4-28 ただ一人を救う為に
幸い…と言うべきか、種を植えられた―――食べさせられたのはシスター1人だった。
そのシスターは、目を開けてはいるが意識がない。まるで人形か何かのような状態だ。
飲み込んでしまった種の排除法として、俺が真っ先に思いついたのが吐き出させる事だ。ただ、人に寄生するタイプのこの手の物がそう簡単に吐き出させてくれるか? と言う疑問もあった。最悪の展開として、無理に体外に出そうとすると宿主を殺す…とかの展開も有り得る…。
そこで俺が次に考えた種の排除法が、体内で燃やす事だ。
常識で考えれば、そんな方法はバカバカしくて実行する奴は居ない。でも、この世界はそもそも常識の通用しない世界だ。……と言うか、俺自身が大分常識の通用しない怪物になってきてるし…。
だが、実行するにしても問題がある。
俺が火と熱の扱いが得意と言っても、いつもやっている炎を最大火力でばら撒くのとはまったくの別物だ。
種を焼くと言う事は、シスターの胃の中で火を焚く事なる。変にダメージを与えればその瞬間にシスターの体を食い殺すかもしれない。
だから、焼くなら一瞬で。でも、その為にはそれ相応の火力が必要になり、その分シスターの胃を焼く危険性が高くなる。
今回要求されるのは火力の大きさではなく、ピンポイントで種だけを焼く凄まじく繊細なコントロールだ。言ってみれば、米に絵を描くような…そんな顕微鏡を使うようなレベル。しかも、それを人の体の中で…だ。
人の姿のままでそんな作業は無理。でも、俺にはもう1つ上の姿がある。
――― 魔人化
ラーナエイトを容易く消し去った異形。≪赤≫の力にもう一歩踏み込んだ力。
あの姿であれば、出来るかもしれない。
でも、本当に大丈夫なのか…? また、あの破壊衝動に呑まれて暴れてしまうんじゃないのか?
「……迷ってる場合じゃねえだろ!?」
「マスター?」
「パンドラ! 一発引っ叩いてくれ!」
「はい」
言われるまま、フルスイングで俺の頬を叩く。
痛…ちょっ…痛過ぎ……まあ良いか!
「サンキュー」
「はい」
シスターが何故種だけではなく、あえて口に捻じ込みづらい果実ごと食べさせられたのか?
パンドラ曰く、胃液で種を溶かされないようにする為で、腸に落ちた所で発芽するつもりなのではないか? との事だった。
でも、それなら果実が消火される前に吐き出させれば良いんじゃね? と思ったら、パンドラがさっき俺が焼き落とした果実を拾って来て見せる。果実を少し剥くと、弾けるようにして根が伸びてパンドラの手を絡み取ろうとした。慌てた様子もなく、自分の手の上でウネウネと根を伸ばす種を魔弾で粉々に吹き飛ばすと、軽く手を拭きながら「敵性反応を感知する事は出来るようです」と、報告してくれた。俺も見てたから知ってる…。まあ、でも下手に吐き出させると根を張られそうなのは間違いない。
ともかく、胃の中で発芽しない予想が当たっているのなら、まだ種は大人しくしている筈。
えーと…確かフルーツとかって30分~1時間くらいで消化が終わるんじゃなかったっけ? それがタイムリミットだな。
体の中に根を張られたら、それこそ手が出せなくなる。腸に落ちる前に始末しないと。迷ってる時間はない!
「パンドラ、頼みがある」
「はい。かしこまりました」
「……いや、まだ何も言ってない。で、頼みたいのはさっきの果実の処理だ。スリーピーウッドは倒したけど、果実まで全部始末出来ているかは確認してないんだ。だから、死体……死体? とその周りを調べて片っ端から焼くなり潰すなりして処理して来てくれ」
「かしこまりました。その命令は、果実よりも種の処理と解釈しますが?」
「そう、当たりだ。種が単独で動く可能性があるから、逃げる前に全部ここで殺しておきたい」
「理解しました。では、ゴールドをお借りして宜しいでしょうか?」
ああ、そっか。パンドラがセンサー搭載されてるっても、基本的に視覚頼りだしな。地面に転がってるかもしれない物を探すなら、鼻の利くゴールドが一緒の方が効率が良いか。それに、もし種が襲って来ても2人居ればどっちかが動けるから安心だし。
「分かった。ゴールド、お前はパンドラと一緒だ」
俺の後ろでお座りしていたゴールドが、「ガゥ!」と一鳴きしてパンドラの後ろに移動する。
「では、ただちに行動を開始します」
俺にペコリと頭を下げると、そのまま近くにあったスリーピーウッドの死体(?)に走って行く。その後に続くゴールドの背中を見送って、サファイアとエメラルドを伴って教会に移動する。
「少年、これからどうするんだ?」
教会の中にシスターを寝かせて来たリーベルさんが不安そうに聞く。
ゴツイ男がそんな声出さないでくれ……実行するコッチが不安になる。
「大丈夫。なんとかします」
「なんとかって……では、私に何か手伝える事は?」
「上手く行くように神様に祈っておいて下さい。あと、終わるまで教会に誰も入らないようにお願いします」
大きい背中をグイグイ押して外に出すと、扉を閉める。
………教会から締め出しておいて神に祈れって…どんなブラックジョークだ俺。
「エメラルド、サファイア。中に誰も入らないように見張っててくれ」
「はっ、お任せを。虫1匹たりとも中には入れません」
エメラルドに続くように、サファイアも甲高い声で鳴く。
「うん。じゃあ暫く頼む」
シスターの寝かされた部屋に入る。
なんつーか、何も無い部屋だな…。神職の人の部屋って感じはするけど。
人の部屋の感想は意識の隅に追いやって、ベッドで横になっているシスターに近付く。
今は目が閉じられ、規則正しく呼吸をしている。傍目には寝ているようにしか見えないな? ……でも、今も腹の中ではシスターを殺す怪物が、今か今かと発芽の瞬間を待って居るんだ。
始めるか。
「白雪、危ないから俺から離れてろ」
フードの中でウトウトしていた白雪が飛び起きて部屋の隅に飛んで行く。
「それと、1つ伝言を頼まれてくれるか? もし、俺が暴走したと判断したら、急いで外に出てパンドラとエメラルド達に―――俺を殺せって伝えてくれ」
本当はアイツ等に先に言っておきたかったけど…直接アイツ等に言うと、絶対何か言われるからなぁ…。と、心の中で苦笑していると、白雪が青く光りながら俺の周りを飛ぶ。
「なんだ? どうした?」
肩にピトッと止まると、一層青くなる。何をそんなに悲しんでるのかと思ったら、「お別れ。嫌」と思念が飛んで来た。
ああ、うん……。
「悪い、変に心配させた」
指先で真っ青になっている白雪を撫でる。
「別に俺だって暴走するつもりもねえし、させるつもりもねえよ。単なる気構えの話な?」
少しだけ青い光が薄くなって、部屋の隅の燭台に飛んで行く。
ヨシ、始めようか!
「【魔人化】」
赤い光に包まれて、体が急速に作り変えられる。
人の姿から―――魔に堕ちた、魔人の姿へと。
作り変えは1秒もかからずに終了し、赤い光が収まった部屋の中には人間のアークは居ない。居るのは、赤い光沢の肌に剣のような尻尾を生やした≪赤≫の魔人。
「…………」
この姿は、やっぱり好きになれねえなあ…。とは言っても、コレは俺の罪の形そのものだからな。怖がってる訳にはいかねえ! 俺は、自分の罪と向き合うって決めたからな。
それに、今回は違う。戦う為じゃない。破壊する為じゃない。殺す為じゃない。
人を助ける為にこの姿の力を使うんだ。
俺が意識の中で冷静になろうと気を落ち着かせていると、白雪が「大丈夫? 大丈夫?」と何度も何度も心配そうに思念を飛ばして来る。
「心配すんな。大丈夫だ」
返事をしてやると、安心したように青かった白雪の体がいつもの白い光に戻る。
大丈夫だ。あの時みたいな意識が怒りに引っ張られる感じがない。
「シスター、今助けるから」
まずは【魔素感知】と【熱感知】で種の詳細な位置を探る。
ヘソから手の平1つ分くらい上の位置に、変な魔素を纏ったのを見つけた。コイツか?
多分胃の中…だよな?
頭の中で人体模型を思い浮かべながら照らし合わせると、恐らく胃で間違いないだろう、と言う結論になった
反応が小さい、多分まだ種が発芽してない。パンドラの予想通りか、ちょっとだけ安心した……けど、ノンビリもしてられない。
シスターの口が閉じないように指を入れて、目を閉じて体内の魔素を追う。
人間の体内に魔素は存在しない。人の体に入った魔素は、魔力として変換されるからだ。だから、体内で魔素の反応があれば、それは人の体ではない何かだって事。つまり、テメエだよ、種この野郎! 多分発芽する為に種の中に魔素を溜めていたんだろうけど、お陰で追跡がやりやすい。
それにもう1つ…体内での発火の方法をどうしたものかと思ってたけど、種が魔素を持ってるなら【魔炎】で燃やせる。
腰からヴァーミリオンを抜く。
ここからの手順は至って簡単だ。まず【魔炎】で種を燃やす。その際に出る熱量と炎をシスターの胃に届くより前にヴァーミリオンで回収する。
……言うのは簡単だ。火を付ける……最初はこれも関門かと思ってたけど、種が魔素を纏ってくれてるならさほど難しくない。次に炎熱の制御だが、これも【炎熱特性付与】で“拡散制御”を付与しておけば多分問題ない…と思う。で、最後に種を焼いた後の炎熱の回収……コイツが問題だ。ヴァーミリオンの【炎熱吸収】は空間を飛び越えて吸収する訳ではなく、空気を伝わって吸収するからだ。つまり、シスターの胃の熱を吸収するなら、ちゃんと食道を通して口から出さないといけない。胃だけではなく、途中の食道と口内も傷付けないようにしないといけない訳です。
「ふぅ…」
集中。
やれるさ、この姿なら。
街を1つ一瞬で焼滅させるような力を持つのに、人1人救えないなんて―――冗談じゃない!
「行くぞ!」
自分自身に言い聞かせて作業を始める。
神様―――そんなもの信じてないけど。居たとしてもアンタは俺の事を相当嫌っているんだろうけど、それでも今だけはアンタに祈る。
……………
…………
………
……
「ぷっはあああ……はぁはぁ…終わった…」
時間にすれば1分にも満たない時間。いや、もしかしたら30秒もかかっていないかもしれない作業時間。
ずっと呼吸する事も忘れて、ただひたすら体内の熱の動きを追い掛けて、操作して…種を焼いて―――そんで、上手く行った?
思い描いた通りの事は出来た。種と果実も灰も残さずに焼いた。
「解除」
人の姿に戻ってシスターに触れてみる。
どことなく血色が良くなった? いや、実際良くなってるな? 体温が少しだけ上がってる。
「…?」
シスターの瞼が開く。
寝起きのようなボンヤリとした目が3秒程俺を見る。
そしてユックリと口を開き―――
「…アークさん?」
俺の名前を呼んだ。
「……はは…ぁははは……」
足に力が入らなくなってヨロヨロと後ろの壁に背中を預ける。
助ける事が出来た……!
「アークさん、どうしたのですか?」
「なんでもない…なんでもないんです……」
色んな感情が頭の中でグチャグチャして涙が零れた。
魔人の力を……あの破壊しか生まないと思った力で、人を助ける事が出来たんだ…!
ベッドから立ち上がって俺の涙を拭こうとしてくれるシスターを見て、ただただ俺は涙を流し続けた。