8-1 忍び寄る混沌
黒髪の少年―――阿久津良太は1人で呟く。
「………ちっ、やられたな…」
イラついたように机を叩くと、その音に反応して扉が開いて配下の者が顔を出す。
「頭首、どうなされました?」
隻眼の男…副官を任せているブランゼが特に心配した風もなく顔をみせる。別に呼ぶ為に音をたてた訳でもないし、ブランゼもそれは分かっている。ただ、普段はしない音がしたので一応覗いてみた、と言うだけの話だ。
だが、丁度良いと良太はブランゼを部屋の中に呼ぶ。
「計画の変更だ」
「……何かあったのですか?」
ブランゼの把握している限り、頭首たる目の前の少年の計画は順調過ぎる程順調だった筈だ。
もっと言えば、王手までもう一息のところまで行っていたのではなかったか?
それ故に、計画の変更と言われれば聞き返さずには居られなかった。
すると、机に足を投げ出し、溜息を吐き出すように語る。
「≪赤≫が消えた」
「は?」
「≪赤≫の反応が世界のどこにも無いんだよ…!」
イラつき紛れに机の上にあった本の山を蹴り崩す。
「死んだのですか?」
「まさか。肉体が朽ちても、魔神の力は世界に残る。つまり、≪赤≫を体に抱えたまま、あのガキがこの世界とは別の…どこかへ行ってしまった、と言う事だ」
「例の異世界…ですか?」
「それこそまさか、だ。原色の魔神はこの世界に鎖で繋がれている、異世界の“隔たりの壁”は越えられん」
「では…いったい何処に?」
ブランゼの問い返しに、舌打ちで返す。
良太にも、どこへ行ったかは分からない…と言う事らしい。それを察して、この話題を切って次の行動の話へ移す。
「それで、計画はどのように変更を?」
「≪赤≫が居なくなるのは想定外だが、仕方ない…例の方法でいくか」
「長い時間をかけて、“アレ”を貯めて来たのが役に立ちましたね?」
「フン。最悪の展開の保険として用意していた物を使う羽目になるとは……つくづく≪赤≫は俺の邪魔をしたいらしい」
イライラしているからか舌打ちが多い。
「ですが、最後には頭首の思い通りになるのが定めです」
「当たり前だ。何の為に、屈辱に耐えてこの世界に種を蒔き続けて来たと思っている」
自身を肯定された事で少しだけ頭が冷えたのか、机の上に上げていた足を降ろして崩れた本の山を乱雑に積み直す。
「だが、やはりまだ足りんな…魔神1人分となると、世界中から集める必要があるな」
「では、早急に動ける者達に命令を」
良太の命令1つあれば、ここに居る者達は喜んで死さえ受け入れる者ばかりだ。命令が下れば即座に行動を起こし、満足の行く結果を持って来てくれる事だろう。
だが、良太は別にやる事があった。
「それはお前に任せる。多少表舞台に顔を出しても構わんから、急ぎ集めさせろ」
「はっ。頭首はどうなさるのですか?」
「≪白≫……いや、カグの所に行って来る。調整をし直して、無理にでも魔神の力を引き出して貰わないとな?」
「現状でもすでにかなり無理な調整をしているのでは?」
「壊れるならそれで構わん。もっとましな継承者を見繕うだけだ」
「左様ですか」とブランゼも無感情に返す。
あの黒髪の少女は、ブランゼ達のように良太によって“生み出された”存在ではないので、死のうが精神が崩壊しようが思う事は何もない。頭首がそうする、と言うのならそれを呑み込むだけだ。
「では≪青≫にも調整を?」
「いや、奴には必要ない。調整なぞしなくても、奴の精神はすでに足元まで魔神に食われている。放って置いても、そのうち≪青≫は俺の手の中に転がり落ちて来る」
そこでふと良太が何かを考える素振りを見せた。
「何か?」
「いや、≪赤≫が使えなくなったとすれば、≪黒≫の方をあてにするしかないだろう? 1度、≪黒≫がどの程度の仕上がりなのかを確認したい」
「では、ついでに≪黒≫の所在も探しておきましょう」
「そうだな。そうしてくれ」
「畏まりました。では、失礼致します」
下の者達に命令を出す為に、急ぎ足で部屋を出て行くブランゼの背を見送って、再び部屋には良太1人だけとなり、静寂が満ちる。
椅子の背もたれに体重を預けて、薄暗い天井を見上げる。
この世界から気配のなくなった≪赤≫の事を思う。
このタイミング…そして、何かしらの方法でこの世界から消えた、と言うのが余りにも出来過ぎている。
(≪赤≫を宿していたあの子供が気付いたのか?)
浮かんだ考えを即座に打ち消す。
それは有り得ない。
だが、≪赤≫が消えた事は、自分の計画を読んだ上で、誰かがそれを潰す為に先手を打ったように思えてならない。
(誰だ?)
思い当たる人間は居るには居るが、それは600年前の人間だ。
(“奴等”がこの時の為に何か策を用意していたのか?)
だとすれば、消えたのが他の魔神ではなく≪赤≫である事も納得出来る。
「チッ…ふざけた真似をしやがる…」
吐き捨てるように言ってから、椅子から勢いよく立ち上がる。
「この程度で、俺は止まらんさ―――」
阿久津良太は歩き続ける。
この世界の在るべき姿に戻す、その瞬間まで―――…