8-25 悪意の主
魔竜エグゼルド。
黒き鱗の、魔素を自在に操る巨大な竜。世に4竜と恐れられる強大な力を持つ竜の一体。
「おぉー、流石異世界。初めてドラゴン見た」
観光地でも眺める様にドラゴンを見上げながら、呑気な感想を漏らす真希。対照的に強張った顔で恐怖心と戦っているフィリス。
「ダメだ…アイツと戦ってはダメだ!」
「フィリスちゃん?」
「奴は…あの魔竜はアーク様でなければ……!!」
亜人戦争の真っただ中、亜人に襲いかかったエグゼルドを討伐したのは当時の≪赤≫の継承者であり“炎使い”であったアリア。
そして、ドラゴンゾンビとして蘇ったエグゼルドを倒したのは現代の≪赤≫の継承者であるアーク。
フィリスだけでなく、話を知る全ての亜人が≪赤≫のイメージの1つとして竜殺しを抱いている。
だからこそ、今この場に強者である真希やガゼルが居るにも関わらず、アークが居ない事が不安で不安で仕方無かった。
「あのドラゴンは知り合い?」
「………つい先日、アーク様が倒した奴だ」
「噂のショタ君が? ガゼルはあの黒い巨人にかかりっきりだし、この黒いドラゴンは私等で何とかするしかないかなぁ…」
アークの居ない状況で、かつてこの森を蹂躙したこのドラゴンと相対するのは精神的にかなりシンドイ。
とは言え、今は自分達で乗り切る以外の道がない。
「ヨシ」と気合を入れ直し、改めて忌まわしい竜の姿を観察する。すると、何か違和感を感じた。
(コイツ…こんなに物静かだったか……?)
先日森の中で戦った時には、もっと人や亜人を下等な存在と見下して高笑いしているような印象があったのだが…今は口を閉じてジッとしている。
心此処に在らず。と言うより…まるでガワだけを取り繕った人形のようだ。
その違和感に答えをくれたのは、エグゼルドに負けず劣らず巨大な体のガランジャだった。
「エスぺリア、その竜はお前の新しい手下か?」
「あらぁん、手下なんて汚ぁい言い方嫌だわぁ? ちゃんとぉ下僕って言って欲しいわぁ」
声のした方を見ると、そこで初めて真希達はエグゼルドの背にピンク色の髪をした女が乗っているのに気が付いた。別に真希やフィリスが鈍かった訳ではなく、ただ単に大きな翼が邪魔で見えなかったと言うだけだ。
「あの女は…!」
妖精の森跡地での戦いで水野を連れ去った連中のうちの1人。
それに気付いたガゼルが、ガランジャの剣をギリギリでかわしながら声をかけてみた。
「やあ、また会ったね? やっぱり俺とディナーに行きたくなっちゃったかな?」
「いやぁん。私が一緒する男性わぁ頭首様1人よぉ」
言うと、その場でトンっと足を鳴らす。エグゼルドに背に居るので、当然その背を踏みつける形になるのだが、当の踏まれた本人…本竜は怒るような事も、嫌がるような事もなく静かに口を開く。
『…あ…か! ≪赤≫……を!!』
「はいはぁい。ちゃぁんと、私の言葉を聞いていればぁ、貴方のだぁい好きなぁ≪赤≫の坊やとぉ戦わせてあげまちゅからねぇ?」
『ぉ…おおお…!! ≪赤≫……忌々し…い…!!』
熱に浮かされたように喉から声を絞り出し、≪赤≫との戦いを想像したのか、口からブレスの黒い光が漏れている。
その竜種の姿を横目で見て、思わずガゼルは溜息を吐いた。
と言うのも、竜人のルーツとなる人と交わった竜は、4竜のうちの1匹だと出身の島で聞かされていたからだ。
もしかしたら、目の前の精神を人に握られているっぽい黒い竜が自分のご先祖様の可能性があるのかと思うと、ちょっとだけ引っ叩いてやりたい気分だ。
「さぁさぁ、頭首様がぁ居らっしゃる前にぃ、邪魔者は処理しなきゃねぇ」
「そうだな。このような者達を生かして置くのは、不敬とも言える。こやつ等は早々に首だけにし、捧げ物としよう」
物騒な事を言いながら、ガランジャは武器を大剣を出刃包丁のような剣に、短剣をメイスに切り替える。それに応じて、エスぺリアがエグゼルドに今すぐにでも襲いかかれるように命令を出す。
完全に殺る気だ。
今までだって決して手を抜いていた訳ではないが、“頭首”の言葉に反応して明らかに火が付いている。
対するガゼル達も、気を引き締める。
真希が1人撃破していると言うのに、状況がまったく好転しないどころか、追い込まれているのが3人には良く分かった。
ガランジャとエスぺリアと魔竜エグゼルド。正直手に余るどころの戦力差ではない。本来なら背中を向けて全速力で逃げ出すレベルだ。
だがフィリスには逃げる選択肢はない。ここで仕留めなければ、森と里…そして亜人の皆に目の前の者達が襲いかかる可能性があるからだ。
そしてガゼルと真希も逃げる気は欠片もなかった。2人はクイーン級としての研ぎ澄まされた感覚で何となく理解していた。
“コイツ等は、ここで潰して置かなければいずれ世界規模のダメージを受ける”と。
お互いが睨み合い、誰かが動きだすのを牽制し合う。
先手を取りたくもあるが、それ以上にカウンターが恐い。焦れて手を出した奴が相手の攻撃の的になるのは目に見えている。
エスぺリアとガランジャはすでに勝利を確信している。ガゼル達が森に来た時点ですでに自分達の勝利は約束されているのだから当たり前だ。
だからこそ、彼らが今問題にしているのは、いかに完璧に、そして速やかに勝利を得るか、だ。だが、だからと言ってガゼル達を過小評価する程彼等は馬鹿ではない。勝てる相手であろうとも、警戒を怠らず頭首に使える者として恥ずかしくない勝利を得る。
だが、その睨み合いはすぐに終わった―――。
「エスぺリア、ガランジャ、2人共手を止めろ」
特に何かを警戒する事もなく、隻眼の男がヒョッコリと現れて牽制している2組みの間に立つ。
戦いを中断されたガランジャが不満を隠そうともせずに口にする。
「ブランゼか…どう言うつもりだ?」
「どうもこうもない。ここにもうすぐ≪青≫達が戻ってくる」
「あらぁ? だったらぁ、その前に始末するべきじゃなぁい?」
「それに関しては私も異論はない。だがその前に―――」
ブランゼが何も無い…誰も居ない空間に向かって最大限の礼を持って頭を下げる。
その行動を見たガランジャ達は、その意味を即座に察して同じように誰も居ない空間に向かって頭を下げる。
(……これは、攻撃して良いのか?)
ガゼルは、あまりにも無防備な姿を見せられたものだから、何かの罠かと攻撃する事を躊躇ってしまった。
一方真希は、転移を識別する探知魔法によって即座に何かが、“そこ”に現れようとしているのに気付く。
(転移…? 誰か来る?)
その考えは当たり、空間がグニャリと一瞬だけ歪んで黒髪の少年と小さなエルフの少女が現れた。
阿久津良太とエメルの2人。
確かに1秒前まではそこに居なかった筈なのに、何故かずっと其処に立っていたと錯覚してしまう程、2人は自然な雰囲気と姿でそこに居た。
「頭首、わざわざご足労を―――」
「そんな事は良い。それより、≪黒≫は?」
「もうすぐコチラに」
「では暫くは待ちか…。それならば、其方の諸君には自己紹介くらいしておこうかな?」
配下の者達から視線を切って、動きを止めていたガゼル達に向き直る。
良太の視線を向けられただけで、ガゼル達は心臓が跳ね上がる程緊張した。
手の平の汗腺が勝手に開いて汗を垂れ流し、恐怖心にも近い何かが指先1つ動く事を許さない。
気をしっかり持たなければ、今すぐに平伏してしまいそうな……そんな神の如き気配をその少年は纏っていた。
そんな呪縛を振り払うように、ガゼルはユックリと口を開く。
「……お前、確か妖精の森での戦いにも来てたよな?」
「ああ。あの時にも名乗ったが、初めましての人間も居るようだし、もう一度名乗っておこう。俺が阿久津良太だ」
「日本人の名前…って事は、やっぱり見た目通りの異世界人なのね?」
同じ髪と瞳の色の真希が率直に聞いてみた。正直、それだけの事を口にするのに、かなりの勇気が必要だった。上手く説明出来ないが、目の前の高校生ぐらいに見える少年が恐くてしかたない。能力が高いとか、強いとか、そう言う話ではなく、得体がしれない…と言う意味で。
「君は…? ああ、噂の魔法を使う異世界人の冒険者か。噂だけは聞いているよ」
「貴方がそこにいる連中のボスって事で良いの?」
真希の問いに「ボス?」と一瞬何かを迷うような素振りを見せたが、結局答えは肯定だった。
「まあ、そう取って貰って構わないよ」
「じゃあ、貴方が神器や亜人を狩らせて居たって事で良いのかしら?」
「そうだな。亜人の方は水野君が勝手にやっていた事だが、神器の方は俺の命令でやらせていたよ」
いやにペラペラ話すのは、どうせこの場で殺すつもりだからだろう。
だが、ただで殺されてやる理由はない。
ガゼルと真希は視線をかわす。お互いが精神を立て直した事を理解して、戦闘態勢に入る。フィリスはまだ立ち直っていないので、暫くは守って立ち回るしかない。
「そう、それならクイーン級の冒険者として、貴方は見逃せない!」
「ま、そう言う事だ。覚悟決めてくれるかな? アクツリョウタ君とやら」
「ふっふふ…これだけの戦力差を見ても、心折れずに戦おうと言うのか? 素晴らしいな君達の正義感は?」
良太は手を上げて、スッとガゼル達に向けて振る。
何かをした訳ではなく、配下の者達への攻撃の合図―――…。
「だが、悲しいかな、君達は無力だ」