7-17 運の尽きた野盗
悪びれた様子も無く、子供が呑気に言う。
その腕には、いつの間にか深紅の刀身を持つ片刃の剣が抜かれている。
抜刀の瞬間を見切れた者は、野盗の中には居ない。全員が「あれ? 何時の間に剣を抜いたの?」と疑問符を浮かべている。
腕を1本失いはしたが、それでもブリエダは冷静さを失っていなかった。
何故自分の腕がいきなり空中を舞ったのか? この場に見えている情報から考えれば、あの子供が剣を抜き様に腕を斬り飛ばした…と言う事になるが、そんな事ができるのだろうか?
(いや…! 違う、やったのは女の方か!?)
子供の剣は単なるブラフで、実際に自分の腕を飛ばしたのは女の方だと即座に見破った。
思えば、女の方はローブに身を包んでいるが、そのシルエットが細すぎる。恐らくあの下には、子供の方と同じくまともな防具を着けていない。武器らしい物も見て取れない。
おそらくあの女は魔法を主体とする人間だろう。武器が無いのは無手格闘に自信があるからか?
ブリエダの怒りが火山の噴火のように噴き出して全身を満たす。
(女がっ!!! クソがッ!!!!! 俺に傷をつけただぁ?)
「っざけるんじゃねええぞおっ!!!! 俺のおおおお腕をおおおおっ!!」
(予定変更だ! あのクソ女、全員の前で剥いて犯してやるっ!!!)
ローブの女に向けて、幾多の戦場で研ぎ澄まされて来た殺気を叩きつける。
だが、女はまったく怯える事も無く、静かに子供の背中を見守っている。
無視をされたのが余計に気に喰わなくて、今にも襲いかからんばかりの殺意を女に向ける。
しかし、それに反応を見せたのは子供の方だった。
「そんなに怒るなよ…? ちゃんと失血死しないように、傷焼いてやっただろ?」
子供が何を言っているのか分からなかった。
腕を飛ばしたのが、さも自分であるかのように語るこの子供は完全な場違いだった。
ブリエダの怒りはすでに限界に達していた。
子供はデスギガの餌にする。女は犯してから殺す。
今すぐにでも、目の前の2人の苦しむ顔を見なければ収まりがつかないところまで、憤怒の炎は燃え上がっていた。
右肩から全身に広がる痛みが、更に不快度を増幅させる。その痛みを紛らわせる為にブリエダの頭の中では何度も何度も子供に命乞いをさせてから殺し、その姿を見て泣き叫ぶ女を容赦なく犯していた。
「分かってるんだろうなぁ? この俺を傷付けたんだぞ? 今すぐ命乞いをしろ!! 俺に許しを乞え!!!」
「だから怒んなよウルサイな…。ペットの管理は飼い主の義務だろ? 散歩も糞の後処理も…腹減ってたら飯食わすのだって飼い主の仕事でしょ?」
「ぁあ? 黙ってろよガキがッ!!! 俺の腕だぞ!? デスギガは俺の腕を食ったんだぞっ!!!?」
「だって、ペットが腹減ってるって言うし……手頃な肉が無かったし…そんなに可愛がってるペットが空腹では飼い主としてアンタも心苦しかろうと…」
まるで善い事をしたかのように言うのが、更に怒りを煽って来る。
ブリエダは遂にキレた。
「デスギガ殺せッ!!」
四本脚をバタバタと動かして、床の上を滑るようにワニが這い動く。
デスギガは巨体に似合わず動きが早い。
動物特有の、足だけでなく全身の筋肉を使う機敏な動き。
来るのが分かっていても、その突進を避けるのは容易ではない。実際、腐るほどその動きを見ているブリエダですら、その速度には反応出来ない。
その上ここは部屋の中、一応動きまわれるスペースはあるが、デスギガの巨体を避ける空間はそれほど大きくない。
まして、あの子供では初撃でパクッとされて終わりだろう。
そして次の手を密かに用意する。
誰にも気付かれないように腰に巻かれたベルトからナイフを抜く。
ブリエダの神器―――“バンブレス”。この神器を手にした戦いで命を落とした師匠の名前をつけたナイフ。
付与されているスキルは【ヴェノムエッジ】。
刃に触れている時間によって、毒の効果の変わる異能。
そのスキルの性質上、斬るよりも刺して使う事で真価を発揮する神器。1秒刺しただけでも相手の軽い麻痺を与え、5秒刺せば身体機能を5割潰す。10秒刺せば、毒に耐性を持たない相手ならば確実に殺す。
今までこの神器で倒せなかった敵は居ない。冒険者も、魔物も、獲物を取りあった同業者も全て等しくこの毒の刃で殺した。
一撃で殺すまで持って行くのは至難の業だが、斬りつけるだけでも相手は手足に痺れを受ける。下手すればそれだけでまともに戦えなくなる。
(一発入れたらそれで終わりだ!)
子供が運良くデスギガの攻撃を避けたら、その隙を狙ってバンブレスで斬って麻痺させる。これでもうデスギガの攻撃を避けられなくなり、ジ・エンドだ。
女の方が子供を守る為に何かしらの反応を見せたら、先にそっちを狙って行動を潰せば良い。子供はどうせ口だけで何もできないので、後回しにしても構わない。
どっちにしろ、一瞬で終わる。
デスギガの陰に隠れてブリエダが走る。
それを確認した何人かの手下が、この後に来るであろう女と子供の結末に笑いそうになったが、必死に噴き出すのを堪えている。
かく言うブリエダ自身も口元が笑っていた。怒りが突き抜け過ぎて、意味も分からず楽しくなって来たのだ。
右肩から熱した鉄板を押しつけられているような不快な痛みが這い上がって来るが、もう気にならない。ブリエダの頭の中には、子供をグチャグチャにして殺して、女を自分の欲望のままに犯す事以外頭にない。
デスギガが子供の目の前に辿り着き、口を開ける。このまま突っ込んで子供の小さな体を丸呑みするつもりだ。
だが、絶対的な脅威が目の前に迫っていると言うのに、子供は全く動かない。
(いや、動けないだけか? フン、ビビって足が竦んだのか? それともただ反応出来なかっただけかぁ?)
しかし、それも仕方ない。
デスギガの姿は誰でも怯える凶暴で凶悪な見た目だ。その速度も、主人であるブリエダでさえ未だに反応出来ないのだ。そこらの子供に対応出来るレベルの魔獣ではない。
そして、女の方も動かず子供を見守っている姿勢を崩していない。
(ケッ、女の方も大した事ねえな? まあ、いい。ガキを殺せば少しは泣き喚くだろう)
デスギガの牙が子供に届く―――その瞬間、子供の姿が消えた。
「は?」
そして、音も無くブリエダの目の前に現れた。
(―――なんだっ!?)
思考が、それを転移だと認識する前に、子供がブリエダの腕を掴みながら呟く。
「位置交換な?」
体が浮き上がるような錯覚。目の前の景色がチャンネルを回したように切り替わり、ブリエダの眼前には……
――― 大口を開けたデスギガが居た。
「ヒぃッ!!!!?」
体が恐怖心に動かされて後ずさる。
だが、デスギガの口から逃げるには距離が足りな過ぎた。
地面から掬い上げるように動く下顎で、ブリエダの体が一瞬空中に浮く。
「ぁあ?」
目の前にはデスギガの牙。
何年も一緒にやって来た、ペットのような相棒のような…そんな不思議な関係の魔獣。
その魔獣の目は
―――餌を見る目をしていた。
バクン。