7-31 試練か、終わりか…
「父様、父様!?」
エルフの里、アルフェイルの入り口付近で緑髪の小さな妖精は必死に自分に“白雪”と言う名前をくれた、偉大なる父を呼んでいた。
と言うのも、目の前にはエルフや治癒術に長けた亜人達によって手当てを受ける、金色の髪の機械で出来たメイドが横たわっている。
パンドラ。
白雪が父と呼ぶ小さな少年に仕える、人有らざる作り物のメイド。だが、作り物であろうとも、白雪にとっても父にとっても大事な“人”である事は変わらない。だからこそ、父はパンドラを治す為に異世界の建物だという遺跡に向かった…のだが、肝心なところで白雪とフィリスは蚊帳の外に置かれてしまった。
悲しくはあるが、そこは2人共納得している。そもそも、あの遺跡の何もかもが2人にとって未知過ぎて、着いて行くだけで邪魔になるだろう事が理解出来たからだ。
それに、父たる少年に任せておけば万事上手く行くと白雪もフィリスも信じて疑わなかった。
それなのに、パンドラは治るどころか、悪化した状態で転移でここに送られて来た。
パンドラが転移して来る少し前には、父から白雪に思念での連絡があったが…いつもよりも意識の波が大きくてどこか恐ろしさを感じた。
(多分、さっきの思念を送って来た時には、父様はあの異形の姿だったんですわ…)
あの姿は、父の切り札とも言うべき姿だ。つまり、その切り札を使わなければならないような状況になっている、と言う事だ。
(父様なら大丈夫……!)
そう信じたいが、傷付いたパンドラが送られて来た事と言い、妙に不安が消えない。
父から一言「大丈夫だ」と言って貰えば、そんな不安はきっと消える…と先程から思念を送り続けているが全く思念が返って来ない。もっと言うなら、届いて居る感触がない。
空中に向かってボールを投げ続けているような…そんな嫌な徒労感。
「白雪、アーク様は?」
「ダメです……父様の思念が感じられません…」
フィリスも落胆して表情を曇らせる。
「パンドラさんは、どうでしたか?」
「うむ…やはり目を覚ます様子はないな…」
2人の間に沈黙が流れる。
不安が消えないどころか大きくなっていく。
「戻ってみるか…?」
「いえ、しかし…父様が危ないから、と」
父の言葉は絶対だ。それはフィリスも同じであり、「離れていろ」と言われれば、安易に近付く事は許されない。
だが、やはり心配で……そして不安だ。
「フィリス、どうした?」
「兄様!」
傷付いたパンドラを治療場に運ぶように指示を出し終わった、この里の警備責任者であるフィリスの兄が、2人の沈んだ様子に気付いて声をかけた。
「はい…実は―――」
元々アーク…≪赤≫の御方がパンドラを助ける為に遺跡に行った事は説明してあるので、自分達が遺跡から離れた後に、何かしら不測の事態が起こったらしい事を伝える。
「なるほど……≪赤≫の御方に白雪の思念が届かない…か。確かに、それは≪赤≫の御方に何かあったのかもしれんな…?」
「はい…ですので、その遺跡に戻ってみようかと今白雪と話していたところです。もしかしたら、アーク様が困っているかもしれませんし」
「しかし、≪赤≫の御方が『危険だから離れていろ』と言ったのだろう? 妹にこう言う事を言いたくはないが、お前如きが行って力になるのか? 無駄死にする事になるかもしれんのだぞ?」
兄の言葉を聞いて、フィリスは少しだけ目付きを鋭くする。
「兄様! 御言葉ですが、私が命を捨てる覚悟がないとでも? それに、アーク様…いえ、≪赤≫の御方を御守りし、御助けするのは我等亜人の絶対の使命です!」
言われて兄の方が口を噤む。
フィリスの言った事が真実である事は、彼も理解しているからだ。もし仮に自分がフィリスの立場であったなら、どんな危険があろうとも迷う事無くその遺跡に向かっただろう。
妹の決意した目を見て苦笑する。
エルフの成長は人と比べれば遅々としている。フィリスも生きた年月は200年を超えるが、人間で言えばギリギリ20才を迎えたくらいの、まだまだ未熟さの残る年齢だ。
(彼の御方に出会って、急に大人びたものだ…)
元々才ある妹だ。力でも知恵でも抜かれる日が来るのも近いかもしれない。
「…そうだな。お前の言う通りだ。」
フィリスとその肩に止まっている白雪を交互に見る。
「我等の中で≪赤≫の御方にもっとも近くに居たのお前達2人だ。なれば、あの御方を助けられるのもお前達だけだろう。行くべきだと思うのならば、迷わず行くべきだ」
本当ならば自分が≪赤≫の御方を助けに行きたいが、この里の警備の長として離れる事は許されないのが口惜しい。
だから、せめて彼女等の背中を押す。
「兄様……はい! 行ってまいります!」
白雪の返事も待たずに、転移魔法を詠唱し始める。
それに慌てたのはフィリスの肩に乗っていた白雪だ。
「あっ、ぱ、パンドラさんの事をお願いしま―――」
言葉の途中で転移してしまった。
才ある妹だが、やたらと大食らいな事と、時々人の言葉を聞かない事だけは不安だ…。
* * *
「――す。あっ……ちゃんと伝わったでしょうか…?」
「どうかしたか?」
「いえ…何でもないですわ…」
2人が転移で飛んだのは、例の遺跡の中。隠されていた地下部分ではなく、野盗達が根城にしていた地上に出ている一階部分の一室。
何かしら変わった様子は見て取れないが…2人共妙な違和感と言うか、雰囲気の違いを敏感に感じた。
「白雪、何か感じるか?」
「……いえ、なんでしょう…? 何も感じませんわ…」
「ふむ、私も同じ感想だ。何と言うか……この遺跡は“死んでいる”ように思える」
さっき来た時には、確かに遺跡の全体から妙な力を感じた。それが、異世界の建物が纏うオーラのような物なのか、はたまた全く別の物なのかは謎だが、今はそれを感じない。
「転移無効の結界も消えていませんか?」
「ん…確かに。下に行ってみよう」
先程は、地下に転移魔法や転移スキルを無効にしてしまう力場が張られていた。しかし、今はそれらしい反応がない。
試しに【短距離転移魔法】で地下に飛んでみると、問題なく転移が出来た。
出来たのだが……。
「不思議な光が消えてる…?」
地下の研究室の照明は消えていて真っ暗だった。
淡く光る白雪の姿だけが暗闇の中で浮かび上がって、幻想的ではあるが…。
「【ライト】」
無詠唱で周囲を明るくする魔法を唱える。
蛍光灯に照らされていた先程に比べれば大分光量が落ちるが、細かい作業をする訳でもないので今はコレで十分だ。
「これは、どう言う事だ?」
「分かりません。けど、きっと父様が何かをしたからだと思います」
先程フィリスが口にした通り、この遺跡―――研究所はすでに死んでいた。
照明も端末も空調設備も、何もかもが止まっている。それはつまり、この施設の心臓部である動力が死んでいる事を意味していた。
だが、異世界人であるエルフと妖精にはそんな事は分からず、「何か異変があった」程度の認識で収めている。
「父様を探しましょう!」
「そうだな」
先程は通行を許されなかった階段を降りる。
階段もやはり真っ暗だ。
改めて【ライト】を唱えて足元を確かにしながら急ぐ。
「あの奇妙な声も聞こえんな?」
「そうですわね? あの声は、この遺跡を護っていた守護者か何かの声だったのでしょうか?」
「恐らくはな。だが、それが黙ったと言う事はアーク様がそれを倒したと言う事かもしれん」
話している間に終着点の扉の前に辿り着く。
ロックが複雑過ぎて2人には意味不明だった。仕方なくフィリスが魔法で扉ごと吹き飛ばそうとしたが、5分程魔法を叩きつけても全く壊れる様子がなかったので、結局諦めて【短距離転移魔法】で扉を飛び越して中に入った。
扉の中はやはり暗い。だが、なんとなく音の響きで広い空間である事は予想できる。
そして、その予想は【ライト】で明るくした瞬間に確かなものになった。
「なんだここは?」
広いだけで何も無い空間。
上の研究室のように、訳の分からない機材もない。何の用途の部屋なのかが分からない。それなのに、扉も階段もない。
つまり、この部屋がこの遺跡の終点。
「アーク様は!?」
居ない―――。
「あっ!」
「どうした!?」
白雪が何かに気付いて部屋の中央に飛んで行く。
慌ててフィリスがそれを追い―――そして2人は見つけたのだ。
不吉な何かを暗示するように、床に転がった深紅の剣を―――
「父様の剣…?」
「アーク様は…どこだ……?」
この日、≪赤≫を宿した少年は、この世界から姿を消した―――…
七通目 パンドラの匣 おわり