7-16 運の悪い野盗
「ガキと女じゃねえかっ!!?」
こんな大した危険性もなさそうな2人の為に行為を中断されたのかと思うと、小さくなりかかっていた怒りがまた奥底から噴き出して来て、何かにぶつけなければ収まりがつかなかった。
手近な所に居た、先程まで抱いて居た女の腹を容赦なく蹴る。
「ふざけるんじゃねええっ!!!」
「ぁぐっ…!」
床に転がる女を姿に、少しだけ溜飲が下がる。
「ふんっ!」
その時―――
「…おい」
子供の方が静かに口を開いた。
さっきまでの口調とは違う、明らかに敵意と殺気を交えた声。
「次やったら、殺すぞ?」
その目は笑っていなかった。
圧倒的な数にも、ブリエダにも、その後ろの凶悪な魔獣にも、何にも怯えていない。それどころか、今すぐにでもこの場に居る全員を殺しに来そうな程殺気立っている。
だが、ブリエダは幾多の人間を攫った経験から知っている。
武器を持った子供と女のコンビは、子供の方が貴族か何かで、女の方がその護衛と言うパターンが多い。
この組み合わせの子供の方は、自分は世界で有数の戦士なのだと勘違いして大きな口を叩く傾向にある。しかし、その実態はまったくの無能で、実際に戦っているのはほとんど護衛の女の方だ。
つまり、今目の前で警戒すべきは女の方。確かに、女の方は普通の人間ではない気配…雰囲気を纏っている。
(あの女を抱いたら…さぞかし気持ち良いだろうなあ…?)
心の中で舌舐めずりする。
戦い方は単純だ。警戒すべきはローブの女だが、攻撃を向けるのは子供の方。子供を護ろうとすれば、必然女の自身の防御は甘くなる。そこを狙って潰してしまえば、後に残るのは無能な子供1人。
(楽勝だな)
女の方の態度や仕草を見るに、子供の事を随分と大事にしているのが分かる。
戦えなくなった後で、子供を目の前でデスギガに食わせたら、さぞや楽しい反応をしてくれるだろうな、と途端に目の前の2人に対しての怒りが消えて楽しい気分になった。
子供を食われて心を折ったところで、いつものように抱いて絶望させながら楽しむ。
完璧なプランだった。
「殺す? 子供が随分な事を言うじゃねえか? それなら、俺と勝負しねえか?」
「勝負?」
女の方の反応を窺う。
特に気にした様子もなく、敵意を向けて来るだけで変化はない。
(だが、内心はガキを勝負に引っ張り出されて焦ってんだろ? 内心冷や汗かいてるんだろ? 分かってんだよアホが!)
女の次の行動は読めている。
子供に変わって自分が勝負する、と言いだす。
「待て! あ…ーク様が出るまでもありません、私が相手をします」
予想通りの反応過ぎて、笑いを堪えるのが大変だった。
だが、ここで女に出て来られては意味がない。狙うのは子供の方だ。
「良いから下がってろ…。そんなにカッカしてるお前に任せると、この場に居る奴を全員殺しかねん」
女はアホだが、子供の方が笑えるくらいの馬鹿だった。あまり裕福な家の出には見えないが、相当甘やかされて育てられたのだろう事は分かる。
自尊心が肥大化して、自分が世界の中心などと勘違いしている典型的な愚か者の姿だ。
「んで? お前が直接相手してくれんのか?」
子供が一歩前に出る。
腰に差している赤い剣だけは妙に立派だが、それ以外に気になる物は何も無い。鎧も兜も…防具を何1つ身に付けていないのが、更にこの子供の馬鹿さに拍車をかけている。少しでも戦場を知っている者ならば、武器以上に防具を優先して揃える筈だ。だが、見てくればかりを気にする奴ほど、武器にばかり金をかけてまともな防具を持っていない…というケースがままあるのだ。
「いや? 相手をするのは俺の可愛いデスギガさ?」
「デスギガ? その鰐の事?」
3m越えの巨大な蜥蜴のようシルエットに、人を一口で丸呑み出来そうな大きな口。
異世界人であれば、アリゲーターに良く似ている、と感じたかもしれないがブリエダには何を言っているのか理解できなかった。
「分かった、良いよ」
軽い返事だった。警戒も怯えもない、「飯食いに行く?」と聞かれて「良いよ」と答えるような、そんな気軽い返事。
「そうそう、言い忘れてたが、デスギガは今とーって腹が空いてる。もしかしたら、お前の事を食っちまうかもしれないなぁ?」
脅かすようにブリエダが言うと、それにつられて周りの手下達がゲラゲラと笑いだす。
「頭ぁ、そんなチビじゃデスギガの腹は満たされませんよ?」「あ~あ、きっと全身粉々になるまで噛み砕かれちゃうんだよ~? おチビちゃ~ん?」「やだ~、怖ーい!」
笑い声が遺跡中に響き渡る。
子供への嘲笑に、女が顔を赤くして怒っているのがまた滑稽で皆が笑う。
ブリエダも声を出して笑う。
だが、子供は特に反応も示さず「ふむ…」と何かを考えている。
(流石にビビったな? 必死に逃げる方法を考えてやがる…! だが、もう手遅れだぜ!!)
自分の勝利を確信して、ブリエダは更に声を大きくして笑う。しかし、その笑いを子供の問い掛けが止める。
「ねえ?」
「ぁ?」
「ちょっとそのデスメガ? に餌やってみて良い?」
「はぁ?」
(馬鹿だ! このガキ、恐ろしく馬鹿だ!!)
子供の考えは分かる。餌をやれば、自分への敵意が薄れて攻撃されないんじゃないかと考えたんだろう。だが、デスギガはブリエダ以外には絶対に餌付けされない。古参のメンバーであっても、ブリエダが近くに居ないと時々食われそうになる程だ。
それを理解した上で、ブリエダはその提案を受ける。
餌を持って近付いた途端に子供が喰われたら、それはそれで笑えて良い。その時の女の顔も見物だ。
「ああ、良いぜ? コイツは雑食だが、肉をやると喜ぶ」
「そうか」
返事をすると同時に腰の赤い剣に手を掛ける。
(なんだ?)
と思った次の瞬間、一瞬視界に赤い閃光が走り、同時にビリっとした痛みが右手を襲い―――そして右腕の感覚が消失した。
右手に持っていた筈の鎖が冷たい音を立てて床に落ち、何かが空中を舞う。
――― 人間の腕。
ブリエダは感覚のなくなった自分の右腕を見る。
腕は無かった。
肩口の辺りから先が完全に無くなっている。
血が出ていない。だが、引き換えに傷口がジュクジュクと煮え滾るような熱を帯びて、断続的な痛みと苦しみと与えて来る。
「ぎゃああああああああえぇええッ!!!」
血を吹くような叫びを上げて、ブリエダは床を転がった。
「頭っ!!?」「御頭ッ!!?」「何だ、何が起こったんだっ!!?」
手下達が騒ぐ中、空中を舞っていた腕を子供がキャッチする。
「でええええ、テメエえええええッ!! 俺の、っ…腕をおおお!!」
子供はそれを無視して…。
「デスメガー、餌だぞー口開けろー」
野盗達が、「まさか!?」と思い、子供の行動を止めようと動きだすより早く、アンダースローで放られた腕は、デスギガの大きな口の中に吸い込まれた。
そして―――。
グチャグチャグチャ
牙の隙間から、粉々になった血に染まった骨と肉片がリノリウムの床に滴り落ちる。
「おー、美味しそうに食べるなぁ。確かにちょっと可愛いかもしんない? まあ、うちのゴールド達には一億倍劣るけどな?」