9-30 花のように笑って
皿と鍋が空になる頃には空は夕焼けで赤く染まり、大森林の中は一気に薄暗い闇の中に閉じられていた。
「遅くなると家の子達が心配するから」
と、真希さんはガゼルを連れて転移魔法で帰って行った。
帰り際に、真希さんが「夜寂しくなったらすぐに呼んでね」と投げキッスを寄越して来たが、華麗にスルーさせて貰った。
一方ガゼルは、食事の時の真面目な顔ではなく、いつも通りの若干チャラけた風に「暫くウチの国を頼むわ」と握手を交わして去って行った。
……魔神の力が最強で無敵って事は変わらないのだが…ガゼルなら本当にそれを崩すだけの強さを身に付けそうで、ちょっと期待してしまう。
まあ、お別れの話はともかく―――。
アルフェイルに…と言うか現在この大森林の中に居るのは、俺とパンドラとフィリスと白雪だけとなった。
夜になったら、闇に紛れて様子を見に誰かが戻ってくるかもしれないので、俺達はこのままここで1晩明かす。
まあ、夜に来なくても、そのうち誰か帰ってくるか……と考え、少しのんびりさせて貰おう。
妖精の森での戦いからずっとバタバタしてたし、パンドラの事が気になって気が休まらなかったし…まだまだやる事山積みだけど…ちょっと小休止。
外で風に当たりながら、木々の隙間から見える暗くなる空を見上げている。
フィリスは「森の被害を見て来ます」と先程森の中へ入って行った。森の中には、魔物も奴等の残党も居ないのは感知能力で確認してあるので大丈夫だろう。
白雪はお腹いっぱいになって、俺のフードの中で寝息をたてているし……ああ、そう言えば今さらだが、白雪は光る球から人型になって、普通の食事が出来るようになった。
球の時のように花や木から生命力を貰う事は可能だが、直接物を食べる方が効率的らしい。ただ、肉や魚は好まず、野菜や果物が好きなところは流石妖精だな?
次第に光を失っていく空を見ながら、少しこれから先の事を考える。
俺の体やカグの事…そしていずれこの世界に降りかかるらしい“終わり”の事。
ダメだ…考え始めると頭痛くなる…。けど、どれも俺が目を逸らして良い問題じゃねえからな。
「マスター」
ボンヤリしている間に、いつの間にか後ろにパンドラが立っていた。
「もう片付け終わったのか?」
「はい」
食事の片付けは全部パンドラに任せた。
別に押し付けた訳ではない。手伝うと言ったら、「邪魔です」と一刀両断されたのだ…。
「何をなさっていたのですか?」
「いや別に…空を見てぼーっとしてただけ」
「そうですか」
そのままトコトコと横に来て、一緒に空を見上げる。
30秒程無言の間があって、ようやくパンドラが口を開く。
「お話をして、宜しいでしょうか?」
「おう。食後だからヘビィーな話は簡便な?」
「はい」
返事はしたけど…声のトーンが低い。絶対コレ重い話しだな…。
いつも通りの無感情な声だから、俺以外が聞いても変化には気付かないかもしれないけどな…。
「で?」
「はい。マスターのお傍を離れようと思います」
「いきなりどうした…?」
俺が来るなと言っても一緒に来るのがパンドラだろうに…突然どういう心境の変化だ?
……まあ、俺の事が嫌になったとか言われたら、それはどうしようもないが。
「私と同じ開発者の機械兵器がマスターを害そうとした以上、私にもマスターを害するようにプログラムされている可能性があります」
……あえて何も答えずに先を促す。
「私の使命はマスターを護る事です。私自身にマスターを害する可能性があるのならば、私はマスターから離れるべきと判断します」
「そいで? 仮に俺から離れたとして、その後はどうするんだ?」
「分かりません」
パンドラの事だ、どうせ「自分が生きている限りマスターへの危険は消えない」とか判断して、人知れずどこかで果てるつもりなんだろう。この世界にパンドラ自身に使われている技術を残す訳にも行かないだろうから、どこかの火口に飛びこむとかそんなオチかな?
「ふーん…そうか」
「はい」
無言のまま、黒に染まりかけた空を泳ぐ雲を眺める。
……今、パンドラはどんな顔をしているだろうか? まあ、多分傍目に見たら無表情に見えるんだろうけどさ。
とりあえず、色々言おうと思うが……最初に言うべき事は1つだ。
「思い上がんなボケ」
「どう言う意味でしょうか?」
視線は空に向けたまま、出来るだけ感情を出さないように努めて続ける。
「お前が俺を害するってなんだよ? もしかして、俺と戦って勝てるとでも思ってんのか?」
「いえ。もし戦闘になれば、私の勝算は皆無です」
「だろ? って事は、お前の中に俺を攻撃するようなプログラムがあったとしても、そんなもん関係ねえよ」
寝込み襲われたり、毒盛られたらアウトってのは面倒臭いのでこの場では除外しておく。
「ですが……」
「それにな? お前の製作者が、俺に対して悪意しか持っていないとは思ってない」
実際に殺されかけて、この世界から文字通り弾きだされた俺が擁護するのも変な話しだが、俺の手元にある情報の欠片を形にしてみると、そういう答えになってしまったのだからしょうがない。
夕闇の空から視線を切って、隣のメイドの向き合う。いつも通りの無表情……に見えるけど…俺の目には、どこか親と逸れた子供のような、今にも泣き出しそうな寂しさが透けて見える。
「その発言の根拠はなんでしょうか?」
「これだよ」
クイーンの駒を模ったクラスシンボルと一緒に首から提げている、月の装飾の施された指輪を見せる。
「マスターの神器が何か?」
「この神器、どこで手に入れたか話した事あったっけ?」
首を横に振る。
ああ、うん、やっぱり話してなかったか。
「この月の涙、お前の眠ってたあの研究所に有ったんだよ? 俺へのプレゼントだって」
そこまで聞いて、パンドラも俺が何を言おうとしているのか分かったらしい。
そう、純粋に俺を殺してこの世界から排除する事が目的だったのなら、神器なんて俺宛てに残す訳がないのだ。だって、もしかしたらこの神器の力で、自分達の策が失敗する可能性だって有り得るのだから。そんな自分達にとってのリスクをわざわざ残しておく理由が見当たらない。
「これは俺の勝手な推測だけど、お前を作った人達は“世界の終わり”を回避する為の2つの可能性に賭けていたんじゃないかな?」
「2つ…ですか?」
「ああ。1つは勿論、俺……っつか、継承者を世界から排除する事で回避出来る可能性。もう1つは、その策を破った俺が、何か行動を起こして“終わり”を回避する可能性」
俺が何かすれば世界の終わりを回避出来るってのは、神様もどきの太鼓判押されてるからなぁ、賭けるならコッチの方が分が良いと思う。
「しかし、その2つ目の可能性は、マスターが“世界の終わり”を回避出来る存在だと知っていて初めて成立するのでは?」
「そうだな。……でも、多分お前の製作者達は知ってたんじゃねえかと思う」
根拠…と言える程の物ではないが、そう感じる情報の断片はある。
俺が初めて研究所の地下に入った時に流れたメッセージ。俺が来る事を見越したように話すその中で確かに言っていた『彼女が教えてくれたからね』と。
彼等の居た時代から、未来に訪れる俺の事を話す事が出来る彼女とは何者か? ずっと引っ掛かっていたけど答えは出なかった。けど、先代の≪赤≫が女性で、しかも未来視を持っている事。そして、パンドラの製作者が継承者を狙っている事を知った時に、もしかしたらと思ったのだ。
――― パンドラの製作者達は、先代の≪赤≫と接触していたのではないか?
そう思ったら、むしろここに接点がない事の方が不自然に思えたくらいだ。
継承者を排除する用意を未来に残すような連中が、その時代の継承者に対して何も行動を起こしていない訳がないからだ。
その接触の際に、未来に俺が―――世界の終わりを回避する可能性を持った人間が現れる事を聞いて、2つの可能性両方に未来を賭けたんではないか……と言うのが俺の推測だ。
そして、この推測が正しいとすると、パンドラにはもう俺をどうこうするようなプログラムは入っていない可能性が大だ。
「…失礼ですが、マスターは何が言いたいのでしょうか?」
分かってるくせに敢えて訊くかよ……。
「お前は、俺にとって危険でもなんでもねえから、好きにしろって言ってる」
「好きにですか?」
困った顔してんなぁ。
機械的な思考をするパンドラにとって、基本的に自身は命令に従うだけの存在だ。だから、自分で何かを選ぶ事が苦手……と言うか出来ないんだろう。
でも、俺は出来ないとは思わない。これだけ人に近い容姿と、どこまでも優秀な人工知能を積んでいるコイツが、それぐらい出来ない訳が無い。
それに……これから先、パンドラが生きて行くのなら大なり小なり選択を迫られる事になる。
その時に、俺が一緒に居られるとは限らない……。もしかしたら、元の世界に戻っているかもしれないし、あるいは戦いの果てに命を落としているかもしれない…。パンドラが俺から離れて1人になった時、嫌でも生き方は自分で選ばなければならない。だから、ここをその一歩目にしてやりたい。
「……分かりません」
「分からないじゃねえよ。考えろ!」
「…分かりません。私には分かりません」
パンドラが、初めて俺の視線から逃れて俯く。
「……お前の名前を言ってみろ」
「パンドラです…」
「そうだ。P.D.E.R.16-03じゃない…今のお前はパンドラだ。生まれたばかりのヨチヨチ歩きで、全然頼りなくて…無表情で無感情で、時々意味不明な奴で、料理や裁縫が無駄に上手くて……そんな俺の大切な仲間だ」
ハッとなったパンドラの泣きそうな目がジッと俺を見つめる。
「パンドラ、お前はどうしたい?」
もう一度訊く。怯えさせないように、出来るだけ優しく。
「私は……」
パンドラが、俺と居る事が辛いと言うのなら離れたって良い。その先に安易に死ぬような真似はしないと約束してくれるのなら…だが。
マリンブルーの瞳が、ユラユラと俺の顔の傍を行ったり来たりする。
「私は………」
機械的な判断ならば、簡単に答えは出せるだろう。
1番の優先事項は俺の安全だ。だから、少しでも危険性のある自分は離れれば良い。
だけど、パンドラは迷っている。さっきは選ぶ事の出来たその機械的な最適解を、パンドラの中に生まれた小さな人間性が否定している。
泳いでいた瞳が、ユックリと…静かに、俺を見つめる。
「私は…“貴方”と一緒に居たい」
「うん」
パンドラの“人”としての一歩目。
それが嬉しくて、俺は笑った。
「だったら、俺の側にいろ」
「はい」
そんな俺の笑顔を見て、金色の髪の美しいメイドは―――蕾が綻ぶように微笑んだ。
九通目 時の放浪者 おわり