7-1 暗闇から目覚めて
暗い…暗い世界の中を歩いている―――。
闇が深すぎて、自分の姿すら確認する事は出来ず、足を動かす感覚だけがそこに自分が居るのだと教えてくれる。
何を話す事も無く、何も考える事も無く、電池の続く限り動き続ける機械のようにひたすら足を動かして暗闇の中を進む。
なんでこんな場所を歩いているのかは分からない。
だが、どこかに向かわなければならない事だけは知っている。
どこにだ? この暗闇の先が、目指している場所なのか?
チラリと頭をかすめた疑問は、視界一杯の闇が呑み込んで……再び何も考えずに歩く。
歩く、ただ歩く。
足を前に出し続けるその作業を無心で続ける。
時間の経過を気にする事もなく、何も見えない闇の中を歩く。
体が疲れる事は無い。
息は切れない。足も痛くならない。お腹も減らない。便意もない。眠気もない。
自分の異常性には気付いている。
今の自分は人ではないのかもしれない。…いや、それどころか生物ですらないのかもしれない。
だが、そんな事はどうでも良い。
――― 俺は、ただ歩き続けるだけだから…。
しかし、その足が止まる。
……何だろう? 壁?
見えないが、何か固い物が目の前に立ち塞がって前に進む事が出来ない。
押しても引いてもビクともしない。
…ダメだ、この壁は俺じゃどうしようもない。
この先に行かなきゃ行けないのに―――…。
壁の前で立ち往生していると、向こう側に何かが現れる。
見えないけれど、何かが居る。
何…? いや、誰…?
知らない……知ってる?
初めてなのに…懐かしい…ような? そんな不思議な感じ。
懐かしさを感じているのは俺じゃない。俺の中の≪赤≫だ。
『……来たのか』
声…。
この声は知ってる……。魔神の声―――。
でも…≪赤≫では……ないよな…? いつものように頭に響いて来る声じゃない。ちゃんと耳に聞こえる声だ。
『去れ。今のお前1人来たところで、忌々しいこの壁はどうにもならぬ』
――― お前は誰だ?
いや、この話す感じは―――そうだ、ラーナエイトで力を暴走させた時に聞こえて来たあの声と同じ……。
『人の言葉を借りれば…真なる魔神。世界を破壊し、創生する者』
真なる…魔神…?
『≪赤≫よ。いずれお前はこの壁を壊す。我の為に、世界の真なる姿の為に―――』
何を言っているのか分からない…分からないけど…、何故か、この言葉の主に従わなければいけない気がした。
意識が…壁の向こうの魔神に引っ張られる―――…。
ああ…そうだ…この声は―――我の―――
「ダメだ!」
後ろから手を引かれる。
振り向くと、闇の中に銀色の髪の小さな男の子が立っていた―――…
* * *
なんだか、長い夢を見ていた気がする…。
どんな夢だったのかは思い出せないが………理由も分からずに、なんだか涙が出た。
悲しい訳じゃない…嬉しい訳じゃない…。それなのに涙が止まらない。
自分が泣いた意味を理解できずに、自分自身に困惑してしまう。
起き上がって行動を始める気持ちが湧いて来ない。
っつーか、そもそもの話として…。
「どこだ、ここ…?」
東京都庁みたいな大きさの…馬鹿らしくなるほど恐ろしく大きな木の根元で俺は横になっていた。
なんだこの大きさ…? 規格外って言ったって限度があんだろう…。
この木が倒れるだけで、町の1つや2つ壊滅させられるんじゃないだろうか? と、どうでも良い事を考えていると、何かがヒョコッと視界に入って来て俺を見下ろす。
「ゴールド…?」
俺の顔を心配そうな顔(?)で覗き込んでいた赤毛の大きな狼が、「クゥーン」と甘えるような鳴き声を出しながら鼻先を擦りつけて来る。
ああ、この甘え癖…間違いなくゴールドだ。
首元をわしわしと撫でてやると、嬉しそうに目を細めて尻尾を振る。
「主様、お目覚めになりましたか!?」
ゴールドの後ろから、奇妙な空飛ぶ仮面が顔を出す。
俺の上を飛んでいるのが失礼だと思ったのだろう。高度を落として横になっている俺と同じ、地面スレスレの所まで下りて来る。
「エメラルド…」
2匹を追い掛ける様に、空から羽ばたきの音と風が下りて来る。
大きな蝙蝠のような翼を大きく広げた赤っぽい火蜥蜴。
トスンッと着地すると、ゴールドと同じように顔を寄せて俺に甘えて来る。
「サファイア…」
そして、ヒュルルルッと風を切る音をたてて淡く黄色に光る何かが飛んでくる。
「父様!」
鈴のような涼やかな声で俺をそう呼びながら、その黄色く光る―――人形? が、ゴールドとサファイアを押し退けて俺に引っ付いて来る。
近くで見ると…背中に蝶のような羽が生えていて、美しい緑色の髪に悪戯っ子のような可愛らしい顔で………うむ、全く見覚えが無い。
「誰だよ…?」
冷静になれば、この子が妖精だと言うのは分かる。……分かるのだが、俺の今の言葉で今にも死にそうな程衝撃を受けている意味が分からない。
そして、妖精の体が纏っている光が、人生のどん底のような悲しみの青に染まる。
更にはシクシクと泣き始めたものだから、流石に俺も慌てる。
「ああっ、えーと…ゴメン! どこのどなたかは存じませんが…」
妖精の光が更に濃くなって藍色になって、泣き方がビェーッと号泣になった。
ダメだこれ…ど壺過ぎて抜け出し方が分からん…誰か助けて…。
「主様、御言葉ですが…白雪殿です」
「は?」
おめえ何言ってんだエメラルドこの野郎。
うちの白雪は光る球だぞ? 断じてこんな美少女フィギュアみたいな感じじゃない。
俺が全力で否定の思考をすると―――
『父様のバカバカバカバカーっ!!!』
物凄い勢いで思念の波が頭の中に捻じ込まれた。
…叫ばれ過ぎて頭がクラクラする……いや、でも今のは…! 妖精と、その名付け親の間での表層の思考のやり取りをする思念交換…だよな? 俺とそれが出来るのはこの世に1人しかいない。
「え……マジでお前白雪なの?」
「当たり前ですわ! 何故御分かりにならいんですかっ!!?」
悲しみの青が少しだけ薄くなって、怒りの赤が混ざる。
そして、泣きながらプンプンと怒る。……改めて見ると、妖精の感情表現って凄ぇ分かりやすいな…。
「なんで、そんな姿になってんの?」
「私だって成長しますわ!」
「ああ…うん…そりゃそうだ…」
旅してる間中、ほとんど食っちゃ寝だったもんなお前…。そりゃあ、成長もするわ。
「食っちゃ寝なんてしていません! 父様! レディーには言って良い事と悪い事が有ると理解して下さいませ!!」
「……すいません」
そうか…、白雪は俺の表層の思考は読めるんだもんな…。俺の方で意図的に思考を遮断する事は出来るらしいけど、一々気にするの面倒臭いのでやった事はない。
何にしても、迂闊な事を考える事さえ出来ねえな…。
それにしても…。
「そうか、お前もちゃんと成長したのか…」
妖精の成長が人の物とは違うのは分かっているが、こうしてちゃんと大人に近付いて成長してくれるのは、見守る側としては嬉しい限りだ。
体のサイズが妖精の森で助けた奴等に比べて大分小さいから、これでもまだまだ子供なんだろうけどさ。
手を伸ばして、指先で緑色の髪を撫でる。
すると、体の光から赤と青が消えて喜びの黄色一色になる。
「えへへ、父様~」
今にも飛び上がらんばかりに喜んでいる。
……にしても、本当に驚きだなあ。
人型になった事も、お前が普通にお喋りしている事も、俺の事を「父様」なんて呼び方している事も……。
まあ、何よりお前がお嬢口調なのが個人的に1番驚きだが……。