9-21 緊急避難です
≪赤≫の世界から出て、元の世界に復帰する。
空間のひび割れの隙間から、「よいせ」と体を引っ張り出して現状確認。
アッチ側に居た時間は約2分。皆の様子や、空の色、陽の傾きから察するに、時間の流れは同じだな。
魔神になっても、時流の操作は専門外だ。
この世界と≪赤≫の世界の時間の流れ方が違った場合は、もうどうしようもないので諦めるしかない、と思っていたが、同じ……もしくは許容範囲の誤差しかないようで安心した。
さて…敵片付けたし、皆のところに戻るか? まだ、全部終わった訳じゃないしな。
高度を落として行くと、遠くから細長い何かがニョロニョロと体を波打たせながら、コチラに向かって来た。
なんだ? と目を凝らす間もなく、とんでもない速度で巨大な何かが飛んで来て、目の前で止まる。
青い瞳の、赤い龍だった。
神々しく、そして雄々しい、目の前に居るだけで人を威圧し、平伏させる神龍。
「サファイア?」
名前を呼ぶと、「クアァ」と嬉しそうに鳴いて、ご機嫌に鼻先を擦り付けて来る。
いつも通りの行動なのだが…サイズがなぁ…。今の神龍の姿だと、頭だけで我と同じくらいの大きさが有るから、鼻先を擦り付けると言うより…顔を擦りに来てるような…それに、鼻息で吹き飛ばされそうなんだが…。
まあ、でも、可愛いから良いか。
鼻の横辺りに手を伸ばして撫でてやると、より一層嬉しそうに甘えてくる。
「よしよし」
一頻り、撫で心地の良い赤い鱗を撫でて、改めてサファイアを連れて、皆の元へ降りる。
元の場所に戻ると、ガゼルは浴衣の真希さんに回復魔法をかけて貰っていて、フィリスと白雪はパンドラの傍に付き、ルナだけが油断無く空を―――我を見上げていた。
「ただいま」
ルナ以外の面々が、我の後ろに付いて来ているサファイアを見てギョッとする。
「父様…その後ろの魔獣は…?」
「ん? サファイアだよ。少し大きくなってるけど」
「大きさの話ではないと思うのですが……」
恐る恐る白雪が神龍のサファイアに近付くと、鼻先で白雪を弄ぶいつも通りの反応を返す。すると、白雪もこのデカイ図体の神龍がサファイアであると分かったらしく、いつものように、その頭の上にチョコンっと座る。
「サファイアちゃん、こんなに大きくなったんですのね?」
返事代わりに、頭を軽く揺らす。どうやら、白雪の座っている位置の収まりが悪かったのが気になったらしい。
サファイアが白雪と遊び始めると、ルナがトコトコと近付いて来る。白い仮面の奥の瞳は、少しだけ警戒の色が見え隠れしている。
「終わったのか?」
「ああ、見ての通り。あの2人は、“アッチ側”で始末した」
「うん、それなら良い」
アッチ側、と言葉を濁しても伝わった。やはり、我と同じように、ルナは≪黒≫の作り出した、自分の世界を持ってる。
つまり、コイツは魔神になれるって事だ。
「お前には色々話さなければならない事があるが……その前にお前にはやる事が残っているのだろう?」
ルナが不安と警戒を含んだ視線を我から外して、ウチのメイド服の眠り姫に向かて顎をしゃくる。
「ああ」
戦いが終わっても魔神のままで居るのは、その為だからな。
横になっているパンドラに、治癒魔法をかけ続けているフィリスに近付く。
「大丈夫か?」
「は、はいっ!! え…あの、アーク様…パンドラが…」
「分かってる」
パンドラが死にかかってる。
地下研究所に連れて行った時には、もうかなりギリギリのところまで行っていたが、今の状態は、生きているのか死んでいるのかの判別が付かない境界線上と言って良い。
【生命感知】では、辛うじてしか姿が見えない。
この襲撃騒ぎで治癒魔法が滞っていたせいで、一気に天秤が死に傾いてる。
まあ、言ってしまえば、今の状態でこれだけ生きているのが奇跡的だ…。機械であるが故に死なずに済んでいるとも言えるし、機械であるが故に回復出来ずに死に向かっているとも言えるか。
何にしても、猶予はない。
「フィリス、どいててくれ」
「え…は、はい」
治癒魔法を中断してパンドラから離れる。入れ替わりにパンドラの横に跪くと、綺麗な金色の髪を撫でてから頭の後ろに手を回して、上半身を抱き起こす。
「どうなさるのですか?」
「パンドラを外から直す方法は…恐らくこの世界には無い」
「では…やはり、もう……」
「いや、そうじゃない」
「…え?」
「外から直せないなら、パンドラ自身の力で直させれば良い」
「それは、どう言う…?」
……今から自分がしようとしている事を、もう1度頭の中で冷静に考えてみる。
それで良いのか? それが正しいのか? もっと他に良い方法が有るのではないか?
いや…考えるだけ無駄だった。この方法が正しいかどうかはともかく…他の方法を考えているような時間はない。
改めて腕の中に居るパンドラの顔を見る。
作り物染みた美しさの、作り物の機械人形。
だが、機械であろうが、未来人であろうが、継承者への罠だろうが関係無い。我にとっては、一緒に旅をした仲間で、危険を切り抜けて来た相棒だ。
よし…覚悟は決まった。
1度大きく息を吸って気持ちを落ち着ける。
頭の中でイリスとカグの顔がチラつく……。いや、これはアレだから…緊急避難だから、別に変な意味はねえから…。
パンドラを抱く手に力を込めて、顔を近付ける。
心の中でパンドラに「ゴメンな」と呟いてから唇を重ねる。
機械仕掛けのサイボークとは思えない程、その唇は柔らかった。
「父様!」「あ、羨ま…じゃないっ! アーク様何を!?」「ヒュー、やるじゃんチビッ子」「ショタのキスショタのキスショタのキス」
外野の騒ぎを無視する。
――― 【自己修復】【自己保存】を対象に譲渡しました ―――
後は、スキルを発動できるだけの生命力が足りて無いか?
――― 生命力の一部を譲渡します ―――
唇を通して、パンドラの体にエネルギーを流す。
1秒…2、3、4、5……。
10秒間、生命力を分け与えながら反応を待つと、腹の傷口と折れていた右腕がキラキラと光りながら再生を始め、体がピクッと動いて、閉じていた目をユックリと開く。
目の前に居る我をジッと見ながら、3回瞬きをする
「マしゅター」
我の唇の下で、パンドラの唇がぬるぬる動くのが、妙にいやらしい…。
キス…いや、キスじゃない。これは断じてキスじゃない! 人工呼吸と同じ意味合いの奴だから。コッチにも、パンドラにもノーカウントだから!
目を覚ましたし、もう大丈夫だよな?
唇を離す。
……離れる直前に、パンドラの目の中に寂しさのような物が見えた気がしたのは、多分気のせいだろう。
「マスター?」
「もう大丈夫だ。5分もすれば元通りになる」
「はい」
パンドラの渡したスキル【自己修復】は、生命体以外に対して有効な回復スキルだ。
本来ならば武器や防具に付与して使うのが正しい使い方だが、パンドラに渡せば、体を構成する7割の機械部品が破損、損耗しても勝手に直ってくれる。
もう1つの【自己保存】のスキルは、自分の記憶や経験を、肉体ではなく魂に保存する異能だ。このスキルを持った人間は、転生しても魂から記憶と経験を取り出す事が出来るので、リアルな強くてニューゲームが出来る。
まあ、パンドラに渡したのは、転生云々とは関係なく、単純に電子頭脳が傷付いた時の事を心配したからだ。
これで、パンドラの問題は片付いたな。
ふぅ…やれやれ…疲れた。