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その後はごく当たり前の日常を過ごして一日の授業が終わり、何事もなく校舎を後にしようとして、しかし正門の辺りが少しざわついているのに気が付いた。……嫌な予感がする。
「……」
怖いもの見たさかそれとも放っておいても意味がない事を本能が判っていたのか、とにかく遠麻は元凶を知るべく校門へと近付いて。
「あぁ、良かった。待ってた」
ふわ、と綺麗に微笑んで、黒君は人の注視の中真っ直ぐ遠麻へと歩み寄って来た。この数時間で学習したのか格好はマトモだ。それは良い――が、周りの好奇の視線が痛い。
格好が普通だろうが何だろうが、黒君は目立つ。男のくせに『美人』と称されそうな柔らかな整った顔立ちにプラスされて、その存在感が半端ない。
白姫にも言える事だが、彼の周りだけ何か別世界。そんな感じがする。
「お……っ、前、何でここに」
つけられてはいなかったはずだ。不安で何度か後ろを振り返って確認した程だ。
「どこにいても判る。君は特別だから」
ざわっ、と少し周囲が色めきたったのに遠麻はぞっとした。嫌な噂が流れる予感がする。「あー、だから告白されても……」とか不穏な台詞まで耳に入って来た。
「お前そういう何も考えてない発言やめろっ。頭悪いのか!?」
「悪くはない、と思う」
「そういう意味じゃ……。あぁもういい、来いッ」
「ああ」
このままここで会話しようものなら、いつどんな空気を読まない発言が飛び出すか判らない。電波と知り合いとか思われる前に、場所を移動する事にした。
「名前を教えてくれないか?」
「……白祈だ」
『君』とか呼ばれ続けるのも嫌で仕方なしに姓を名乗る。
「別に聞きたくねーけど……お前は」
自分だけ名乗るのも何となく嫌で、聞き返す。
「黒君だ。そう呼ばれている」
「黒……っ」
「?」
人前で呼ぶには抵抗のある恥ずかしい呼称。例え自分でなくても、例え本人が『君』と呼ぶに耐えられる容姿をしていても。
「……黒、でいいか。呼ぶの。人前で」
「構わないよ」
自分の名前にそれ程拘りはないのか快諾。ほっとした。
「で、何の用だ。朝の件は断っただろ」
「どうして断るんだ」
「どうしても何も、俺は異常とは関わりたくないんだよ。誰でもそう言うぞ」
「異常?」
きょとんと眼を瞬いて黒君は不思議そうに首を傾げる。
「何も異常な事をしようとは言っていない。ただ龍気を鎮める手伝いをして欲しい」
「だからそれが異常なんだよッ。この二十一世紀の日本ではッ!」
「……」
しばらく黒君は無言だった。二十一世紀って何だ、とか言われるかと思って身構えていたが。
「そうか。だから技術がなくなってしまったのか」
納得したように頷いた。何だかテンポがやりずらい。
「成程、だから断ったんだな」
「……まあ、判ってくれたんならそれでいい」
「判った。じゃあ一緒に来てくれ」
「俺の話聞いてねーだろッ!」
思い切り断っているのに、黒君は堪える様子もなく遠麻の手を引いた。
「来ないと多分、白祈は後悔する」
「行った方が後悔する気がすんだけど」
「それは見てもらえば判る」
「……」
行くと後悔する気がする――という予感は変わらずビシビシ感じている。遠麻は自分の勘の良さを良く知っている。特に身の危険に関しては外した事がない。
だからこそ、判る。この嫌な『後悔』の予感は自分の身に危険が降りかかるものではない。
知らない方が良い事が世の中にあるのは知っているが、知らない方が良くても知らなければならない事も、ある。
「……」
ふー、と長く息を吐いて、諦めた。
「判った。どこに行きゃいい」
「有難う。多分もう白姫が見付けているはずだ」
微笑んでそう言うと、黒君はそのまま歩き出す。
「……行くけどとりあえず手、離せ」
「白姫」
「黒君、と――おお、上手く行ったか」
周りをビルに囲まれた狭苦しい公園の一角、ブランコに座っていた白姫が黒君に声を掛けられ立ち上がり、そしてその側にいる遠麻にも気が付き満足そうに頷いた。
「上手くって何だよ」
「私は昔からどうも協力を得るのが苦手なのだ。何故か皆途中で怒り出すか逃げ出す」
何故かも何も、それは本格的にコミュニケーションを学んだ方がいいと思ったが、余計な世話だとも思ったので黙っておく事にした。
「それで、何があるんだ」
「そうだな、始めるとしよう」
そう言うと、すいと白姫は両の手を左右に伸ばす。すると彼女の立つ位置を中心にして白い光で五芒星が地面に描かれた。
「!?」
「これは魔寄せの陣だ。本来ならば龍気そのものは魔ではないのだが、今朝の龍気は既に人に取り憑き邪心に侵されてしまっていた。だから魔寄せに掛かるだろう」
「人!? 取り憑く!?」
言っている事は何となくしか判らないが、不穏な単語の意味は判る。つまりここに来るのは『人間』だ。
「取り憑かれた者がきたら龍気を引き剥がし具現化するのだ。我々は直接力に触れる事が出来ない」
「は? 具現化って、引き剥がすって、おいっ!」
何をどうすればいいのか、そこの所の説明が欲しい。というか無いと判らない。
「来た」
「早えよ!!」
何が来るのか、身構えて白姫の見据える方向を遠麻も凝視する。ややあって走って来る足音が耳に届き、ごくりと唾を飲み込んだ。
「ここかァァァッ!」
「うわっ!」
飛び込んで来たのは口角から泡を飛ばし、叫びながら駆けて来た一人の男。真っ直ぐ白姫へと向かって走って行く。
「危ね……ッ!」
とっさに白姫を抱きしめ庇う。男に背を向ける形になって、しまったと気が付いたのはやってしまった後だった。
「なっ、何をしている!? 早く――あぁ! 来る! 来るぞ!」
「風掟・壁呪」
全く動じない黒君の声が静かに紡がれ、ふわりと頬を風が撫でた。つられて顔を上げると薄く緑に色付いて見える風が渦巻き、男を弾き飛ばした所だった。
「すまない、白姫」
「な、何だ!?」
「どうやらこの時代には『力』を使う技術が無いらしい。存在そのものも知られていない」
「な、何だと!?」
遠麻が自覚していないだけだと今の今まで白姫は決めつけていた。まさか『力』の存在を知らないなどと。
「だからそう言ったじゃねえか!」
「それは……っ。あぁっ、そんな事を言っている場合かッ!」
「すまない。言いそびれた。逃げよう」
口調が穏やかなものから変わらないので、いまいち本当にすまないと思っているかどうか判りずらい黒君の提案に、すぐさま遠麻は頷いた。
「よし!」
「わっ」
立ち上がり白姫の手を引き、男が来たのと反対方向へと走り出す――と、丁度その進路に人影が割り込んで来た。遠麻と同程度の年齢の少女だ。
「おい! 今危ねー奴がいるからあんたも逃げろ!」
男の振る舞いを見れば『危ない奴』というのは十分通じるはずだった。間違ってもいない。
自分と同年代の少女という、放っておく選択肢が始めからない相手に危険を知らせる声を上げ、もし彼女がとっさに動けないようなら、一緒に引き摺って行くつもりで駆け寄った。しかし。
「大丈夫、ありがと!」
すでに男の姿も視界に入っているだろうに、少女はためらわず遠麻の横をすり抜け公園へと飛び込んだ。
「おい! 危な――ッ!」
「はァッ!」
足を止める事なく男の懐に飛び込むと、少女は鋭い気合と共に拳を振るう。細い少女の腕のどこにそんな力があるのか、少女の突きをくらった男は吹っ飛んで地面を転がり、動かなくなった。
「……あ?」
そう、文字通り男は吹っ飛んだ。人体が宙を飛んで。
「もう大丈夫! お騒がせしました!」