第二章 鬼の男
「ふ、ぁあ」
「どしたの? 眠そーだね」
「眠いっつーか、体がどうもダルくて」
ごきごきと首や肩を回して解しながらそう言った遠麻にああ、と満は頷いた。
「そりゃそーだよね。初めてであんなに力酷使して疲れないはずないもん。平気な顔でやってるから平気なのかと思ってた。大丈夫? 熱とかさ」
「だ、大丈夫だから」
身を乗り出し遠麻の額に触れてこようとする満に、慌てて身を引いてしまった。嫌だとか思った訳ではないが、慣れていないため反射的にそうしてしまう。
幸い、満は気にした風もなくあっさり身を引いた。
「そ? でもじゃあ、今日は無理しないで軽い感じでやろうね」
「ああ」
気遣ってそう言ってくれた満の言葉に有難く頷く。
――今は放課後。遠麻は帰宅部なので、学校が終わった後某所の公園で待ち合わせて今に至る。
合流した時満は既に私服だった。それに微妙に違和感を覚えたが、突っ込んで聞けるような仲でもない。
側には白姫と黒君もいて、白姫は魔寄せをしている最中だ。
「けど」
「ん?」
「今は白姫が呼ぶ訳だけど、有谷達はどうしてたんだ?」
「そうだなあ。それっぽい事件のあった場所をパトロールしたりとか、そんなんだよ。白祈くんと会った時もそうだったし」
物凄く地道な作業だ。自分がやれと言われたらげんなりする。良かった、と心の底から思う。白姫に呼ぶ力があって。そして今まで自分が見つかっていなくて。
「でもそれだと被害が何件か起こってからじゃないと判らないんだよね。だから良かった。本当に」
「……そうだな」
満に言われてからやっとその事に気が付いて、楽で良かったとか考えた自分をほんの少しだけ遠麻は恥じた。それから改めて白姫を見る。
「……何だ。まだ何も引っ掛からないぞ」
遠麻は学校から直接だから制服で、今日の白姫は胸元にレースとリボンのついたワンピース姿。髪も後ろでレース付きのリボンで結っている。黒君の方もシャツとスラックスと、ラフとは言い難いが昨日のスーツよりかは遠麻達といても幾分か普通だ。
現代の服装チョイスに迷った二人を見立てたのは満である。遠麻もはっきり言ってセンスには自信がない。故に制服で来ても不自然でない今の状況には心からほっとしている。それぐらいのセンスなので満が選んでくれて感謝している。元よりつけるケチも何もない。
「……だから、何か用があるのか? 何かおかしいのか?」
外れない遠麻の視線にやや頬を染めて居心地悪そうに白姫は必死に不機嫌な顔を作る。
「いや? 可愛いと思うけど」
「可愛……っ。お、おかしくないなら見るな、馬鹿。失礼だ」
不安そうだったから褒めてみたのに、返ってきたのは馬鹿呼ばわりだった。それが照れ隠しだと気が付けるほどには、残念ながら遠麻は聡くなかった。故に。
(……可愛くない)
――と、心の中で嘆息する。
「――なぁ、力ってどこにでも溢れてるんだろ? もしかして世界中回らなきゃいけないのか」
白姫はやはりどうにもやりずらいので諦めて、黒君の方へそう訊いてみる。
「いいや。今回力の流出が起こったのはこの辺りだから。広くても国内で済むと思うよ。時間が経つと判らないけれど」
「……ああ」
足のある生き物に憑かれれば動いてしまうから当然か。
「……む」
「来たか?」
ぴくと肩を震わせ小さく声を上げた白姫に、はっとして全員に緊張が走る。
「引っかかった。呼ぶぞ、備えろ」
「おうよ!」
力こぶを作る時のように腕を折り曲げ、ぱしと上腕を叩き雄々しく返事をしたのは満で、白姫はなんだか疲れたような表情になった。黒君の方は微笑ましそうに笑っている。
どうやら白姫が探索や補助などのサポート、黒君が物質的な攻撃や防御の担当らしいと、昨日からの二人の割り当てに当たりを付ける。
昨日男を呼び寄せた時と同じく、白姫の足元に描かれた五芒星が発光して――
ややあって公園に入って来たのは一匹の子猫だった。
「あ」
猫はふらふらと白姫の足元まで辿り着くと、パタリと倒れた。
「身に余る力を過度に受け入れてしまったな。可哀想に」
「遠麻」
「あ、あぁ」
確かにこれは可哀相だ。屈み込み、『視る』意識を切り替えて猫の『力』を視る。昨日散々やらされているうちに白姫のサポートなしでも出来るようになった。
(左の前足か)
大元を見付け力を解き、カードに収める。龍気というのは木・火・土・金・水の五つの属性から成り立っているそうで、それ以外には存在しない。カードばかりかさ張らせても仕方ないので同属性のカードと融合させてまとめている。
猫に纏わりついていた属性は水気だった。先の様に纏めようとして――
「っ!?」
鋭い風圧が体のすぐ側を通った、と感じた次の瞬間、じん、と指先に痺れが走った。殆ど同時に、ざくりと地面に何かが突き刺さった音がする。
「遠麻!」
「大丈夫だ。けど、何が……?」
手を押えた遠麻の元へと駆け寄って来た白姫に、何もないと頷いてから音の過ぎさったと思わしき方向を見て。
「――矢?」
遠麻の手から札を奪い、地面に縫い付けたのは一本の矢だった。
「面白ェ事してんなァ、オイ」
「!?」
皆が何が起こったかを把握する前に、台詞通りとても楽しそうな声と共に公園の反対側、奪われた札のすぐ側に男が一人姿を見せた。
派手に染めた赤毛を短く刈った眼光鋭い長身の男だ。百八十はあるだろう。長身で体つきも筋肉質で、厚い。しかし声と顔つきはまだ少年の域を脱していないものだった。せいぜい遠麻と同じか、一つ二つ上程度だろう。
男はそのまま、無造作に屈んで札へと手を伸ばす。最初に我に返ったのは満だった。表情を引き締め、男へと向かって駆け出す。
「返せ!」
「おっと」
きちんと体術を修めた満の蹴りを男は軽く受け流した。
「!?」
男が有段者である事を満も悟り、今度は慎重に身構える。札は男の手の中に入ってしまったが、逃さず取り戻してやれば問題ない。
「何者!? それが何か知っててやってるの!?」
「たりめーだ。じゃなきゃこんなつまんねーカードに用あるかよ」
人差し指と中指に札を挟んでひらひらと振って見せる。一見舐め切っていて隙だらけの様だが、隙がない。
(……強い)
「返してもらおう。それは必要な物なんだ」
攻めあぐねている満の肩を掴んでそっと後ろに退く様に示すと、黒君が代わって前に出る。
「ハッ。生っ白い兄ちゃんだな。テメー俺とやれんのか? そっちの女のがまだマシに見えんぜ」
きつく眼を眇めて言った黒君に、しかし男は鼻で笑った。
「何を!? お前の如き矮小な人の身で我等に歯向かい、ただで済むと思うなよ!!」
「ガキは黙ってな。女の、しかもガキを殴んなァ流石の俺も気ィ引けらァ」
噛み付いた白姫を一瞥してから札を懐へと差し入れ――その次の瞬間、何の予備動作もなく男は駆けた。
狙いは黒君だ。
「生っ白くてもテメーも付くもん付いてんだろ! 手は抜かねーぜ!!」
「必要無い。――火掟・炎呪」
「!!」
左右の手全体に炎を纏って、黒君は男の拳を受け止めそのまま握った。脅しの意味が強いので温度はそう上げていない。黒君がその気で使えば、人体など触れただけで溶解させる熱を作り出す事が可能だ。
「っぐ!」
皮膚が焼かれる感触に男が顔を歪めると、力を緩めて開放する。
「退いてくれ。別に君と争う理由はない」
「……ハッ! テメーも面白ェ」
軽度の火傷にピリピリとする手の甲を撫で、男は笑う。
「俺ァ鬼柳だ。テメェは?」
「黒、だ」
「オーケー黒。こっからは……マジ手加減ナシでの本気だッ!!」
鬼柳のそれは負け惜しみ、ではなかった。ニィと口角を上げて笑うと足に力を込め――視界からふっと消え失せた。
「!?」
「ハッ! どこ見てやがる!」
楽しそうな笑い声はすぐ近く、真横から聞こえた。慌てて振り向こうとするが、間に合わない。
「がっ!」
ごき、と殴られた脇腹が嫌な音を立てる。そのまま地面に転がり、しかし打たれた箇所を押えてすぐに起き上がる。
「おぉう、頑丈じゃねーか。人は見掛けによらねェなァ、おい」
「貴様――、貴様のその力、それに呪力、鬼だな!?」
「おぉ、良く判んな、ガキ」
感心したようにそう鬼柳は白姫を褒めた。しかし。
「貴様は何を代価に支払わされた」
「っ!」
次の白姫の言葉にさっと顔を強張らせる。