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「責めている訳ではない。人は人としての在りようを全うしているだけなのだから。――その、済まなかった」
遠麻の不機嫌さを見て、申し訳なさそうに白姫は謝った。そうしゅんとされると、容姿が容姿だけに凄く悪い事をした気分になる。
「あー……、いいから。それで? バランスが崩れるとどうなるんだ」
良くない事が起こる事だけは確かだろうが。
「そのままだよ。雨がやまなかったり降らなかったり地震が起きたり竜巻が起きたり。――思い付く事は全て起こると思ってくれていい」
「そして最終的には全ての消滅だ」
「……マジでか。いや、マジだよな」
まだ関わって数時間しか経っていないが、彼等が非常に純粋である事は理解した。間違っても冗談を口にするタイプではないし、嘘を付いて遠麻を引き入れようとか、そういう姑息な打算も持ち合わせていないだろう。
「自分がどれだけの大任を担ったかを理解して頂けましたか?」
「……まあ、誰かがやらねえとシャレにならないってのは判ったよ」
それが自分であるという事はあまり認めたくない。大任というものは誇らしいかもしれないが、同時に重いのだ。
「どうしても俺なのか? 俺は何も知らないんだぞ? 俺に今から技術磨かせるよりも、今もう即戦力の技術持ってる奴の方が手っ取り早いし力になれるんじゃないのか」
「どうしても、だ。技術などすぐに身に付く。お前にやってもらうのは力の還元だけだからな」
「遠麻の事は俺と白姫が守る。心配ないよ」
「……」
ああ確かに守ってもらったなと遠麻は納得した。あれは彼の役目の一つだった訳か。
「受けてくれるな、遠麻」
「……判ったよ」
他にどんな選択肢があるというのだ。白姫に問われ仕方なく遠麻は彼等の頼みを正式に受諾した。
「良かった。それでは早速実践といきましょう」
「実践?」
こちらも明らかにほっとした様子で、立ち上がった和泉を遠麻は見上げ、疑問符をつけて彼女の台詞を繰り返す。
「はい。先程満が処理をしに行った男性の所です。他にも同じ状態の方が既に何人かいらっしゃいます」
「同じ……」
『おかしく』なっている人間、という事だろうか。
「では、行きましょう」
そう和泉に促され再びの移動を開始する。今度は更に一階地下へと下りた。
「うわ……っ!」
階段を降りきって、目の前に広がる光景に思わず遠麻は声を上げた。地下にあったのはまま牢屋だったからだ。人が過ごすのに不快感の無い清潔さは保たれてはいたものの、セットは完璧に牢屋だ。
「白祈君も見たならば判るでしょうが、身に余る力を持ってしまうと暴走します。人間だけではありません。動物も植物も、生きとし生ける者は全て同じ。そして振るわれる暴力は、宿った力そのままの威力になります。故にこういう設備が必要なのですよ」
「ああ……――それは、判る」
「有難うございます」
ただ捕えただけでは確実に暴れるだろう事が簡単に想像ついた。余計な被害が生まれるばかりだ。
「実際の所、私達にはこうして彼等を拘束するしか手段がない。『律』の存在は伝え聞いてはいましたが……現れてくれて本当に良かった」
「それは技術があっても出来ない事なのか?」
「そうですね。取り込まれた力は深く本来の流れと結びついてしまいますから、どれが本来の力でどれが取り込まれた力なのかを見極めるだけで困難を極めます。世界の正しい流れから力を取り出すのとは訳が違います」
力は世界のどこにでも溢れていて、それを少しばかり分けて使わせて貰うのは、適性さえあればそう難しい事ではないのだという。しかし純粋な力だけではなくなってしまった物は全くの別物だと。
更にそれを取り出したとして、複雑に流れる力の中に還元しようとするのは、常人にはもう不可能だと言っていいい。
「まして今回は許容量を超えて溢れたものだ。ただ還元すればいいという訳ではない。世界のバランスを取るため、別の属性に変換して返さねばならない」
「遠麻にはその力があるんだよ」
それが創造の力であり、執行者となるための絶対条件でもある。
「あ、先生! 白祈くん!」
「満」
丁度用を終えた所だったのか、ひょこんと牢の一つから顔を出した満が、遠麻と和泉に気が付き声を上げる。
「様子はどうですか?」
「はい! 安眠してます!」
「良いでしょう。白祈君、こちらへ。満、貴方もここにいなさい」
「はい」
和泉の入って行った牢の一つに続けて遠麻も入ると、そこには公園で見た男がだらりと手足を投げ出して倒れていた。
――いや、倒れていたというのは語弊があるか。あまりの力のなさに一瞬そう見えてしまっただけで、男の呼吸は規則正しく、顔は安らかに――眠っている。
「遠麻、良く見てみろ」
「何……っ!?」
する、と遠麻の腕に片手で触れ、もう片方の手で白姫は男を示す――と、視えた。
淡く男を取り巻く赤い、気体に色を付けて流動を見る実験の最中の様な、そんなものが視える。
「これは」
「これがこの男に取り憑いた龍気だ。先程話にあったようにこの世は様々な力に満ちているから、いつも龍気が溢れるなどという訳ではないが、とりあえず今回は龍気だ。覚えておけ」
「これをどうすりゃいいって?」
視える事は見えたが、では次はどうするのかと白姫に問う。
「どこから流れているか判るな? 始点だ」
「っと……肩、か?」
流れは多くの支流に分かれて体中を巡っていたが、流れの向きは一定だった。判りやすい。
「そうだ。触れてみろ」
「触れてって……。どうなんだそれ」
体に触れるスキンシップを好む質ではないので、人に触るというだけで少々緊張する。まして全く知らない人間だ。相手は眠っているし何か危害を加えようという訳ではないのだからと、服越しに肩に――というかその手前の、流れる龍気に触れてみる。
(――ん?)
触れた瞬間に、違うと判った。指先に熱の籠った質量が触れる。妙な感覚だ。
「すでに龍気は男の生体エネルギーに混ざってしまっている。切り離し新たな形に固定するのだ。一時的にな」
(引っ張れば剥がれる気がするな)
混ざっている、と白姫は言ったが遠麻の眼にはそうは見えなかった。絡まってはいたが、それはただ横に並んでいるだけで、混ざっている訳ではない。だから簡単に引き剥がせそうな気がした。
指に引っ掛かったそれをくいと持ち上げる様に引っ張った。あっさりと何の抵抗もなく、僅かに煌く男の生体エネルギーに絡まっていた龍気が解けて離れて行く。
「見事だ」
「……そうか?」
そう言われても、あまりにあっけなさ過ぎて本当に見事なのかどうなのか。
「新たな形って、何だ?」
「何でもいい。遠麻がイメージしやすい封印の形だ」
(封印……)
そう言われて初めに思い浮かんだのは札だった。ぼんやりとしただけのイメージが頭に浮かんだ瞬間、手の中でわだかまっていた龍気が反応し質量を無視して一枚の札の形を取って収まった。
白の下地に薄紅の縁取りだけがされた、シンプルな札。
「わっ、わ、何コレ! へえ、これが具現化の力ってやつ?」
「分離と具現、ですね。他の属性の者がやろうとすれば、卓越した技量が必要となる術ですよ」
「……へえ」
あんな曖昧なイメージで勝手に形になったのにと、あまり和泉の言葉に真実味は感じなかった。ちょっとおだてとこうとか、そんなところじゃないのかとか、斜な取り方をしてしまう。
「これをどうすりゃいいって?」
「ひとまずはお前が持っておけ」
すぐにでも力の流れの中とやらに還元するのかと思っていたのだが、白姫にそう言われて遠麻は眼を瞬かせた。
「持っててどうするんだこれ。あ、戻すのに時期があるとかか?」
「それも否定しないが、一番はお前に身を守る力を持たせておくためだ」
「遠麻の属性は独特だからね。使いこなすには時間が掛かるだろう。けれどそうして具現化しておいた力は、仮初ではあるが簡単に使う事が出来る」
「還元は時期を見ながらおいおい行うとしよう。まずはこの場にいる者達から力を回収して、それからだな」
「では白祈君、こちらに」
続けて和泉に別の牢へと促される。そういえば他にもいるのだと言われていたのを思い出した。
「あの男はどうなるんだ?」
「病院で眼が覚める事になります。二、三日入院して元の生活に戻るでしょう」
期間によっては『元の生活』には戻れない者もいるかもしれないが、そこまでの面倒は彼らの仕事ではない。運が悪かったのだ。
けれどこうして律と執行者が見付かったから、これからはそんな被害も減るだろう。
和泉の穏便な答えにほっとして後ろに付いて行きながら、ぼんやりと遠麻は手元に残った札を眺めた。
(まあ……これぐらいなら)
危険もないし大変でもない。別にいいかとちょっと気抜けして、そして何よりほっとした。