8-26 絶望は迫り
良太の命令を受けて、全員が同時に動きだす。
ガランジャが巨大な出刃包丁を振り被ってガゼルを両断しようとする。
「ふんっ!」
「ちっ…」
しかし、それを素直に受けてやる程ガゼルも間抜けではなく、今までの斬り合いでガランジャの速度に慣れて来たのもあって、瞬間的な余裕を持ってその攻撃を避けると、即座に出刃包丁の間合いの内側に飛び込み槍を振り被る。
「お返しだ!!」
槍を投擲しようとした瞬間、下の方からゾクリとした感覚が襲って来る。
――― エグゼルドが口を開いてブレスを吐きだした
「くっ――!!?」
“分解”のエネルギーの塊である黒い光を、槍を投げる体勢に入っているガゼルに向かって吐き出す。
竜の息吹が防御不能である事は、実際に使っているガゼルが1番良く知っている。まして今目の前に迫るのは、竜と人の混ざり者である自分の使う紛い物ではなく、正真正銘本物のドラゴンの…しかもその最上位である4匹のうちの1匹が放つブレスだ。いくら竜の鱗で体を護られているとは言え、直撃は死を意味する。
体勢の立て直しもせずに、翼で空気を叩いてその場から離脱する。
ガゼルのコンマ1秒前まで居た空間を黒い光が通り過ぎ、その射線の先に居たガランジャの肩を撃ち抜く。
「むぅ…!」
同士撃ち―――だが、それもガランジャ達には織り込み済み。分解された肩が【自己再生】によって即座に修復されて、ダメージが無かった事にされる。
一方ブレスの放射は、飛行速度を上げたガゼルを追うように森の中を縦横無尽に駆け回って木々を薙ぎ倒す。
「ちぃっ! 勘弁しろよ!?」
逃げても逃げても黒い光がすぐ後ろを追い掛けて来る。
こうして相手に撃たれると、自分がどれだけ強力な力を振り回しているのかを実感してしまう。
とは言え、竜人の肺活量はそこまで人と大差ないので、こんなに長い時間ブレスを吐き続けられない。純粋な竜種と人との混ざり者との差は、こう言ったところでも大きい。
1分程逃げ回ったところで、ブレスの光が少しだけ弱くなる。
ここが反撃のチャンスか! と切り返して空気を肺に入れる。最大出力のブレスの撃ち合いならガゼルに勝ち目はない。だが、息が切れて威力が下降線になったブレスならどうだろう?
(押し切れる可能性は十分にある!)
口を開き、喉の奥からエネルギーの奔流が溢れ出る―――その瞬間、横合いから巨大な何かが襲って来る。
魔素で形作られた真っ黒で巨大なメイス。
(しまった!? コイツへの警戒が―――!?)
と思った次の瞬間、その直撃を受けて体が軋む。
竜の鱗を持ってしても受け切る事が出来ない、圧倒的なスピードとパワーの物理攻撃。
メイスと言っても大きさはガゼルの全身よりも大きく、部分的なダメージではなく全身に叩き付けられた衝撃。
体よりも軟い翼が拉げ、体の内側から骨がへし折れる音が頭の中に響き渡る。
吐こうとしていたブレスの残滓の黒い光と共に、真っ赤な血が口から吐き出されて空中に飛び散る。
蠅叩きで落とされた虫のように、力無く地面に落ちる。
「ゲホっ…くっそ……俺とした事が……しく…じった……」
たった一撃。
下手をすれば、現クイーン級冒険者の中で最強とも言える男が、たった一撃で地面に沈んだ。
圧倒的で、絶望的な力の差―――…。
「ふん、手間を取らせる」
メイスに付いたガゼルの血を振って払いながら、10mを超す巨人がトドメを刺そうと近付く。
「まだ……だ…っ!」
槍を支えにして立ち上がる。が、足がガクガクと意思を無視して震え、視界が暗くなって良く視えない。耳の奥で耳触りな甲高い音が鳴り響いているようで、頭が痛い。
「流石竜人だな? 人の形を保っているだけでも称賛に値すると言うのに、その上立ち上がって来るとはな」
立ち上がったまでは良いが、体に力が入らない。
翼は折れて使い物にならないし、足一歩でも動かしたら力尽きて倒れる自信があった。
そのガゼルの様子を見て…と言うか、先程ブレスに追いかけられていた時から、ずっと助けに入るタイミングを計っていた真希だったが、身動きが取れない状況になっていた。
「あらあらぁ、ダメよぉ邪魔しちゃぁ?」
目の前にピンク色の髪の女が居るからだ。
「邪魔なのはお前だ」と言う言葉を省いて即座に攻撃に移る。問答する時間が惜しい程ガゼルがヤバいのを理解しているからだ。
「【グラムサーキュラー】!」
「あらぁん?」
真希を頭上に光の円が描かれ、円の外側が輝く粒子を撒き散らしながら回転する。
コチラの世界には存在しない、回転のこぎりを思い出させるような魔法。それを、指先の動きで操ってエスぺリアに飛ばす。
当たれば体を真っ二つにするような魔法をあえて選んだのは、先程戦ったショタの仲間なら魔法無効や、防御スキルを備えていると警戒したからだ。
「いやぁん」
やたら演技っぽい恐がり方で体をくねらせると、その影がグニョンッと歪み、影の中から魔物の腕が伸びて回転のこぎりをキャッチして、そのまま握り潰す。
「魔物の腕……?」
仕事を終えた魔物の腕は、エスぺリアの影の中に引っ込んで、影の形が元通りになる。
「随分面白い影だな?」
「そう? それならぁ、貴女にもあげるわぁ」
「え?」
何を言っているんだ? と頭に疑問が浮かんだ時には、真希の影が歪み、影の中から無数の魔物の腕が伸びて真希を掴む。
「……!?」
魔法を唱えて振り払おうとして気付く、
――― 声が出ない!?
「うふふ、気が付いたかしらぁ? 貴女の右腕を掴んで居るのはぁ、相手の声を奪うとっても面白い魔物なのよぉ?」
立場上色んな魔物にエンカウントした事のある真希だが、そんな能力を持った魔物は会った事もないし、聞いた事も無い。
だが、真希にとっての天敵である事は変わらない。声を奪われると言う事は、魔法を封じられた事と同義だ。
真希の手や足を掴んでいる魔物の手は、鉄でも握り潰しそうな力を出している。今は【アースガルズ】の効果が持続しているから無傷で済んでいるが、魔法が解けたらその瞬間に両手両足をへし折られて、首を絞めにかかっている悪魔のような異形の手に殺されるだろう。
(ヤバいよ……何とかしないと!?)
声を奪う魔物の腕だけでも外せれば、後は魔法でどうとでもなる。現在右腕を掴んでいる魔物の腕は4本。そのうち1本が問題の腕なのだが、全身を拘束された状態で運動音痴な上、身体能力凡人以下の真希が抜けだすのは絶望的だった。
頼みの綱のフィリスは、小さなエルフの少女と対峙していた。
フィリスは動けない。目の前の小さなエルフ…恐らく自分の半分も生きていないだろうその少女が、明らかに自分の3倍は強いと理解できていたから。
小さなエルフ―――エメルは動かない。
殺そうと思えばいつでも殺せるが、自分は積極的に攻撃に参加する必要はないと主である少年に言われていたからだ。
だから、フィリスの目の前に立って虚ろな目で見ているだけ。攻撃には参加しないが、変に動かれても鬱陶しいので、睨みを利かせている。
「お前はエルフだろう!? 何故、あのような奴等に協力している!?」
「………あのよう…な? ……アナタも…人に…力を……貸してる」
と、チラッと横目でエスぺリアに捕まった真希を見る。
「それが里や森を守る最善だからだ! だが、お前がしている事は―――」
「………どうでも……いい…」
「何…?」
「…アナタが……私を……どう、思おうと…どうでも…いい。私は……頭首様…に、尽くす…だけ、だから」
考える事を放棄している。
ただただ盲信的に主と定めた者に仕えているその姿は、少しだけだがフィリスも共感出来た…出来てしまった。自分がアークに仕える気持ちと似ている、と。
だが、それでも…妖精の森を襲った≪青≫の仲間だと言うのなら、見逃す理由はない。
詠唱を開始しようとした瞬間、頬に微かな痛みが走り血が流れた。
「…え?」
その事実を認識し、目の前のエルフの少女に目を向けると、いつの間にか自分に向けて指先を向けていた。
「……大人しく……していて……次は……目を貫く………」
少女の指先には、見えづらいが極細の針が挟んであった。
どうやら、頬の傷はあの針を投げられた事でついたらしいと理解する。もっとも、投げる動作を全く見えなかった事から考えてても、力量差は圧倒的だ。
フィリスは動けない。
ダメージを負う事は覚悟している。だが、ダメージ覚悟で魔法を唱えて、この場を好転させられる気がしない。それどころか、状況が悪くなる予感ばかりが大きくなる。