8-30 ≪赤≫は舞い戻る
銀色の髪に、異世界では再現できない鮮やかな赤いパーカーを着た少年。
首からは魔晶石で作られたクイーンの駒と、月の装飾の施された指輪を下げ、腰には剣の収まっていない空っぽの鞘。
靴を履かずに、白く小さい足でペタペタと地面を歩くその姿は、紛れもなくアークだった。
「アーク…!?」「アーク様っ!!?」「≪赤≫いの…」
その場に居る全員からの注目を集めながら、戦場に辿り着いた第一声は…。
「よう」
状況に似合わない平時と同じ挨拶をしたが、まったく返事が来ない。敵である者達は元より、ガゼル達もそんな余裕はないのだから当たり前だった。
その様子に溜息を1回。
「はぁ…。おい、この状態じゃ話も出来ねえ。一旦全員離れろ」
後から来たくせに何様だ!? とどこからかツッコミが聞こえてきそうな事を言って、グルッと辺りを見回す。
巨人に潰されかけているガゼル。
窒息させられそうになっている浴衣の女。
地面に押さえつけられているフィリス。
“阿久津良太”と向き合うルナ。
差し当たって、急を要するのはガゼルと浴衣女の2人―――…。
「嫌だと言ったら?」
そう答えたのはガランジャ。
アークの視線を受けて、まるで見せ付けるように更にガゼルの上の足に力を込める。
「嫌だと言ったら…ね」
ふむ…と何かを考えるような素振りを見せたと思った次の瞬間、ズンっと地響きのような音と共にその姿が消え、その場には割れた地面と足型にへこんだ地面だけが残る。
(何が起こった…?)
ガランジャが事態を理解した時には、アークはすでにその巨体の足元で蹴りを振り被っている。
だがガランジャは慌てない。
≪赤≫の能力値は知っている。魔素体となった自分にダメージを与える程の膂力はない。炎熱に関しても完全耐性を備えているのでダメージは、ほぼ通らない。
物理と炎熱が脅威で無い以上、それ以外の攻撃を持たない≪赤≫はガランジャにとっては完全に戦力外だった。
しかも、≪赤≫の蹴りはあまりにもゆっくりで、まるで「避けて下さい」と言っているようだった。
(おそらく、蹴りに注意を向ける事で、竜人を踏んでいる足から少しでも力を抜かせようとしているのだろう…)
そう判断し、その蹴りは無視する事にする。避けようと足を退かせばガゼルが自由になって≪赤≫の思う壺。防御しようと体勢を変えれば、踏んでいる足からガゼルが抜けるかもしれない。
つまり、蹴りは無視して受けるのが正解。どうせ食らってもまともなダメージは受けないのだから…。
そう、たとえ、その蹴りで膝から下が消し飛んだとしても―――
「……ぇ…?」
ガランジャの体が、体重をかけていた足を失って傾く。
事態を呑み込めない意思とは無関係に、体が勝手に体勢を立て直そうと地面に出刃包丁のような剣を突き立てる。体が安定して安堵の息を吐く…と同時に、腹に衝撃―――…。
≪赤≫の小さくて細い、子供のような拳。
5mを超すガランジャに比べれば、豆粒のようなその拳が腹に減り込み―――凄まじい衝撃が波紋のように全身に広がる。
「グ…ガぁッ―――!!!?」
風船が割れるように、あまりにも簡単にガランジャの上半身が文字通り“弾け飛ぶ”。残っていた片足を半分失った下半身が、ボールのように吹き飛んで太い幹にブチ当たって地面に落ちる。
地面に転がった、壊れた人形のような下半身。すぐさま周囲の魔素を吸収して、元通りの肉体を作り上げようとするが、ダメージが大き過ぎるからか再生が中々終わらない。
「嫌だと言ったら? バカかテメエは?」
ようやく耳の部分まで再生の終わった巨人に、微かに赤い光を帯びた突き刺すような視線を叩きつけながら言葉を続ける。
「テメエ等に拒否権なんかねえよ」
顔を動かして、狂気にも似た恐ろしさと危険さを相手に感じさせる瞳をエスぺリアに向ける。
「あらぁん? 坊やってばぁ、ちょぉっと、強くなっ―――」
「【告死の魔眼】」
エスぺリアの軽口を無視して、異能を発動する。
真希の影の中で、何かがパキンッと割れる音が何度か続き、音が鳴る度に真希を拘束する魔物の手が減る。
後頭部を押さえていた手と、真希の声を封じていた魔物の手が剥がれると同時に、首を横に振ってエスぺリアの手から逃れ、呼吸のままなら無い状態のまま魔法を唱える。
「【シャイニングフレア】!」
「いやぁん」
白く輝く熱の放射―――それを影から出した魔物を盾にして飛び退く。
「はぁはぁはぁ……あ、ありがとうショタッ子!」
「誰がショタだ…」
心底嫌そうな顔で返しながら、今度はフィリスを押さえている2人を狙う。
小さいエルフの方は、あんまり戦う気がなさそうに見えた。なので、とりあえずは殺さないように攻撃する。
炎の壁―――。
小さな体を取り囲むように、上下左右を炎で区切る。逃がさない為の炎の檻。
中に囚われたエルフの少女が、転移の光に包まれる。
だが、それは許さない。
「転移すると死ぬぞ」
「…!」
炎には“転移誘導”を付与してある為、転移をした途端に炎の中に放り出されて丸焦げになる。
少女もそれに気付いて転移を中断して、檻の中で大人しくなる。
残ったのは黒い髪と瞳の異世界人。≪白≫の継承者、秋峰かぐや。
彼女とは戦うつもりは毛頭ない。
だが、やるべき事…言うべき事は言う。
「おい、カグ―――」
「…くるなっ!!」
まるで、アークが近付く事を恐れる様に、その言葉を嫌がる様に風を起こして吹き飛ばそうとする。
風の強さが、そのまま自身への拒否だと理解する。だが、その強い拒否反応を無視してアークはかぐやに向かって歩く。
「こないでっ!!」
風が更に強くなる―――前に、一足飛びでかぐやの前まで間合いを詰める。
息使いが分かる程の距離。
ハッとなったかぐやが、風の力を借りて後ろに飛ぼうとするのを両手を掴んで止める。
「は、離して!」
嫌がるかぐやの目を覗き込む。
久しくこんな近くで顔を見てないな…。と呑気な事を思いつつ、“いつも通り”に言う。
変に気追う事も無く、言葉を飾る必要も無い。
いつも通りに…阿久津良太が、秋峰かぐやが何かやらかした時に言うそのままに言う。
「カグ」
「何よ……!」
「お前、何やってんの?」
少しだけ怒ったように、そしてそれ以上に呆れたように。
アークの“阿久津良太”として聞かせた言葉に、かぐやの瞳の奥で何かが揺らぐ。
考える事を禁じられていたかぐやの思考が、目の前の小さな銀髪の男の子が誰なのかを、改めて考えようとしている。
支配の鎖が、確実にアークの言葉で綻んだ。
「………だ、れ……なの?」
苦しそうに頭を押さえる。
「誰だと思うよ?」
「……リョー…タ……?」
かぐやの目が、アークの事を幼馴染の少年として見た。
だが、次の瞬間―――掴んで居たかぐやの手が、アークの手をすり抜けて消える。
「カグ!?」
――― 強制転移
やった人間は考えるまでもない。
アークは、親の敵のような怒りに満ちた視線を“阿久津良太”に突き刺す。
「あまり、うちの幼馴染を惑わせないでくれるかな?」
「テメェ、本気でぶち殺すぞ…!?」