5-17 魔竜
地面に転がっていたドラゴンゾンビの首。
さっきまで眼球が無かった右目が開き、そこには―――怪しく紫色に光る爬虫類の目。
『お前か? 炎を使う人間よ、お前が≪赤≫を宿す者か!?』
憎しみと殺意の宿る紫の目が俺を睨む。
そして何故かフィリスや周りに居た亜人達も「≪赤≫!?」とそれぞれに反応して俺に驚愕の目を向けて来る。
『いや、答えは要らぬ! その炎、そしてその剣、覚えている…覚えているぞ!! 我が肉体を引き裂きし神器、名は確か―――ヴァーミリオンと言ったか?』
コイツ、ヴァーミリオンを…≪赤≫の事を知ってる…?
「お前はなんだ?」
『貴様っ!!! 我を滅ぼせし≪赤≫よ!!!!! 我が名を忘れたか!!!?』
≪赤≫がコイツを滅ぼした?
勿論俺はそんな事をした覚えはない。そもそもコイツが倒されたのは大昔だって……あっ、フィリスが言ってた魔竜を倒したさる御方って…先の≪赤≫の継承者の事だったのか?
知識と知恵を継承してるロイド君なら何か分かるかもしれないけど、俺にはまったく分からんな。
「悪いね? お前がどこの竜だか知らんが、お前を倒した≪赤≫と俺は別人だぞ?」
俺の言葉が終わるや否や、クワっともう片方の目が開く。さっきまで確かに腐った目が収まっていたのに、開いた目はやはり生気を宿して紫色の輝いていた。
『ふざけるなっ!!!!!! 貴様等魔神の継承者が、知識と知恵を受け継いでいる事を我が知らぬとでも思っているのか!? それとも、貴様においては我の事など知識の1つとして留め置く価値も無いとでも言うつもりかっ!!!?』
激オコ過ぎる…。こりゃ、俺の事情話したって聞く耳持ちそうにねえなあ…。まあ、こんな死に損ないにコッチの身の上話するつもりねえけどさ。
っつか、なんでコイツ首だけで話してんだよ!? 超絶気持ち悪いなっ!?
「んな事言ってねえよ。落ち付いて穏便に話を―――」
『黙れっ!!! ≪赤≫よ! 貴様は、どれ程竜種たる我を侮辱するつもりだあああっ!!!』
「侮辱なんかしてねえよ。会話が出来ねえ野郎だな…!」
…?
なんだ? 場の魔素が変に渦巻いてる…?
【魔素感知】を持っている俺だから気付いたが、パンドラを含めた他の連中は誰もこの異変に気付いた様子はない。
『くっくっく…良かろう』
渦巻いていた魔素が首の無くなったドラゴンゾンビの腐った肉体に集まる。
これは、なんだか凄いヤバい感じ!?
ドラゴンゾンビの体ごと集まっている魔素を燃やそうとした瞬間―――。
『かつての敗北を、今ここで返させて貰うぞっ!!!!』
魔素が寄り集まり、ゾンビの体を黒い霧となって覆い隠す。
あの黒い魔素は知ってる! 魔物を形作る、より物体に近い状態の魔素だ!
そうだ、コイツには魔素を自在に操る能力がある! だとすれば、肉体だって―――!
黒い魔素の塊に向かって【魔炎】を放つ。……が、届かない!?
魔素の塊から突き出された四本指の鋭い蜥蜴のような手が、俺の炎を魔素に届く前に握り潰した。
腐り落ちる寸前の弱々しい腕ではない。太く逞しく、力に満ちた爬虫類の―――ドラゴンの腕!?
腕が黒いのは魔素を纏っているからではない。光を照り返す黒い鱗―――竜の鱗が腕を覆い尽しているからだ。
『今少しの時間で力が満ちようとしていたのだが、な…。我が宿敵たる≪赤≫が現れたのだ…! その時間さえ惜しいわっ!!!』
喋っていた首が黒い魔素の塊の中へ吸い込まれる。
「なるほどね…? テメェがこの森の中を彷徨っていたのは、森やエルフの里を狙ってたんじゃなくて、その魔素を掻き集める為だったって事かよ!」
魔素が内側に引き込まれるようにして、その体が露わになる。
全身を黒い鱗で覆われた巨大な体。さっきまでの崩れ落ちる寸前のような危なさが完全に消えて、その姿はまさに―――世界最強の生物!
グルルッと喉を鳴らしながら、紫色の両目が上から俺を見据える。
『我が名はエグゼルド。魔竜エグゼルド!!』
巨大な足を一歩踏み出すと、地響きのような音と共に周囲の木から葉が落ちる。
腐臭が臭わなくなってる…。完全に、元の体って訳ね。
ゾンビの時には感じなかった威圧感。目の前に立ってるだけなのに、上から押さえつけられているような感じ…大きな気配が俺を潰そうと圧し掛かって来る。
なんつう凶暴な気配纏ってんだコイツ…! これがモノホンのドラゴンって事ッスか?
『≪赤≫よ、名乗るが良い! 貴様の名は、死しても我が内に刻んで置いてやる!』
なんだそのクソ要らない奴…。そんなもんより、まず殺さないって選択をして欲しいもんだが…。
「アーク。渡り鳥のアークだ!」
『アーク…? フン、蘇った我が肉体の最初の贄として覚えておいてやる。光栄に思うが良い!!』
「そーかい。そんじゃお礼に、蘇って即座にボコり殺されたアホとして俺も覚えて置いてやるから光栄に思え。……えーっと…あっ、ゴメンやっぱもう忘れたわ」
軽く挑発してやると、目を見開いて巨体が動く。
来る! と思った時には―――すでに目の前に四本指の鋭い爪が迫っていた。
――― は?
何が起こったのか分からずに思考が止まって頭の中真っ白になる。だが、散々修羅場を潜って来たこの体は、俺の意識を無視して危険を察知するや否や【火炎装衣】を勝手に発動し、ヴァーミリオンでガードの体勢を取る。
ガードを構え終わるとほぼ同時に、俺の身長と同じくらいの大きさの竜の手が、横薙ぎに振るわれて炎の防御ごと俺を叩き飛ばす。
「―――ガッ…!?」
景色が横に向かってスライド移動する。
8m飛ばされて着地。
――― 体がクソ痛ぇ!? 【火炎装衣】使って、その上ガードもしたのにこのダメージかよっ!?
完全に舐めてかかった。これが竜種…生物としての頂点に君臨する化物のスペックかよ! ノーマル状態で太刀打ちできるレベルじゃねえぞコレ!?
『目の色が変わったな? 先程までの余裕が消えているぞ?』
腹立つ事にその通りだ。
コッチも、本腰入れて殺しに行く!!
「“我に力を”」
全身に赤い光が走り、幾何学模様のようなラインを描き出す。
本気で戦うなら【魔人化】を使うべきだが、アレは消耗が激し過ぎて、全快の状態からでも10分も戦えない。魔人の姿は超絶的な強さを発揮できるが、もしそれで仕留め切れなかったらその後はもう戦えなくなる。
だから、刻印で少しでも勝つ為の糸口を見つけてからじゃないと怖くて使えない。
『フフはははははは!! そうだ、それで良い! ≪赤≫の力の全てを出して向かって来るが良い。その全てを捻じ伏せて殺してやるっ!!!』
「そんな簡単に捻じ伏せられる程、俺は甘くねえぜ?」
『では、試してやろう!!』
器用に四本脚を入れ替えて、その場で巨体が一回転する。
バカみたいに速い尻尾振り。
5m以上ある長く太い、黒い鱗に覆われたドラゴンの尻尾。射程に入っていた木々を草のように刈り飛ばしながら俺に迫る。
普通の人間じゃどうやっても避けられない速度とパワー。そこらの戦士でも、多分何が起こったかも分からずにミンチになるだろう。
俺ですら、刻印を展開してようやく目で追えるくらいだからな!
これは受けずに【空間転移】で上に逃げる。さっきの軽く振ったビンタでさえ【火炎装衣】を楽勝で貫通された。刻印出してるつっても、受けに回ったらどんなダメージを食らうか分かったもんじゃない。
相手の頭上に転移して、尻尾の振り終わりを狙って首を落としに行く。
魔素の盾を【魔炎】で焼い―――硬い!? ゾンビの時には簡単に燃やせたのに、盾を形作る魔素が燃やし辛い。明らかに、燃やされまいとする抵抗力がある。
けど―――それは燃やせないって事じゃない!
無理矢理炎で盾をこじ開けて、剣を通せる穴を作る。
これで、目の前は野郎の首だ!!
「はあああああっ!!」
全力でヴァーミリオンを振る!
――― ガキンッ
ダイヤモンドにでも斬り付けたような、恐ろしく硬くて頑強な感触。
防御魔法ではない、能力でもない、竜種が当たり前に持っている種族特性―――
「竜の鱗かっ!?」
魔法も、属性効果も、物理攻撃も…全てを弾き返す最強の鎧。
一回斬っただけで分かった。この鱗の防御は、物理攻撃じゃ絶対に貫通出来ない―――!
でも、コッチにはもう一手残ってるんだぜ!?
今のテメェのその肉体は、腐った肉体を素体にして、その周りを魔素で肉付けしてるような状態だ。それは【魔素感知】でチェックしたから間違いない。
そう、この体は大分部が魔素で出来ている。って事は、扱いとしては生物よりも魔物寄りになってる!
だったら、やる事は1つだ。
「燃えろ!」
瞬間の静寂。
炎は―――点かなかった…。
「っ!?」
何で―――!?
『クククっ、どうした?』
笑いながら竜の首がグルッと回って頭上に居る俺を捕らえる。
――― ヤバいっ!?
振るわれたのは、背中の翼。横から撫でるように叩き付けられて、地面に撃ち落とされる。
「チッ!」
「マスター!」「アークさんっ!!」
【火炎装衣】にヴァーミリオンの熱量を多めに割いてたお陰で大したダメージじゃなかったのは幸い。
『顔色が悪いぞ継承者? どうした、もっと足掻くが良い』
くっそ…ヤバいぞコイツ。
コイツの体は魔素で出来ている。それは間違いない。
でも、コイツには俺の【魔炎】が利かない…!
いつものように体を形作ってる魔素に直接発火させようとしたが、反応がまったくなかった。考えられる原因は1つしかない。奴の魔素への支配力が俺を上回ってるんだ。だから、俺の「燃えろ」という魔素への命令が奴によって無効にされた。
これが魔竜エグゼルドか…。
マズイな。コイツ、洒落にならないぐらいに強い―――!!