4-19 従者達
――― 定時のセルフメンテナンスを実行
――― チェック……チェック……チェック……
――― エラーは確認できませんでした
――― 通常モードでスリープを解除
――― 再起動します
瞼が上がり、視覚の情報を取り込む。
昨夜スリープモードにした状態との差異は、太陽の有無以外にはない。
「パンドラ殿、お目覚めになりましたか?」
目の前には、空中に浮く不思議な赤い仮面。
人間的な感性で言えば、不気味…と思う物なのかもしれないが、パンドラの人工的に作り出された人間性にそう言った物を感じる機能は無い。
「はい。エメラルド、何か異常はありましたか?」
「いいえ、何も」
赤い仮面がフルフルと首(?)を横に振る。
「では、マスターは?」
「………何も」
「そうですか」
あの夜から2日経った。
この場に居るのは、パンドラ、白雪、エメラルド、ゴールドの4名…もしくは1人と2体と1匹。
1番居なくてはならない人物がここには居ない。
パンドラにとっては世界で唯一の仕えるべき主。白雪にとっては名付け親。エメラルド達にとっては自分達を生み出した神に等しき存在。
原色の魔神が一柱≪赤≫の継承者たる、あの小さな少年がここには居ない。
2日前の夜にラーナエイトで別れた後、パンドラ達は言われた通りにあの場から逃げて街から遠ざかった。
逃げて逃げて、振り返れば遠くの空が昼間のように輝いていて―――あの街が“終わった”のだと皆が悟った。
そして、その“終わり”を見届けた自分達の主が、すぐに後を追って来ると待って居たのだが……どれ程待っても現れる事はなかった。
白雪がどれだけ思念を飛ばしても返事はなく。ゴールドが近くを周って匂いを探したが成果は全く出ていない。
あちこち探しながら歩いているが、それでもその痕跡すら見つけられないまま、もう2日目だ。
無事で居るのは分かっている。無事でなければ、主の力によって呼び出されて居るエメラルドとゴールドにも何か異変が有る筈だ。だが、今のところ2人はピンピンしている。
ただ、まったく主の姿が見つからず連絡もない事で、自分達は捨てられたのではないかと少々気弱になっているが…。
「主様は、一体どこに居られるのか……?」
エメラルドの言葉に、白雪が体を悲しみの青で光らせてパンドラの元に飛んでくる。
手の中に収まった小さな光る球を指先で撫でて落ち付かせる。
「心配は要りません。マスターはご無事です」
「おお、白雪殿すみません! 不安にさせてしまいましたな」
ゴールドも白雪を慰めようとトコトコ寄って来て舐める。……そんなつもりは無いのだろうが、完全に食べる前の味見をしているようにしか見えない。
「我等の主様は世界で最も強き力を持つ御方、何者が相手であろうとも心配する必要はありません」
「そうですね」
パンドラもエメラルドの言葉を全面的に肯定する。
彼等の主は、絶対的強者だ。それを疑う余地はない。
正直に言ってしまえば、初めて会った時の主の力はそれ程の物ではなかった。パンドラの力でも、戦力を分析しパターンを解析すれば十分に1対1でも戦えるレベルだった。
だが、あの小さき主は追い込まれると、まるで神の奇跡が降って来るように強くなる。
出会ってたった一月にも満たない間に、自分ではどう足掻いても勝てない存在へと成長した。その魔神と呼ぶに相応しい成長速度こそが、1番の武器なのかもしれない。
だが、同時にパンドラの中には言葉に出来ない………そう…人間で言うなら、不安…のような物をずっと感じていた。
小さく幼い見た目とは不釣り合いな、圧倒的な力。
小さく幼い見た目通りの、か弱く脆い心。
いつものあの姿は、その2つが絶妙なバランスで成り立って居た、危うい姿なのではないだろうか、と。
だから、あの夜に見た異形となったあの姿も驚く事無く受け入れる事が出来たのかもしれない。
――― バランスが崩れてしまった
悲しみはなかった。それどころか、あの姿に神々しさのような物さえ感じた。
ただ、あの時に思ったのだ。
――― もう、あの小さく幼い姿のマスターが戻って来る事はないのでしょうか?
悲しみはなかった。………ただ、あの姿が、あの声が、自分の名前を呼んでくれないのだと思うと、体から力が抜けて崩れ落ちそうになる。
勿論、そんな物は錯覚だ。機械的に思考をする自分に、そんな痛みにも似た感情は存在しない。だから、あの時に感じた“それ”は、きっとただの気のせいなのだろう。
「白雪、マスターに呼びかけてみなさい。もしかしたら、そう、ちょっと、うっかり、のような、何か? で、気が付かないだけかもしれません」
手の中で小さな妖精が羽を畳んで、どこかに居る名付け親に向かって思念を飛ばす。
暫く待って………また体が青くなる。
「主様は、答えてくれないようです」
「そうですか」
エメラルドが白雪の言葉を通訳してくれるが、やはり望んだ答えではなかった。
「パンドラ殿……主様は我等を……」
「それは、ありません」
確証はない。もしかしたら、本当に捨てられたのかもしれない。
「どうして、そう思うのですか? 主様は一向に我等の前に現れてくれません……白雪殿の言葉にも答えて下さらない……」
エメラルドがシュンとしたように項垂れる。それを見て白雪が一層青く光り、ゴールドまで「クゥーン……」とか細い鳴き声を漏らす。
「マスターの事です。どうせ、どこかで何か面倒な事に首を突っ込んで居るのでしょう。それで私達を探しに来る事も出来ず、白雪からの連絡にも答えられない…と言う事情ではないかと推測します」
あの小さな主は、何と言うか……行く先々で面倒事が待ち受けている、万年トラブルメーカー……ではなく、万年巻き込まれ体質なのだ。
自分達と離れた後に、何かあって身動き取れないような事になっていても驚くような事は何一つ無い。
「………確かに、主様であれば在り得るかもしれません」
ゴールドもうんうんと頷き、白雪も「それに違い無い!」とでも言うように、明るい色に変色しながら元気よくパンドラの手から飛び立つ。
「では、早く探しに行きましょうか。きっとどこかでドンパチしてる事でしょうから、騒ぎの起きてる場所に向かえばマスターが居る筈です」
「ははは、そうですな! 主様が敵を殲滅して移動してしまわないうちに、お探ししなければなりませんね」
「ええ、行きましょう」
パンドラが前に立って歩き、その肩に白雪が止まる。
「パンドラ殿は、主様を信じているのですね? 同じ臣下として、その姿を見習いたい物です」
エメラルドとゴールドが敬意を表す礼をする。
違うのだ。
信じているのではない。捨てられたかもしれないと疑いたくないから、盲信的に信じる以外の選択肢がない、と言うそれだけの事だ。
マスターは………あの小さな少年は、パンドラにとっての世界その物である。
彼が居るから自分は存在する事が出来る。
己の手も足も、体の全ては彼に捧げられる為に存在している。
だから、彼が居なくなれば…彼に捨てられれば―――…そんな事、考えるだけでも恐ろしかった。
探さなければならない。
自分の世界の中心である少年を。
自分の世界を形作る少年を。
――― そして、願わくば…あの小さく、頼りなく、優しい少年の姿で居て欲しい
機械仕掛けのメイドは、心の中で静かに願った―――…。