4-30 始まり
無言のまま2人で道とも呼べない道を歩く。
≪黒≫の女は、後ろを歩く俺の事を気にする様子もなくズンズン前に進むので、追い掛けるコッチも若干早足になる。
見るともなしにその細い背中を見ながら、最悪コイツと戦う展開も有り得るのか…と心の中で溜息を吐く。
コイツ……前に会った時にはボンヤリとしか感じなかったが、俺の方が≪赤≫の力を引き出せるようになったからだろうか? 所謂“格の違い”って奴を感じてしまう。
系統は違うけど、根っ子は同じ原色の魔神だから分かる。俺の使える魔神の力が10とすると、この女の使える力は30か35…いや、下手すりゃもっと上か…?
予想値でも能力3倍の相手かぁ……。戦うのは勘弁願いてぇ戦力差だな…。
心の中でさっきよりも深い溜息を吐いた頃、前を歩いていた女の足が止まる。
木々の間を抜けた先の遠くに海の見える小高い丘だった。
陽が昇っていたら、海がキラキラしていて綺麗だろうに……夜に来たって闇が口を開けているようにしか見えないよ…。
「ここで良いだろう?」
女が振り返る。
暗闇の中で、女の顔を隠す白い仮面だけが存在を主張して来て凄い不気味だ。ここがお化け屋敷だったら、効果抜群かも。
「ああ」
「素直に着いて来た、と言う事は覚悟は出来ていると判断して良いのだな?」
無造作に腕を俺に向けて手の平を開く。
ゾワリとした悪寒。
ヤバい!? 何か分からないけど、途轍もないヤバい予感だけが膨れ上がる!
「では、長引かせる理由も無い。手早く終わらせようか?」
向けていた手の平をグッと握る。
瞬間―――俺の立って居た周囲の土が音も無く爆発したように噴き上がり、次の瞬間には俺の体が噴き上がった土に囲まれていた。
土の檻―――!?
周りの土に触れてみると、指先が切れて盛大に血が出た。
良く見えないけど、表面で砂粒や小石が高速で動いて研磨機みたいになってやがる…!
「残す言葉はあるか?」
土壁の向こう側から、平坦な感情の伴っていない声が聞こえる。
「……そうだな…?」
ヴァーミリオンを抜いて熱量を解放する。
狭いスペースで肘を畳んで上手い事剣を振る。剣先から放たれた膨大な熱量が目の前の土壁を吹き飛ばして巨大な穴を開けた瞬間、土壁が再生を始めるよりも早く外に転がり出た。
「なんのつもりだ?」
さっきのヒートブラストは2mくらいの小さい範囲にしか撃って居ないので、当然仮面の女には温い風さえ届いていない。俺の目的は、コイツを倒す事じゃない…と言うか、それ以前に戦う事じゃない。
「死の覚悟はしていたのではないのか?」
声が1段階低くなる。
そして、殺気が女の全身から噴き出す。
マズイ、殺る気スイッチが入ってしまったらしい!?
「マスター!」「主様!」
パンドラとエメラルド達が飛び出して来て俺達の間に割って入る。
何で―――…気付かれないように出て来たのに!?
「お前等、何で!?」
答えるように、白雪が俺の目の前でヒラヒラと羽ばたいてホバリングする。って、そっか、お前か犯人!?
俺が無意識に垂れ流した思念を受けて、何か異変があったとパンドラ達を起こして追い掛けて来たのか…。
……心配して来てくれたのは素直に嬉しい。けど、俺が1人で来たのはお前等を巻き込まない為だ。コイツとの問題はあくまで俺個人の話だし…それにもし戦いになったら、パンドラ達では多分太刀打ちできない。
「申し訳ありません! ですが、主様が誰かに連れて行かれる、と白雪殿に聞きましたので!」
「事情は分かりませんが、マスターの危機であると判断します」
「……ふむ、お前の仲間達か?」
俺以外には攻撃する意思がないのか、俺に向けていた手を1度降ろす。
「ああ。コイツ等は関係ないから攻撃するのは止めてくれ」
「元より貴様以外に何かをするつもりはない」
「マスター、お早くお逃げ下さい。対象の戦闘力…計測不能、戦闘での勝利は絶望的です」
パンドラが冷静に言いつつも、慌てた様子で俺を隠すようにグイグイと背中で押して少しでも≪黒≫から離れさせようとする。
頑張ってるとこ悪いけど、コイツ多分転移スキル持ってるから逃げても無駄だと思うぜ?
「お前等、良いから下がってろ」
パンドラの背中をどかして前に出る。
「マスター!」
「で、ですが主様!」
「コレは俺自身のケジメの話だ」
再び魔神憑き同士で対峙する。
「ふむ。今度こそ死ぬ覚悟は出来た…と判断するが、構わんか?」
「それで罪がちゃんと償えると言うのなら、死を受け入れるのも吝かじゃないが、そうでないのなら俺は命を―――この体の命を差し出す訳にはいかない!」
そうだ。例え戦ってでも生きる道を俺は選んだ。
相手が俺の何倍強かろうと、簡単に捨てて良いわけねえよ!
思い返すと、今までどうして自分が簡単に死を受け入れる事が出来たのかが疑問でしょうがなかった。
「…? 今、どうして“この体の命”などと変な言い回しをした?」
「信じられないとは思うけど、俺は精神と肉体が別人なんだよ」
「なんだと…?」
何を馬鹿な事を。とでも言いたげに仮面の下で目が細くなる。
まあ、こんな話普通は信じられねえよなぁ…。
「……詳しく話せ」
お、でも一応聞くのか…。
「今こうして会話している俺は、異世界の人間なんだ。アッチで死んで…その時に丁度勇者を召喚する儀式魔法? とか言うのが発動してたみたいで、それに巻き込まれて精神だけがコッチの世界に呼びこまれちまったみたいでさ」
「精神だけが? では、その肉体はなんだ?」
「この体は、コッチの世界の人間の……普通の男の子の体なんだ。今は、俺が勝手に借りてるだけで、本来の持ち主の精神は意識の奥の方で眠ってる」
「………俄かには信じがたいな…」
でしょうね。
「だが…まあ、本当の事なのだろう?」
「え…? そんな簡単に信用してくれんの?」
「ああ。少なくても、お前の言葉には嘘が“視え”なかったからな」
見えなかったって、どう言う意味だろう? 「嘘を言ってるようには見えない」の言い間違いかな?
「ふむ…これはどうしたものかな…? ただ殺せば終わり…と言う訳にはいかんか」
……アッチも処遇に困ってるし、少しこれからの考えを話してみよう。
「あのさ、それならこの場は1度保留にして貰えないか?」
「なに?」
「俺はこの体から俺の精神を引き剥がす方法を探す為に旅をしてる。ついでに、俺の本当の体も蘇らせられれば良いな、とは思ってるけど」
1度言葉を切ると、≪黒≫の女は腕を組んで本格的に話を聞く姿勢になり「それで?」と先を促してきた。
「俺がもし本当の体に戻れたら、その時は改めてお前の処罰を受ける」
……でも、それだと殺される為に生き返る方法を探す事になるな…。いや、今はそれは考えなくて良い。
「ただ、それは俺の体を生き返らせる方法が見つかった場合。もし見つからなかった時は、この体から俺の精神だけを引き剥がす事になる」
「ふむ…つまり、精神だけになった貴様は死ぬ、と」
「ああ」
「しかし、貴様の旅の目的である2つの物が、両方見つからなかった時はどうする? 永遠に貴様がその体に居続けるこ―――」
「見つけるさ!」
「…?」
「この体から、俺の精神を引き剥がす方法だけは絶対に探し出す!」
俺の体を生き返らせる方はどうなるか分からないが、そっちだけは絶対に見つける。見つけて、この体をロイド君に返す! 絶対にだ!
「それほどの決意があるならば、何も言うまい……。良いだろう、貴様の提案を飲んでこの場は保留にしておいてやる」
「そうか。礼を言った方が良いか?」
「いらん。それよりも、提案を飲むには1つ条件がある」
戦って勝て! とか、武闘派な展開じゃありませんように……。
内心ダラダラと冷や汗をかきながら「穏便な条件でありますように!」と神頼みしてみる。
「貴様がその体を離れる時には、私も立ち会わせて貰う。この場を見逃す私には、貴様の行く末を見届ける義務がある」
ああ、そう言う事ね……。ホッとした。
「分かった」
「うむ。それでは、この場は退かせて貰う」
クルリと背中を向けて転移の光に包まれる。
「それと―――」
「ん?」
背を向けたまま、天を仰ぐように言葉を続ける。
「これは、あくまで私個人としての言葉だが……。ラーナエイトの暗い闇の噂は知っていた。あの街で子供を集めて何が行われていたのかも、何となく予想はついている」
一瞬、あの街の上層で見た光景が頭の中でフラッシュバックして吐き気が込み上げてくる。
「私には様々な権利と権限が与えられているが、それ故に自由に出来ない事がある。あの街への介入はその最たる物と言って良い。だから―――」
少しだけ振り向き、仮面に隠れていない口元がクスッと笑う。
「だから、あの街の闇を…子供達の血と涙を残さず消し去ってくれた事に、少しだけ感謝している」
言い終わると同時に転移が開始され、女の体が夜の闇に溶けて消えた。
感謝してる…か。アイツも、あの街をどうにかしたかったって事か…。
「マスター?」
「うん?」
俺が静かにさせていたパンドラ達が、≪黒≫が消えた途端に動き出して俺の周りに集まる。
「マスターは、死ぬおつもりなのですか?」
パンドラが視線を合わせようとしない。答えを聞くのを恐れてるのか…。エメラルド達も視線は地面に向けたまま顔を上げようとしないし…。
うん、そうだな。
これ以上心配させる訳にはいかないし、俺自身への“約束”をしておこう。
「パンドラ、それに皆聞いてくれ」
言うと、恐る恐る顔を上げて俺の顔を見る。
「俺は、これからも旅を続ける。その果てに、もしかしたら、こうして話している俺は消えてしまう事になるかもしれない」
「……はい」
「でも―――俺は生きるよ!」
「え?」「主様…?」
「旅の先に死が待っているのだとしても、俺は、その死が訪れる最後の一瞬までちゃんとこの世界で生きる!」
今までこの世界で生きるのは、ロイド君に肉体を返す為であり…それは罪悪感や責任感から来ていた物だ。言ってしまえば、それはロイド君への約束事。
けど、これは俺自身が自分で選んで、この世界で生きると言う自分自身への約束だ。
「では、マスターが生きている間はずっと御供させて頂きます」
「無論、我等も主様と共にあります」
ゴールドとサファイアが高らかに鳴き、白雪が祝福するように俺達の周りを飛び回って光の粒子を降らせる。
「うん。これからもよろしく頼む!」
「はい」「お任せ下さい」
これから先の事は分からない。けど、俺は、この遠い遠い異世界で生きて行く。
それが俺の小さくて大きな決意。
随分遅くなったけど、この“約束”が俺のこの異世界での最初の一歩目。
ここが、俺の―――アークの本当の始まり。