8-31 変化
かぐやを取り戻せなかった事は悔しいが、まだ戦いが終わった訳ではないので、気持ちを切り替えて立て直す。
睨んでいた“阿久津良太”から視線を切る。
アークにとっては、確実に叩き潰さなければならない筆頭の相手だが、今は仲間の方が心配だ。
「アーク様!」
「おう」
右肩に痛々しい傷を作ったフィリスが駆け寄るや否や、抱きつこうとして、自分の行動に気付いて、耳を真っ赤にして一歩下がる。
「大丈夫か? 色々と…」
「は、はい! 問題ありません!」
フィリスの答えに若干首を傾げながらも一応納得する。
「そうか、無事で良かった」
「それはコチラのセリフです。いったい今までどこに行ってらしたのですか?」
「図書委員の所」
「は…?」
アークの言った事を呑み込めずにクエスチョンマークを浮かべるフィリスを一先ず置いておき、先程まで足裏でプレスされかけていたガゼルの元へ向かう。
体を半分地面に埋めて、竜人の姿のガゼルは、恨めしげに自分を覗き込むアークを睨む。
「来るのが遅えって…」
「悪い、森の中に逃げた亜人達を追っかけてた魔物を殺してたら、少し遅くなった」
アークが手を差し出すと、先程までの足を受け止める事で力を根こそぎ使い切ってしまったのか、腕を上げようとしても上がらない。
それを察して、アークの方が手を伸ばして無理矢理ガゼルの腕を掴んで引っ張り起こす。
「大丈夫か?」
「あんまり…」
「ですよね」
見るからに無事じゃないのはパッと見ですでにアークにも分かっていたが、ガゼル自身がそれを肯定したとなると、相当危ないラインまで追い詰められていたようだ。
間に合って良かった、と安堵の息を吐くと、後ろから誰かに抱きつかれた。
「ショタ君!」
「……だから、誰がショタだよ…」
先程助けた浴衣姿に眼鏡の女性…真希だった。
何とか剥がそうとするが、なかなか素直に離れてくれず、かと言って後ろ手では、変な場所を触りそうで恐くて力付くでは剥がせない。
そして濡れた浴衣越しの女性の感触が、アークの理性を掻き乱す。
それを見兼ねて、フィリスが横から「アーク様から離れろ!」と湯気でもあげそうな勢いで怒りながら真希を離す。
「ええっと……とりあえず、誰ですか…?」
「君がアーク君ね?」
「え? ああ、はいそうです。」
「私は真希、泉谷真希よ。貴方と同じ、異世界人でクイーン級」
「ああ、貴女が! 噂は聞いてます」
フッと真希の顔が真剣になって、アークの体を舐め上げるように上から下に…下から上にと眺める。そしてポツリと…。
「………アリだわ…」
「は?」
「……ギリギリだけどいける……! ……ショタ万歳!」
真希の放つ、不穏な視線と空気を感じてアークがさり気無く視線を逸らして、真希から距離をとる。
ジリジリと近付いて来る真希を、フィリスが割って入って遮る。
「ところで、うちのパンドラと白雪知らん? 森の中を逃げてた亜人の中にも、アルフェイルにも居なかったんだけど? もしかして、元々ここに居なかった?」
「え? ……いえ、おそらく兄様が皆と一緒に逃がしたと思うのですが…?」
アーク達のそんな会話が聞こえていたのか、エスぺリアがクスクスと皆に聞こえるように笑う。
何を笑っているのかと気になって視線を向けると、自分の影の中に手を突っ込んで何かを引っ張り出していた。
病的なまでに白い女性の手―――そしてそれを包むメイド服。
「あ、パンドラだ。手品みてえな事すんな…」
「パンドラ!?」「パンドラちゃん!?」「影からメイドが出て来た…?」
それぞれに反応を示したが、影から“取り出された”本人は目を瞑ったままで、欠片も目を覚ます様子がない。
そして、そのエプロンドレスにしがみ付くように意識を失っている緑髪の小さな妖精。
「白雪も居るじゃん。何、アイツ等もしかして捕まってる感じ?」
「アーク様、もう少し慌てて下さい!?」「お前、仲間捕まってるのにどんだけ余裕なんだ!?」
「いや…そう言われてもな…」
アークが少しだけ困った顔をしていると、エスぺリアがサドっ気全開の笑顔を浮かべながら、片腕でパンドラの首を掴み、もう片方の腕で白雪の体を握る。
「坊やぁ、少しは強くなったみたいだけどぉ、そのまま大人しくしていてねぇ? いやぁん、ダメダメぇ! 他の人達もぉ、動いたらダァメ」
両腕に力を込めてみせる。
パンドラの首元がミシッと嫌な音をたて、白雪が気を失ったまま「うぅ…」と呻く。
それを見て、皆が動きを止める。
相手が無防備になったのを見逃す筈も無く、先程まで下半身だけになっていたガランジャが立ち上がって迫る。
――― だが、止まらなかった人間が1人。
「なあ?」
アークは、近しい2人を人質にとられている状況も構わずに、いつも通りの若干軽めの口調で話し続ける。
「あらぁん? 聞こえなかったかしらぁ?」
更に力を込めるエスぺリアを無視して、アークは一歩踏み出す。
「クエスチョンだ」
「はぁ?」
「素直に2人を放すのと、両手を潰されて取り返されるの、どっちが良い?」
「なにをぉ、言ってるのかなぁ? 混乱してぇ―――」
「じゃあ、後者で良いな?」
アークの顔からフッと表情が消える。
エスぺリアの判断は早い。アークが強気なのは、自分が人質を殺すつもりが無いと思っているからだと察し、片方を殺して見せる事にする。
どちらを残しても良いが、握ったまま動ける妖精の方が後々楽だろうと、メイドの方の首をへし折る事にする。
首を握る腕に力を込めて、一気に…
――― グチャッ
一瞬の出来事だった。
エスぺリアが腕に力を込めようとしても、力が入らない。
当たり前だ。
パンドラの首を握っている方の肩が、握り潰されているのだから―――。
「ぃっぎゃああああああああっ!!!!」
その肩を握っているのは、先程まで10m以上離れた場所に居た筈のアークだった。
転移の予兆はなかった。高速移動にしても、エスぺリアが所持する多彩な感知能力を全て擦り抜けるなんて不可能に近い。
だが、現に銀色の髪の小さな少年は、瞬き1つの時間より早くエスぺリアとの間合いを詰めて見せた。
そして、彼女の肩を、まるで豆腐でも握り潰すかのように粉々に…骨や肉の原型が分からなくなる程に潰した。
「ああああああああぁぁぁぁああっ!!!! 離れろぉおおッ、糞餓鬼イイイイイイ!!!」
痛みと…そして、目の前の得体のしれない力を振るうアークへの恐怖心が冷静な判断を奪い、訳も分からずとにかく引き剥がそうと、白雪を握っている残った片腕を振り回す。
その腕を無表情に掴む。
「返して貰うぞ」
――― グシャ
「ぎぁあああああああああああっ!!!」
握り潰した腕が、エスぺリアの意思を離れて勝手に手の平を開き、白雪を放り出す。アークはそれを待っていた、とばかり衝撃を与えないように優しく受け止めて、大事に大事に胸に抱く。
2人を無事に救出して、安堵の息を吐く。
「ぁあああああ!!! 餓鬼がっ、私のぉおおおお、私の体を傷付けやがってええええ!!」
癇癪を起したようにキーキー猿のように騒ぐエスぺリアの声が不快で仕方ない。
エスぺリアが自分の影の中から魔物を引っ張り出そうとしているのが更にアークの神経を逆撫でする。
「鬱陶しいんだよババア」
エスぺリアの足を掴む。
「せー…」
ハンマー投げの要領で、そのまま一回転―――
「の」
ガゼル達を狙って動いて居たガランジャに向かって、人間砲弾を投げる。
「いやあああああああーーーー!!!」
ガランジャの首を吹ッ飛ばすつもりで投げたが、衝突する前に巨体が飛んで来たエスぺリアをキャッチしてしまった。
「ふむ…なるほど。≪赤≫よ、貴様が我等を脅かす程の強さを手にした事を認めなければならないようだ」
「あっそ。どうでも良いよ」