4-21 迷走飛行 2
歩いているうちに、霧雨が徐々に普通の雨に変わり、その中をフラフラと歩いている俺はもう全身ずぶ濡れだ。
体に張り付く服や、靴の中に溜まった水が気持ち悪い。
アッチじゃ傘差すのが当たり前だから、こんなにグッショリなるまで雨の中を歩くなんてなかったなぁ…。
足を動かすのをシンドく感じながらも、1人で黙って歩く。
……ここにパンドラが居たら、どう言う反応するかな? 多分、即行で木陰に引っ張り込んで俺の体を拭きながら文句を言う…って感じか。
白雪は……どうだろう? アイツは基本俺に引っ付いてるから一緒にずぶ濡れになって、パンドラに拭いて貰いながら俺に文句を垂れそうだな。
エメラルド達は……? エメラルドは、パンドラと似たような反応だろうな。ゴールドとサファイアは、むしろ雨に打たれるのをキャッキャと楽しみそうな気がする…。
そう言えば、俺が死んだらエメラルド達はどうなるんだろう?
アイツ等は俺の【眷族召喚】で作り出している存在だ。召喚してしまえば、完全に俺とは分かれた別の存在となるが、アイツ等の根っ子は俺の精神の一部だって言ってたし、召喚してない時は俺の中に居るらしいし……。もしかして、俺の死はアイツ等の死でもあるのかな…?
…………だとしたら、なんとかアイツ等を残す方法を探してやりたいけど……俺の命は、≪黒≫の女から残り3日と定められてしまった。そんな短い時間でどうこうなる様な話か?
あの女を倒して生き延びる……という選択肢もあるにはあるが、アイツ多分無茶苦茶強いと思う。戦うところは1度しか見ていないが、正直何をどうやっても有効打さえ与えられる気がしない。
……そもそも、そこまで死に物狂いで戦ってまで生に執着する気力もないしな……。
アイツ等が俺の死と同期して消えると言うなら……それは、もう諦めて貰うしかないな…。ゴメンな…こんなしょうも無い奴の元に生まれてしまった事が不幸だったと思ってくれ……。
あの可愛く頼りになる魔獣達も道連れにしてしまうのかと、更に陰鬱した気分になっていると、脇の草むらから何かが飛び出してくる。
真っ黒なモヤを纏った狼―――魔物。
俺がコッチの世界に来てから何度も会って来た顔だ。ユグリ村に居た頃は恐怖の象徴として、旅に出てからは雑魚のうちの1匹として。いい加減見飽きたと言っても良い。
魔物とは言っても相手は最下級(ポーン級)、ヴァーミリオンが無い丸腰の俺でも全然恐れる要素の無い敵だ。
とは言っても……コッチも戦おうと言う気が湧いて来ない。
いや……戦う気どころか、生き残ろうと言う気さえ湧いて来ない。
このまま、何の抵抗もせずにこの魔物に殺されれば、それで全部終わるんじゃないのか?
黒い狼が飛びかかって来る。
このまま何もせずにいれば、それでもう―――…。
死を覚悟した。
それなのに、散々戦いの中に居たこの体は、動く意思のない俺の精神を無視して魔物の動きに勝手に反応して、その場から横に飛んで攻撃をかわしていた。
「―――っ!?」
体に染みついた戦闘感覚が、魔物に殺されるのは嫌だと言っている。
死ぬのは良いけど、魔物に殺されるのはNOってか……!
反応しちまったもんは仕方ない、この場は戦うか。
………大丈夫。いつも通りに力を使うだけだ、破壊衝動は湧いて来ない。
緩く構えて、向き直った狼型の魔物と相対する。気負う必要はない、炎で軽く焼いて―――…。
そこでふと頭の中で疑問が浮かぶ。いつもなら、絶対に浮かばない疑問。
――― 炎って、どうやって出すんだ…?
途端に焦る!
いつもなら、意識しなくても自在に操れる炎の使い方が分からない。どうやって発火させれば良いのかが分からない。
いや、ちょっと待て! 炎だけじゃないっ! そもそも魔物がこんなに近くに来ていたのにまったく気付かなかったのは【熱感知】が機能してないからだ。それに、体が雨の中を歩いただけで大分消耗している。【フィジカルブースト】を切ってるせいだと思ったけど違うぞこれ! 俺が切ってるんじゃなくて、スキルが発動出来ない!?
戦う気がない、なんて話じゃない。戦えない!
「……これが天罰かねぇ…」
天罰ってより、「お前の望み通りに死にやすくしてやったぞ」と神様だかがほくそ笑んでるように思える。
くそ…! そう思うと凄ぇ腹立つな!
死は確かに受け入れた。けど、視えない何かにそこに導かれるのは、正直とてつもなく鬱陶しい。
勝手にコッチの世界に引っ張り込まれて、≪赤≫を持たされて―――どこまでが偶然かは分からないが、少なくても全部を偶然だなんて言う程俺は“運命”なんて物を信じていない。最後の瞬間まで、そう言う偶然に見せかけた“運命”を押し付けられて堪るか!
最後くらい自分で選ぶ。横から視えない手で墓場まで運ばれるなんて、冗談じゃないっ!!
力を溜めるように体勢を低くして伏せる魔物。
死ぬにしたって、それはここじゃない!
狼とは逆方向に向かって走り出す。同時に、魔物がばねの様に足を伸ばして跳躍からのダッシュで追い掛けて来る。
肉体強化のスキル無しじゃ、どう頑張っても逃げ切れない。そんな事は分かってる。
走りながら道端の水溜まりに手を突っ込んで泥を手に取る。
魔物はすぐ後ろ! 横に転がりながら擦れ違うように狼の目に向けて泥を投げる。
ヒット! 頭を仰け反らせて、転びそうになる体をスピードを緩める事で防ぎ、目元に付いた泥を頭を振って払おうとする。
スキルは使えない。でも、それは戦えないって事じゃない。
ユグリ村でコイツに追い掛けられていた俺に無くて、今の俺に有る物。それは、大量の戦闘経験だ。魔物の攻撃パターンや反応は散々見て来た。
で、問題はここからだ…。
泥を落とそうと頑張っている魔物を置いてさっさと逃げるか。それともこの場で戦って倒すか。
逃げるのは…多分無理だな。泥を落とすのなんてそれ程時間はかからないし、コイツは見た目通りに嗅覚が鋭い。俺が逃げ出したら途端に追って来る。しかし、戦うなんてそれこそ絶望的だ。肉体能力は普通の人間で、炎も熱も使えない。武器もない。仲間も居ない。
無い無い尽くしで絶望感しかねえ……。
って訳で…故人曰く、
「逃げるが勝ちってね!」
全力で走る。
あとはもう運にかけるしかない。雨で臭いが上手く追えないとか、逃げた先に助けが居るとか。
可能性の薄い事を考えていると、ザシュっと肉の裂ける音と共に背中に激しい痛み!
「ぃ…ッつ!?」
痛みを堪え切れなくて、背中を押されるように地面を転がる。
目の前には目元に微かに泥の跡が残る狼型の魔物。
追って来るの早過ぎない…?
……って、良く考えれば泥なんて雨で流されるんだから、すぐに追って来るに決まってんじゃん…馬鹿すぎるだろ…! くっそ、背中が痛ぇ…。致命傷とまでは行かなくても、この傷じゃ走れねえぞ…!
俺が動けないのを理解したのか、余裕を見せ付けるようにユックリと近付いて来る。
……マジで、ここで終わりなのかよ…。アッチでもコッチでも、どうしようもない死に方だな……。
「………ロイド君……ゴメン…」
結局、君を巻き込むだけ巻き込んで…あの世まで道連れにしてしまった。君と同じ場所に逝けるかは分からないけど、もし会えたら好きなだけ殴って文句を言って欲しい。
痛みと出血で頭がクラクラして視界が揺れる。
魔物が俺に飛びかか―――
「【ウォーターショット】!」
横合いから飛んで来た水球が、雨の滴を呑み込んで大きくなりながら空中に居た狼型の体を吹き飛ばし、その先にあった木の幹に体を叩き付ける。
誰…だ?
薄れゆく意識の中で、大剣を構えた重装の大男が近付いて来るのが見えた。
「無事か!」
……とりあえず、敵じゃなさそうだ……。
あ……ヤベェ………安心した、ら……意識が……。