6-16 青ノ刻印
青い刻印が水野の全身に広がる。
今まで感じていた魔神の気配がブワッと膨れ上がって、俺の心臓を舐めるように噴きつけて来る。
俺は迷う事無く、水野の吐いた言葉をなぞって口にした。
「“我に力を”」
赤いラインが俺の体を走り抜け、感覚が広がって視えている世界が、聞こえている世界が比べ物にならない程大きくなる。
感覚だけでなく肉体も重力から解き放たれたように軽くなり、体の奥底から次から次に湧き上がる力が、赤い闘気となって俺の周りに散る。
相手が刻印を使うなら、コッチも出し惜しみをしている場合じゃねえ! 俺の個人的な感覚では、刻印での能力の上昇率は1.5倍~2倍くらい。ニュートラルな状態で釣り合ってた天秤を傾けるには、十分どころかお釣りがくるレベルだ。
だからこそ、こっちも迷わず相手に合わせて刻印を使う。
いっそ先手を打って【魔人化】するって事も考えたが、あれは時間制限が厳し過ぎる…。10分も持続できないんじゃ、先出ししても逃げ回られたらそれでアウトだ。
でも、まあ…それは相手も同じだ。
それに、ガゼルがまだ氷に足を掴まれて身動き取れない状態だし…。勝負をかけるなら最低でもアイツが自由になってからだ。
「良いねえ良いねえ、これでこそ魔神同士のぶつかり合いだろ」
「勝手に盛り上がってんじゃねえよ」
どちらともなしに走り出し、剣を相手に叩きつけるように振る。
深紅の刀身と透き通る氷の刃がぶつかり、ヴァーミリオンに纏わせた熱のエネルギーと氷の纏う冷気のエネルギーが打ち消し合って余波が暴風となって俺達に吹き付ける。
だが、お互いにそんな物に構わずに更に剣を振る。
「はっはあっはあははあ!!」
心底楽しそうに氷の剣を振る水野の顔は、狂人のそれだ。正直、こう言う人間と向きあうのは凄ぇ怖い…。
アッチの世界だったら、迷わずこの手の人間からは後ろ向いてダッシュで逃げだしてる。
でも、今は逃げない―――逃げる訳には行かないっ!!
「ぜぁああああああああっ!!」
暖かさと冷たさの混じった暴風に曝されながら、剣を振る。
ビビるな! 止まるな! 相手を見ろ! 体を動かせ!
自身ではいつも通りに動いているつもりだが、傍目に見れば倍速で動いている。普通の人間では、どんなに強化魔法を重ね掛けしても辿り着けない音速に片足を突っ込んだ高速の斬り合い。
立ち位置を入れ替え、足と体の位置を巧みに移動して絶えず目の前の男に剣を振り続ける。
頭を狙って振り下ろされた刃を防ぎ、心臓を狙った突きをを横に捌かれ、横薙ぎに襲いかかる氷の刃をしゃがんでかわし、即座に斬って返す。
剣が触れるたびに周囲に暴風が吹き荒れ、その中心で赤と青の光が舞う―――。
「良い! 最高だッ!! 血湧き肉躍るなんて言葉は、こんな時に使うんだろうなあ!?」
「知るか、よっ!」
剣戟の応酬は続く。
だが、緊張感と集中力が研ぎ澄まされ過ぎているからか、お互いの剣を先読み出来てしまう。……と言うか、先の読み合いが行き過ぎて、場がまったく動かない。
振って、斬り払って、反撃して、受けて、攻撃して、避ける。一連の流れがリズムのように俺達の体を動かす。
なんとかここから流れを変えたいが、自分からリズムを崩しに行くと途端にバッサリやられそうなのが目に見えてるんだよなぁ…。
転移で離れて仕切り直すのも考えたが、今下手に距離を取るとどんな攻撃が飛んでくるか分かったもんじゃない。かく言う俺も、水野が転移で飛んだら飛んだ先にヒートブラストを叩き込む準備をしてある。
自分ではこの流れを崩せないし、仕切り直しも出来ない…となれば、相手が崩れてくれてくれるように仕向ける。
会話で心の動揺を誘えないかな…っと。
「おい、これだけ強いくせに、どうして無駄に暴れ回ってんだ」
喋りながらも動きは止めずに、氷の剣を受け流して即座に反撃する。
「暴れ回ってるとは酷い言いようだな?」
言葉と同時に、氷の刃でヴァーミリオンの斬撃を横に切り払う。
「何が酷いだ。お前のやってる事のがよっぽど酷いわ」
「ははは、違い無いな」
熱と冷気のエネルギーがお互いを食い合って弾ける。
「それはそーと、さっきから気になっていたんだが―――」
「ぁん?」
「≪赤≫よぉ。お前も、もしかして俺と同じ世界から来た異世界人じゃないか?」
気付かれた?
それ自体は別に隠してた訳じゃないから驚きはしないけど、どこで気付かれたのかが分からない…?
「はは、その顔はやっぱり当りか。なんで分かったのかって面してるな? 確証があった訳じゃねえよ。ただ話し方や、言葉のチョイスがコッチの人間らしくねえな、と思って鎌かけただけだ」
俺の反応を楽しむようにニヤニヤ笑うのが物凄く不快だ。今すぐにでもぶん殴って、あのニヤけた顔ぶっ潰してやりてえ!!
「で? 俺が異世界人だったら何?」
「そう嫌うなよ? 同郷だろ? 仲良くしようぜ?」
仲良くしようと言いながらも、俺の首を飛ばす斬撃を放っているのは、もう何かの冗談なのかと…。
下からの切り上げで氷の剣を払う。
「お断りだね! そもそも、異世界にまで来て何してんだテメエ!」
「何って? 虫を殺した事か?」
「妖精を虫って言うの止めろやテメエッ!!!!」
怒りで力の入った攻撃も、氷の刃の上を滑らせて受け流される。
「ククッ…やべ、超怒ってて怖いわ」
チッ…落ち付け…冷静になれ!
怒りで気持ちを乱すと剣と動きが乱れる。それこそコイツの思う壺じゃねえか!
「大体、さっきの『異世界にまで来て何してんだ』は俺のセリフだって」
「……はぁ?」
「ここは俺達の過ごして来た世界じゃないんだぜ? なんで善人ぶってんだ? もっと自分の気持ちに従えよ。欲望のままに、力を振るえよ! 今お前が振るってる力は何のためにある? 人の為なんて笑える答えじゃねえよな!? これは、自分の為の力だろ!? 自分の為の力を、自分の思うままに振るう! それが、本来の人のあるべき姿だろうが!!」
ああ、そうか…。今さらながら理解した。
コイツは“そういう”人間か。
「それはもう人じゃねえよ! 周りとの共存も共生も否定した獣の生き方じゃねえか!!」
「そうだよ? 人間なんて、皮一枚剥げば獣だよ」
「ふざけんなっ!!!!」
人の本性が獣である、その点は否定するつもりはない。だが、人間は皆その獣に理性の鎖をして生きている。
それを、異世界に来たから―――見知らぬ場所だから、その鎖を解き放って良いなんて理屈があって良い訳がない!
「大体、お前は知っているのか? 異世界人ってのは、この世界の誰かしらの意思がなければ来る事はできないんだぞ?」
「だから、なんだ」
「物分かりが悪いな? 俺達がこの世界にいきなり引っ張り込まれたのは、コッチの世界の人間のせいだって事さ」
……国を救う為、あるいは労働力として、もっと別の事情で呼ばれたのかもしれない。多分、色んな事情によって、どうしようもなくて異世界人を呼んだんだと思う。
けど、それは全部“コッチ側”の事情であって、呼び出された人間達には何の関係もない話だ。
そんな理不尽に怒りを感じる異世界人はきっと多い…。
明弘さんのように協力的な人間や、月岡さんのように前向きに生きている人間ばかりじゃないのは分かってる。今回の件で探した異世界人達も、この世界と理不尽な境遇に怒りを感じている人間は居た。
でも、だからって―――
「その怒りのままに、この世界の日常を壊して良い訳がない!」
「ふーん、あくまでこの世界での“正義の味方”に徹するってか?」
「正義を名乗るつもりはねえよ。けど、お前のような存在を見逃すつもりもねえ!」
「良く言ったアーク!」
――― 槍が水野の胸を貫いた