていたが、別段それを苦痛と感じた事はない。むしろ、人と話す事さえ億劫に感じるような人間だ。
出来る事なら誰も居ない部屋の中でずっと過ごして居たい。だが、生きて行くにはお金が必要だ。そしてお金は仕事で稼がなければいけない。
彼が仕事をしているのは、ただそれだけの理由だ。会社への奉仕の精神は欠片もなく、自分のしている仕事が社会に対してどのような影響があるのかも興味が無い。毎日をただなんとなく過ごし、嫌いな上司とやたら威圧的な先輩がさっさと事故にでも遭って死んでくれる事を願いながら生きている……そんな人間だった。
そんな彼が、ある日異世界に呼ばれたのは、ある種の運命であり…天罰だったのかもしれない。
だが、彼はむしろ喜んだ。
異世界―――自分の常識の通じない世界。自分の常識が意味の無い世界。自分の常識を捨ててしまえる世界。
そして与えられた≪青≫の力。
彼は思うままに暴れた。
頭の中に響く≪青≫の声に導かれるように、気にいらない物は壊し、むかついた者は殺す。
気持ち良かった―――!
何をしても、誰も咎めない……咎められない。
破壊と殺戮が、空っぽだった彼の心を満たしてくれた。
自分が強者であると言う実感が、彼の生きる原動力になった。
元の世界では、25年生きても得る事が出来なかった充実感。彼は、異世界に来て初めて自分が“生きている”と実感していた。
≪青≫が囁く。
『世界ヲ壊セ。破壊ガ、オ前ノ心ヲ満タシテクレル』
水野は≪青≫の言葉に従った。
そして、その褒美であるかのように≪青≫は更なる力を与える。
【魔人化】
肉体を異形化させ、人の器では使えない領域の力を行使する力。
異形となった自分への恐怖や驚きはなかった。思った事は1つだけ…。
――― 俺は無敵だ!
今まで以上に彼は力を振るった。
魔物も人も容赦なく殺す。
殺せば殺す程…壊せば壊す程、頭の中に響く≪青≫の声が大きく、ハッキリ聞こえるようになる。
≪青≫が少しづつ近付いて来ている―――。
その事実に気付いても恐怖心はなかった。むしろ、もっと大きな力を寄越せと近付いて来る事を願った。
≪赤≫とのエンカウントはその頃だ。
子供であり異世界人。それについては驚きはなかった。強さについても、同じ魔神の継承者である事から、ある程度は予想出来ていたので慌てない。
だが、負けた。
この世界で味わう、初めての敗北だった。
血涙が出そうな程の悔しさを味わい復讐を誓った。
≪赤≫と竜人にもこの屈辱を叩き付け、そして殺す…と。まるで、その怒りを後押しするように≪青≫が力を与えてくれる。
リベンジの機会はすぐに訪れた。
負ける要素は何も無い。
だが≪赤≫は成長していた………いや、あれは成長ではない…あの変化は成長ではなく―――進化だ。
力の差は圧倒的だった。
余りにも呆気なく勝負はつき、水野は2度目の敗北と共に右腕を失った。
辛うじて“奴等”によって逃がされ、こうして命だけは拾った。だが、心が壊れた。
水野は異世界に来て自身を縛る常識から解き放たれ、≪青≫と出会って破壊衝動こそが自分を満たす物だと気付いた。
力こそ自分の生きる意味であり、強者である事だけが心を支える1本の柱だった。
だが、その柱が…2度の敗北を味わって圧し折れた。
自分を殺す事が出来る強者が居るのだと理解した瞬間、水野にとってこの世界は恐怖の対象となった。
逃げ出したいのに逃げ場はない。どうにも出来ずにイライラする。恐怖心と焦燥が、有る筈の無い腕を痛めつける。
どうすれば良い? どうすれば助かる? 逃げる…逃げたい! 死にたくない! 殺されるなんて絶対に嫌だッ!!
掻き乱された思考の中に、≪青≫の声が響く。
『恐れる必要は無い。≪赤≫は魔神として覚醒しただけだ。なれば、お前も同様の力を得れば良い』
「力…を?」
『そうだ。力を求めよ―――この世界を破壊する力を』