9-26 魔神達の事情
「その漂流者は、遠い未来から来た者の1人…と言う事か?」
確信が無いからか、若干小さめの声でルナが聞いて来たので、頷いて返す。
「多分な」
けど、個人的にはほぼ間違いないと思っている。
直接的な名詞は出していないが、現代社会に存在する物を想像させる物を語っていたと言うだけで十分だ。
亜人戦争のすぐ後に現れたんなら、過去にタイムスリップした時期にも当て嵌まる。
その漂流者が未来人だとすれば、その人に関する話のどこかに“世界の終わり”のヒントがあるかもしれない。なんてったって、未来人はそれを回避させる為に時間の壁を越えて来たんだから。
「ガゼル、その人の話、他には?」
「うーん…俺も興味無かったから、それ以上の話しは知らねえな」
それは困る! この手詰まりっぽい雰囲気の中で、ようやく正解に近付けるかもしれない手掛かりなのだ。ここで「じゃあ、しょうがないね」とはいかねえよ?
そして、そこは皆も同じだったらしい。
「じゃあ、その生まれ故郷に戻って訊いて来い」
≪黒≫の継承者は色んな意味で容赦が無かった。
「……個人的な事情を話したくはねえけど…あの島から家出同然で出て来たから戻り辛ぇんだよ…」
「そこはそれ、これはこれ」
容赦どころか慈悲も無かった。
あ…ガゼルがどん底みたいな顔になった…。そんなに故郷に戻るのが嫌なのかコイツ…。
でも、まあ、ここは呑み込んで貰うしかねえけどな!
そんな助けを求める縋った目を俺に向けても無駄だぜ?
「諦めろ」
「……マジか…?」
「マジだ」
ガゼルが枕に顔を埋めてシクシクし出したところで、「これ以上、情報の足りない推測は意味無い」と言うルナの言葉で、この話題は一旦終了。
ガゼルが情報を持ち帰ったら、改めて集まって話す事になった。ガゼルが故郷に戻るのと並行して、ルナももう少し北の大地を調べる事になり、俺はパンドラの居た研究所に何かしら残ってないか調べに行こうと思っている。
で、お互いの事情の確認と“世界の終わり”についての話が止まったところで、ルナが改めて俺の左手―――薄く残っている魔神の刻印についての話を切り出した。
「その刻印は、魔神の顎がかかっている証拠だ」
「どう言う意味だ?」
「消えない刻印は、身体機能が魔神に喰われている途上を意味している。肉体を魔神に変質させる度にその刻印が広がり、濃くなる。その刻印の薄さなら、少し違和感を感じる程度だろうから、実感は湧かないだろうがな」
そう言って、今まで1度たりとも取ろうとしなかった、自分の顔の上面を覆う白い仮面に手をかけて……素顔を晒す。
褐色の肌のエスニックな妖艶さを纏った美しい女性だった。
ただ―――鼻から上…目の周りを中心に真っ黒な濃い魔神の刻印が、その美貌を台無しにしている。
「刻印がこの濃さになったら、もう手遅れだ」
「お前、もしかして目が…?」
「ああ。眼球が辛うじて光を感じられる程度で、色の識別も出来ないような有様だよ」
そんな状態で、良く今まで冒険者として戦って来れたな? と思っていたら、それが雰囲気で伝わったのか、その後に「感知能力があるから不便は無いがな」と苦笑しながら続けた。
「目の方はともかく、問題なのはコッチだ」
と、服の裾を少しだけ捲って見せる。
無駄な肉の付いていない少しだけ筋肉のラインが浮き出ている綺麗なお腹。しかし、そこにも黒い刻印が広がっている。ただ、顔に出ている物よりは色が薄い。
「体の中を大分やられていてな? 長時間動くと少し辛い」
視覚だけじゃなく、内臓機能もダメになってるのか…。
戦闘云々の話だけじゃなく、日常生活でもシンドイだろうに…そんな素振り欠片も見せねえなコイツ……すげぇ根性。
「お前もこんな状態になりたくなければ、魔神にはなるな」
改めて自分の左手を見る。
薄く刻まれた赤い刻印。別に今のところ左手に変な感じはない。だが、次に魔神になって戻った時には、もしかしたら左手が動かなくなっているかもしれない…。これは、そういう回避出来ないリスクだ。
瞬発的に体にかかる負担ならば、一晩寝れば治る。けど、これは違う。永続的に…下手すりゃこれから先の人生全てこの体に付いて回るヤバい奴だ。
何がヤバいって、この体をロイド君に返した後も残り続ける可能性が高いってところがヤバい…。
ロイド君も、自分の体が返って来たのに、身体機能潰れてたら怒るだろうしねぇ…。
横に居る2人と、いつの間にやら俺の膝の上に場所を移した白雪が、「もう2度と魔神にならないで下さいね?」と言いたげな目で見て来るし…。
「それともう1つ止める理由がある」
え…? そのリスク1つで十分なのに…まだ何かあんの?
「根本的な話として、魔神が世界の敵…と言う事は理解しているか?」
「ああ」
それは認めたくないけど…そうだろうな。
エルフの族長の話によれば、先代も「魔神は世界の敵だ」って言ってたらしいし。
「俺達の中に居る原色の魔神には、意識のようなちゃんした個はないけど…継承者の怒りとか悲しみとか…マイナス方向の感情を煽って、破壊衝動に引っ張り込もうとしてるのは分かる」
ラーナエイトで暴走した時も、思い返すといつもより≪赤≫の声がハッキリ聞こえていたし、所々意識が切れてたような気がする。
「うむ。まさしく注意すべきはそれだ」
「破壊衝動?」
「そうだ。ふむ…何と言うか、魔神へと体を変異させる度に、徐々に“声”が近付いて来ているように思えるのだ」
他の連中は意味が分からないのか、ポカンとしているが、俺には何となくわかる。
人の姿よりも魔人の時の方が、魔人の時より魔神の時の方が、“声”がハッキリと聞こえる。
「そして、“声”が近付くにつれて、意識がそちら側に引っ張られそうになっていくのが自分でも分かる」
「魔神になる度に、破壊衝動に抗えなくなってるって事か?」
「ああ。正直、今の状態で魔神になると、暴走しかねないと思う…」
マジかよ…恐いな…。いや、冗談じゃ無く本気で。
つまり、話を纏めると…魔神になる度に身体機能を徐々に奪われて、その上暴走の危険性が上がって行くのか…。洒落にならんな。
リスキーにも程が有る……と言いたいが、魔神の力はそれだけのリスクに見合う途轍もない力を与えてくれる。
これから先、ルナの助言通り極力使わないように努めるが、どうしようもない状況になれば、多分俺は使ってしまう…と思う。多分、ルナもそうだったんだろう。その結果が、今の姿なんだ…。
いや、だからこそルナは、皆の前で魔神になる事のリスクを話したのか。俺が魔神になろうとした時に、近くに居る人間が止めてくれるように…。
「魔神は魔神でしか止められない」
ルナがポツリと呟いた。
しかし、今までよりも声が重く低いからか、妙に迫力と圧がある。
……まあ、だが、言いたい事は分かる。
「その意味は、解るな?」
「……分かってる」
「なら良い」
そして壁に寄り掛かって口を閉ざす。
その姿が余りにも周りを寄せ付けないように見えたからか、ルナの問い掛けの意味を皆訊けずに、仕方なく俺の方にそれが回って来た。
「マスター、今のはどう言う意味でしょうか?」
「どうって…そのままの意味だよ。魔神は魔神でしか対抗出来ない。そして、≪青≫も≪白≫もまだ魔神には至っていない…って事は、今現在魔神になれるのは俺とルナの2人だけ…そういう意味」
ガゼルが意味に気付いたようで、少しだけ憐れむような、寂しいような複雑な視線を向けて来た。
「つまりこう言う事だろ? 仮にアークかルナのどちらかが暴走したら、もう1人が止めるしかない」
「「「!?」」」
ウチの女性陣と真希さんが一瞬ビクッとなる。
そう、まさに、ガゼルの言う通り。そういう事だ。
魔神の持つ【事象改変】は同じ能力でしか破れない。だから、世界に2人しか居ない魔神になれる俺とルナは、お互いが相手への最初で最後のストッパーなのだ。