9-17 金と青
ゲルニカ。
現れれば、世界規模の危機となるキング級の魔物の1体。
巨大な闘牛を思わせる体躯。鈍重な見かけに反した圧倒的な速度と、見てくれそのままのとてつもないパワー。
走り回るだけで地盤が揺れ、辺りを地震が襲う。
人や町を直接襲わなくても、存在するだけで厄災を振り撒く、魔物の王たる1匹。
ゲルニカは、森の木々を薙ぎ倒しながら走る
蹄が地面を叩く度に、周囲には地響きと地割れが起こり森を呑み込む。
目的地は無い。
下された命令は唯一つ。
――― 破壊
それは魔物の行動の根本であり、生まれた目的でもある。
故にゲルニカはその命令に疑問を持たない。
ただただ森の外へ向かって走り、その先に居るであろう全ての命を根絶やしにする。
迷いは無い。
障害は全て破壊する。立ち塞がる者は殺す。逃げる者も殺す。
……しかし、ゲルニカは気付いている。背後から追って来る追跡者の存在に…。
現在の走る速度は、木々を避ける事無く叩き折りながら進んでいるので精々時速90km程。ゲルニカのトップスピードの半分以下だが、人はおろか、並みの魔物や魔獣でも追い付けない速度だ。
だが、追跡者は確実に距離を詰めている。ゲルニカの作った道を通っていると言っても、コチラに近付けば近付く程振動が大きくなり、まともに走る事さえままならない筈だ。にも拘らず、相手の速度が緩む事はなく近付いている。
追跡者が魔物ではない事は分かっている。魔物同士ならば、お互いの魔素を感知出来るからだ。
追って来ているのは“生物”
――― であるならば、殺さなければならない
魔物としての、生物全てを憎悪する本能が「今すぐ殺せ」とゲルニカに囁く。それに抗う理由は無い。
速度を緩め、反転して追跡者に向かって走る。
追跡者とのエンカウントは数秒後。
走って来ていたのは、燃えるような赤い毛並みの狼だった。
初見で赤い狼に下したゲルニカの評価は“圧倒的な格下”。それなりに強いだろうが、キング級であるゲルニカの相手ではない。
一瞬で踏み潰して終わりだ。
そして―――実際にその通りになった。
――― グシャ
3m程の狼は、接近の瞬間にゲルニカの巨大な蹄で無残に踏み潰され、体の半分以上を地面に埋めて息絶えた。
予想通りの展開。当たり前の結果。
唯一つ、ゲルニカにとって誤算だったのは―――狼の死体が爆発した事。
咄嗟に足を離そうとしたが、死んでいるのに狼の牙が足首に食い込んで離れない。そして、狼の死体が、凄まじい衝撃と熱をばら撒いて爆発する―――…。
狼を踏み潰していた足が、自爆攻撃を受けて肉と血の代わりに魔素を撒き散らす。予想外の威力だったが、まだ立てる。まだ走れる。多少ダメージを受けたが、追跡者は排除出来たのでヨシとしよ―――
殺した筈の赤毛の狼が、木陰からゲルニカをジッと観察していた。
――― なんだ?
ゲルニカに思考が乱れる。
狼がそこに居たから……ではない。今爆散した狼が、何匹も居たからだ。
3匹、4、5、6、7、8、9…10匹の赤毛の狼がゲルニカを取り囲んで居た。そして気付く。
この狼達は“生命”を感じない―――。
こうして囲まれるまで存在に気付けなかった事も疑問だ。まるで突然そこに生まれ落ちたような……。
だが、それ以上の思考を狼達は許さない。
統率された群れの動きで、10匹の狼が1つの生き物のようにゲルニカを翻弄して距離を詰めて来る。
地面を踏み鳴らして、地割れと振動で動きを潰そうとするが、速度が緩む事はなく、動きに乱れも無い。
そう、それは、まるで―――重さがなく浮いているような……。
そこでようやくゲルニカは気付く。
この狼達は―――分身!?
4本の足にそれぞれ狼が噛み付く。薙ぎ払おうと体を動かした瞬間―――先の1匹と同じように、自爆して炎熱と衝撃をゲルニカの体に叩きつける。
地面を踏みしめている4本の足の魔素が辺りに飛び散り、自重を支えきれずに草と苔の絨毯の上に崩れ落ちる。
この爆発の威力は洒落にならない。
ゲルニカの防御力は数いる魔物の中でもトップクラスに高い。各種耐性も備えているので、並みの攻撃ではダメージを受ける事はない。だと言うのに、あの爆発をたった5発喰らっただけで足を完全に潰された。防御特化でもなければ、クイーン級でも一撃耐える事も出来ない程の爆発の威力。
改めて理解した。
この狼達はただの爆弾だ。
生物のような姿をして、生物のような動きをするが、実体は熱の塊。倒しても意味は無いどころか、接触によって起爆する。
避けようにも、このスピードと群れとしての動きがそれを許さない。
そもそも、この“爆弾”を避けられたとしても何も解決しない。本当に警戒しなければならないのは、この爆弾を自分に向かって投げて来ている本体なのだから。
本体を探そうと知覚を研ぎ澄まそうとするが、途端に体中に狼が躍りかかり、爆発が乱舞してゲルニカを殺しにかかる。
辛うじて11度の爆発を耐え抜いた。
しかし、視界の先―――知覚の届かない程の距離の向こう側で、赤い光がチラと揺れる。
次の瞬間―――
赤い光が―――木々の間を縫って―――雷のような速度で―――残光を残し―――
ゲルニカの首を引き千切った。
闘牛に良く似た、魔物の王の1匹であるゲルニカ。その最後に見た物は……深紅の炎を纏った神狼の“黄金の瞳”だった―――…。
* * *
アブソリュートドラゴン。
現れれば、世界規模の危機となるキング級の魔物の1体。
生物の頂点であるドラゴンを模した魔物。
現存するドラゴンは最大でも10mを少し超す程度。それに対して、アブソリュートドラゴンは30mを越える巨大な体だ。
その翼で空を舞うだけで、竜巻のような風が辺りを襲い、戦いとなればその力は圧倒的。世に災厄と呼ばれる、4匹の竜に匹敵する程の紛れもない怪物である。
その怪物は今―――追い詰められていた。
何処までも広がる空がバトルフィールド。
相対するのは―――深紅の龍。
竜ではなく、龍だ。
蛇のように長い体をうねらせて、「己こそが空の支配者だ」とでも言うように軽やかに……そしてアブソリュートドラゴンの飛行速度を上回る、とてつもない速度で飛ぶ。
その“青い瞳”は、敵であるアブソリュートドラゴンから離れる事はなく、その一挙手一投足の全てを捉えている。
体のサイズで言えばアブソリュートドラゴンの方が倍以上の大きさがある。大きさと体重がそのままパワーに乗る事を考えれば、力負けする事なんてまず有り得ない話だった。
だと言うのに―――深紅の龍に追い込まれて居た。
振り下ろす爪も牙も、深紅の龍の鱗に阻まれ、尻尾で叩き落とそうとすれば、ヒラリとかわされて逆に尻尾で体が歪む程の威力で返される。
アブソリュートドラゴンの周囲には、竜巻のような風が常に起こっている。それなのに…深紅の龍はお構いなしに風を切り裂いて飛ぶ。
空中での勝負はどう考えてもアブソリュートドラゴンに分が悪い。
深紅の龍に好きなように飛び回られては、状況が悪くなるばかりだ。力技でもなんでも、地面に叩き落とす事が先決。そう決めた後の動きは早い。
即座に龍を自分の下に潜る様に攻撃して誘い込み、下に来た途端に急降下しながらその体を、体重とパワーで捉えて地面に向かって―――次の瞬間、龍がアブソリュートドラゴンに向かって口を開く。その口内には、赤と黒の入り混じった光―――
――― 炎熱の息吹と龍の息吹の掛け合わせ
龍の体を捉えようと近付いていたアブソリュートドラゴンは、放たれた光の直撃を受ける。
逃れようにも、もう遅い。1度光に呑まれれば、転移能力でもない限りはブレスが吐き終わるまで逃れる事は出来ない。
黒い光は分解の光。体を覆う最強の鎧である竜の鱗を容赦なく魔素へと分解し、肉体の内側に侵入して竜の体を凄まじい勢いで魔素に還す。
赤い光は炎熱の光。灼熱の業火が全てを焼き溶かす。しかし、竜種にはデフォルトで炎熱の強い耐性が備わっている。そしてそれは、竜種の模造品であるアブソリュートドラゴンも同じ。……だが、赤い光には黒い分解の光が混じっている。故に耐性効果を分解し、無理矢理炎熱の効果を捻じ込んで竜の体を焼く。
2秒のブレスの放射を浴びて、アブソリュートドラゴンに終わりが訪れる。
体の半分をブレスで消し飛ばされ、肉体の維持が出来なくなって空中で残っていた半分が弾け、花火のように空に黒い花を咲かせる。
「クェアアアアアアッ!!」
青い瞳の神龍は、勝利を主である少年に捧げるように高らかに吼えた―――。