6-29 竜と≪黒≫の話
≪青≫の魔神との戦いから数日が過ぎた―――。
「はぁ…何とも落ち着かないねぇ…」
かつて妖精達の住処だった森は、今や荒れ地となっていた。
≪青≫の継承者、水野浩也によって森は押し流された。
そして、数日前に起きたアーク、ガゼルの両クイーン級冒険者による≪青≫の討伐戦によってその被害は更に広がり、今では数年は虫一匹住む事は出来ないような酷い有様になっている。
そんな惨状を遠くから眺めながら、先の討伐戦の参加者であるグレイス共和国唯1人のクイーン級冒険者、<竜帝の牙>のガゼルはもう一度溜息を吐く。
「はぁ…流石に責任を感じるぜ…」
戦いをした1人として、目の前の惨状への罪悪感を感じていた。
そして、こんな惨状を生み出したにも関わらず、結局当の水野を仕留められなかった事が、更に棘となって深々とガゼルの心に突き刺さっていた。
このグレイス共和国のクイーンはガゼル1人。その上のキング級は居ない。つまり、この国の最強はこの男である。だからこそ負けは許されないし、失敗も許されない。最強が負ければ国中の人間が不安になるからだ。
そして何より―――
「女子からの評価が落ちてねえと良いんだがなぁ…」
それが何よりの心配の種だった。
あまりに心配し過ぎて不安になったのか、横に居た人物にその疑問を振った。
「なあ? どう思うよ?」
ガゼルの隣に居たのは、真っ黒な皮のポンチョで体を覆い、顔の上面を真っ白な陶器のような質感の仮面で隠した褐色の肌の女。
見た目はか細く、ガゼルと並ぶと小さな女の子に見えるが、その実彼女は世界でたった2人しか居ないキング級の冒険者の1人。
通り名の<夜の処刑人>は、その名知る全ての人間を恐怖させる畏怖の象徴と言っても良い。
「まさかとは思うが、私に聞いているのか?」
「2人しか居ないんだから、当たり前だろ?」
呆れたように溜息を吐き、観察するようにマジマジとガゼルを上から下に眺める。
「ん? 何? 俺の魅力に当てられちまったかな?」
キランッと微妙なイケメンオーラを出しながらウィンクすると…
「首を吊って死ね」
そして更に全力で舌打ちする。
「すいません……」
相手が相手なだけにこの返しはガゼルの予想の範疇だったが、それでもダメージは大きかった。
「そんな事より、奴から何か連絡はあったか?」
「……いや…」
自然とガゼルの口が重くなる。
奴…とは、≪青≫の水野と戦ったもう1人…アステリア王国のクイーン級冒険者<全てを焼き尽くす者>のアーク。
数日前、この森の跡地での戦いで、討伐対象であった水野を連れて逃げた一団。
まるで逃げられた事で事切れたように、件の小さなクイーン級は倒れた。戦いの為に維持していた異形の姿も解け、見る見るうちに顔色から血の気が失せて死人のような有様になって行った。
ガゼルが慌てて町まで連れて行って治癒術を掛けて貰おうとしたのだが、アークの連れていた魔法使いのエルフがそれを制して、土気色になっていくアークと、腹に穴が開いて全く動かないメイドを連れてどこかへと転移していった。
それ以来、連絡は無い。
どこへ行ったかも分からず、かと言って未だ騒ぎ収まらないここから離れてフラフラと探しに行く訳にもいかず、ガゼルはこうして相手の方からの連絡を待っていた。
そしてそれは隣のルナも同じ。
ただ、ルナはエルフが連れて行った時点で転移した先に心当たりがあった。ただし、そこは人間がおいそれと立ち入れる場所ではない為、結局相手からの連絡待ちだった。自分の所よりはガゼルの方に連絡が行く可能性は高いだろうと、任務の合間を縫ってこうして会いに来ているのだが……まだどちらにも連絡はない。
「アークの奴は、無事なのかねえ…?」
空を見上げて、遠い空のどこかに居るであろう後輩の無事を祈るばかりだった。
「アレの心配は無用だ。無事なのは分かっている」
「そうなのか?」
「ああ」
ルナには確信がある口調だった。
その確信が何なのかはガゼルには分からなかったが、「女の話は変に突っ込んで聞かないのが礼儀」と言う独自の異性との付き合い論に従って聞くのは止めて置いた。
「問題なのは、アレの連れていたメイドだろう」
「ああ、パンドラちゃんか。腹ぶち抜かれてたからなぁ…。チッ、俺が居ながら女を傷付けさせるとは情けない…!」
「お前が自分を責める理由はないだろう。誰が悪いかと言えば、やった奴が悪いに決まっている」
一応慰められている事に気付き、「あれ? ちょっと脈あるんじゃね?」と少しだけ期待が頭を擡げる。
「おい、その欲望に満ちた汚い目で私を見るのは止めろ。眼球を抉るぞ」
「……すいません」
ムクムクと育っていた期待感が一瞬で爆散した。
「話を戻す。奴の連れていたメイドだが…アレは―――」
「人じゃないってんだろ?」
ルナの口元が、若干の驚きで小さく歪む。
「……気付いて居たか?」
「俺には【龍眼】のスキルが有るからな」
【龍眼】。視界にある物の“正しい姿”を視る異能。
嘘を見抜き、隠し事を暴き、どんな精巧な偽物でも騙せない究極の審美眼とも言うべき能力。ただし、この強力な異能を持ってしても魔神を宿した人間は視る事が出来ない。
実際、隣に居る仮面の女を【龍眼】で見ると、視界が真っ黒になって何も見えなくなる。そして、それはアークに対しても同じだった。まあ、アークの時には横に2人居たので、嘘を見抜く事はそちらから出来たので構わなかったが…。
そして、この能力を持っていると、寄って来る女が財布狙いである事も分かったりして、時々ちょっとだけ泣きたい気分になる、と言うのは余談である。
「ほう、これはまた稀有な能力を…流石竜種の血、と褒めるべきか?」
「勘弁してくれ…」
心底嫌そうな顔をする。
「それで? お前のその目には、あのメイドはどう映ったんだ?」
「言い方が悪いが…人形だな。生き物に見えるべき生命力のオーラが小さ過ぎて、本当にそこに居るのかも最初は怪しんだ」
「そうだな…恐らく、人型の魔導器か何か、と言ったところだろう」
なるほど、とガゼルも頷く。
先日消滅したと言うラーナエイト……(その犯人については考えないでおく)……では、魔動兵なる人でも魔獣でもない動く鎧が居たと言うし、そう言う類の存在だろう。
「だが、そうなると普通の魔法やポーションでの回復は見込めないんじゃないか…?」
「だろうな。奴には悪いが―――あのメイドはもう、どうしようもないだろう」
ルナが心配しているのはそこだった。
もし≪赤≫が、近しい者の死によって怒りや悲しみを増大させ、魔神の力を暴走させるような事になれば……ラーナエイトの二の舞は避けられない。
そして、次に暴走した時は自分は≪赤≫を殺さなければならない。
「本当に、アークの奴はどこに居るのやら…。無事なら無事で連絡寄越せよー」
「………本当にな」
ルナは、恐らく≪赤≫が今居るであろう場所に想いを馳せる。
――― 星の大樹
人間の侵入を拒み、亜人でさえ一握りの者しか入る事を許されないと言う亜人達にとっての神域。
その樹には、命を与える力があると言う話だ。
あの今にも死にそうな≪赤≫を、亜人が連れて行くとしたらそこしかない。
とは言っても、ルナもそう言う場所がある…と言うあやふやな情報しか持っておらず、実際にどこにあるのかは分かっていない。
それに、その場所にはもう1つ気になる噂話がある。
――― 星の大樹には、魔神の心臓が眠っている……