内緒
亘は付き合っていた男が女と付き合っていた事を知り、ショックを受けていた。
愚痴と泣きごとを聞いているうち、夜が明けてしまった。
翠に連絡もできず、亘が帰ってから仕事へ行った。
寝不足のまま事務所へ行くと、養父の池内和男がいつものように掃除をしていた。
「おはようございます」
「あっ、おはよう、鷹也くん」
にっこりといつも通りの笑顔だ。しかし、今日の笑顔はさらににこにこしている。
「何か、いい事あったんですか?」
「うん、まあね」
和男はそう言うと、思い出したように目を見開いて、
「そうだ、お疲れ様。大変だったろう」
とねぎらいの言葉をくれた。
「いえ、対象者はすぐに見つかったので、それほど大変じゃありませんでした」
「ああ、そう。それはよかった」
和男はそれだけ言うと、再び、掃除に取り掛かった。
「あの、池内さん」
「ん?」
翠の様子が聞きたくてたまらなかった。
「翠は元気ですか?」
「ああ、うん。そうなんだ、彼女ができたみたいでね」
「はあっ?」
鷹也は、冷水を浴びたように体が冷たくなった。
「あ、あの、今、なんて言いました?」
「部活に入ってから、急に男らしくなってさ、どうしたんだって聞いてみたら、内緒って言うし、隠す所を見ると、部活と同時に彼女でもできたかなって思ってね。いやー、翠も男になったんだなって思うと、うれしくて」
鷹也はショックのあまりぽかんと口を開けて、男らしい翠に喜ぶ父親を見ると、さらに追い打ちをかけられた気がした。
「ああ、そ、それは、よかった…ですね」
最後の方の声は尻すぼみでほとんど聞こえなかったろう。鷹也は茫然として机についた。
翠に彼女? 俺は? 俺の存在はどこに行った?
一週間いない間に、男らしくなった?
わけが分からない。
頭を抱えているうちに所長に呼び出され、報告書をまとめろと言われた。
なんとか書類を書き終えたが、その日、一日、魂が抜けたような顔をしていた。
昨日の亘、いや、それ以上の衝撃ではないだろうか。
翠に会わなければ。真相を確かめなくてはいけない。
翠の口から真実を聞かなければ、それは真実ではない、と自分に言い聞かせた。
その日の午後は依頼者がやって来た。鷹也が報告をすると、老夫婦は娘が生きていることを喜び、どうして家を出たのかが知りたい。できれば話を聞いて来て欲しい、とさらに依頼をしてきた。
「早い方がいいな」
所長がそう言って、鷹也はそのまま、出張が決まってしまった。
翠の事が頭から離れない。しかし、仕事が優先だ。
鷹也は断ることもできず、家に戻ってすぐに出張ることになった。
だが、むしょうに翠の声が聞きたくてたまらなくなった。
マンションの鍵をかける前に、鷹也はもう一度部屋に入ると、スマホを取り出した。
無我夢中で電話をかける。学校とか時間とか考えている余裕はなかった。
翠、頼むから出てくれ。
鷹也は願った。なんだか、泣きそうになってくる。
25歳にもなって情けない。相手は15歳。自分は何をしているのか。
犯罪者という言葉がのしかかってくる。
翠…。
しかし、スマホは留守番電話に切り替わった。鷹也は肩を落として電話を切った。
気持ち悪い、と思われているかもしれない。
唾を呑みこもうとしたが、うまくできなかった。喉が引きつっている。
翠の心が見えない。
不安に押しつぶされそうになりながら、鷹也は駅へと向かった。
もう一度、出張が決まったことは和男の方から翠に伝えてもらうよう頼んで、自分からは連絡をしなかった。 返事が来ないかもしれないと思うと、怖くてできなかった。