約束
翠と約束をして気分も晴れやかなはずなのに、なんとなく気が塞ぐ。
日曜日、時間通りに到着すると、家の前で翠は待っていた。パーカーをはおり、白シャツにジーンズ姿で、相変わらず可愛い。
一か月以上も顔を見ていないのだ。久しぶりの翠を見て胸が高鳴った。
車を止めると、翠が助手席に乗り込んだ。お互い、なんとなく気まずくてすぐに声をかけられず、鷹也は車を発進させた。
「どこに行くの?」
翠がぽつりと聞いた。鷹也は、ランチにでも誘うつもりだった。
「あー、なんか、うまい物でも食いに行こうや」
気楽に声をかけたが、声が震えていたかもしれない。翠はこくりと頷いただけだった。なんとなく表情が険しい。
「久しぶりだな。元気だったか?」
「うん」
そっけない言葉を聞くと、急に胸がざわざわしだした。また、何かドジを踏んだのだろうか。
「食べたい物はあるか?」
「なんでもいいよ。鷹也の好きな物でいい」
「俺が誘ったんだから、翠の好きな物でいいんだぞ」
「うん…」
翠はふいっと外を向いてしまった。
鷹也は安全運転を心がけながらも心はそわそわしていた。何か話さないと息ができなくなりそうだった。
「部活って、どんな事するんだ?」
「僕は人より体力がないから、筋トレばっかりしている」
「筋トレ?」
筋トレとは、たとえば腕立て伏せとか腹筋だろうか。
「具体的に教えてくれよ」
翠は、鷹也の思い描いた通りの答えをしたが元気がない。部活は楽しくないのだろうか。
「柔道って体に痣とかたくさんできるんじゃないか?」
「まあね、僕は人より体力がないみたい」
さっきから、自分を卑下する言葉ばかり出てくる。
「翠は今のままでいいと思うけどな、俺は」
フォローしてみたが、翠の顔色は沈んだままだった。何かあったのか、という言葉が言えない。聞くのが怖い。
しばらく車を走らせて、一度、友達と来たことのあるレストランに入った。
翠は、ハンバーグが食べたいと言い、食べている間は明るい顔で鷹也を見て笑っていた。しかし、時々、何かを思い出しては顔をこわばらせる。
仕事の話題をするわけにはいかず、家の様子を聞いてみたが、翠は急に黙り込んだ。せっかく二人でいるのになんとなく気まずい雰囲気になる。
帰りの車では、さらに口を利かなかった。まだ時間もあったし、どこか行こうかと提案したが、帰りたいと言いだした時は、自分も泣きそうになった。
翠と離れたくなくて、できるだけ遠回りをしながら車を走らせていると、翠がぽつりと言った。
「この間、名取さんが来たんだ」
名取? すぐには顔が浮かばなかった。名取が亘のことだと分かったのは、数秒考えてからだった。
「亘のことか…?」
名前を出すと、翠の表情が険しくなった。
「高校一年だとやりにくいよなって言われた」
「は?」
車を走らせながら、鷹也は動転して運転どころではなくなってしまった。車をすぐに止めなければと思ったが、脇へ寄せられるような場所はない。鷹也の気持ちも知らず、翠は話し続ける。
「考えますって答えたんだ」
「考えるって何をだ? 俺にはさっぱり分からないんだが」
「名取さんに聞いてよ」
翠はむっつり口を閉じると、そっぽを向いた。肩が震えている。泣いているのかと思うと、声をかけられない。
窓の外を向いて、うるんだ目を大きく開いて、泣くのを我慢している。それをさせているのが自分なのかと思うと、やるせなかった。
「翠」
手を伸ばそうとしたが、肩を竦められた。
「気分が悪いから、早く家に帰りたい」
体を引いた翠が言った。
翠に拒絶された。
鷹也はその事実に打ちのめされた。家の前で車を止めるなり、翠は下りた。
「翠っ」
鷹也は叫んだ。
「電話するよっ」
しかし、翠はこちらを見ようともせず、ドアをバタンと閉めて家に入ってしまった。鷹也は茫然としていた。
翠に棄てられた気がした。
泣きそうだ。
ふいに、亘の言葉を思い出した。鷹也の付き合って来たタイプって、同年代の男で、一緒にいて楽な奴。後腐れのない普通タイプだよな。
そうだ、自分の好みは10歳も年下の男じゃなかったはずだ。
鷹也は目頭が熱くなった。涙をこらえて車を走らせる。
失恋した気分だ。
というか、もともと恋愛なんて始まっていなかったのかもしれない。
ゆっくりと車を走らせて、気付けばマンションに戻っていた。




