4-2
「帰るぞ、遠麻! ここは駄目だ! ここは世界の敵だ!」
「律、我々はそんなつもりは」
「黙れ!」
和泉の弁解に聞く耳を持たず白姫は一喝し、遠麻の腕を引く力も緩めない。
「待てって、白姫」
「遠麻っ」
非難の声を上げる白姫の手を、上からそうと掴んで引っ張る力を留めさせると、改めて和泉へと目を向ける。
「瀬川さん、俺も白姫達と同意見です。だからその収められているという呪物の力を返還したいと思います。部長に会わせてもらえませんか」
「部長は今出張中で日本にはいません。それに頷きはしないでしょう」
「何故ですか」
「強い力は、我々の活動を安全にしてくれますから」
道具として使っている以上還す事は出来ないと、そう言われる。
「けれど――」
「貴方の様に才を持って生れてきた人には分からないでしょう。己の力が及ばない恐怖というものは」
「……」
今までは礼節の中に隠していたのだろう、和泉の強い羨望と嫉妬を感じて遠麻は絶句する。
――彼女は本気で言っているのだろうか。いや、この強い視線は間違いなく本心だ。
(俺が、何だって?)
確かに遠麻には才があった。律に選ばれるだけの才が。
しかし磨かれていない才能に力などなく、事実今の遠麻に出来る事など限られている。関わりが薄いせいで、『自分の力が及ばない恐怖』という事態に遭遇した事は……まあ既になくはないが、しかし鬼柳の一件も結局は何とかなったのでノーカウントだろう。
そういう意味では和泉の言う通り、無い。
だが力以外の事で言えば、遠麻の人生は良い事も悪い事も人並みで、つまりはこの年まで生きてくれば程度の大小はあれど自分の無力さというものを嫌でも知る機会が幾らかはある。
生きるという事は力の有無とは全く別の次元の話だ。
そんな事すら忘れてしまう程に――?
(それは)
執着と呼んでしまってもいいのではないだろうか。
「だから人は愚かで貪欲で――嫌いなのだ!」
和泉の視線に怯えたように身を硬くした遠麻の耳に、凛とした口調でそう白姫が叫ぶ声が入ってきて、はっと我に返る。
「行くぞ、遠麻!」
「……あ」
情けないが、白姫に手を引かれてほっとした。しかし自分から言い出した手前、帰るのも――
「責任者が居ないのなら仕方ない。つけるべき話を持ち掛けられる相手が居ないのだから。それに今の遠麻にここは良くない。戻ろう」
ためらう遠麻の肩を黒君が掴んで向きを反転させられ、背中を押された。
じわりと硬くなった筋肉が解れた、気がする。
それではっきり分かってしまった。階層毎に僅かずつの変化だったので気付かないまま慣れてしまったが、ここの力は既に歪んでいる。
そして気が付かないまま遠麻はそれに拒否反応を起こしていたのだ。
(……分から、ないのか?)
こんなに気持ちが悪いのに、ここにいる誰も気が付かないのか。
「……また来ます」
「そうですか」
和泉の表情は変わらなかった。敵意も好意もない普通の表情。彼女の感情が全く見えない事に、妙な不安感を覚える。
自分の中ですら形にならないそれを口にできるはずもなく、遠麻はそのまま入口へ向かって引き返した。
これからどうする。ぼんやりと自分に問う。
(いや、どうするも何も……別に今バランスが崩れてんのはこことは関係ないんだから、まずは力吸い取って隠れてる奴見付けて……)
だがそいつが持っている力とここにある呪具とやらと、どちらが巨大な力を秘め、また歪んでいるのか。
年月と規模を考えれば当然――
(……あァ、駄目だ。気分、悪ィ)
自分が何にショックを受けているかが分からなかった。しかし、どこかで何かを認めたくない自分が考えるのを嫌がっている。
「――あれ。白祈くん」
「!」
協会本部と外との接合点、『立入禁止』の部屋の中でこれから協会へ向かうらしい満とばったり鉢合わ
せた。
「どうしたの? 何か用事?」
「どうもしていない。今から返る所だ」
つんと高飛車に言い放ち、白姫はさっさと満の横をすり抜けて行く。どうも彼女は個人で組織を決めつけ一緒くたにしているようだった。
(……分からなくは、ねーけど)
まして満は和泉を慕っているようだったので、その辺りも理由だろう。
だが重ねて言うが、距離は置いても敵対はすべきではない。
それに和泉は確かに今は苦手になってしまったが、まだ満にそれ程の意識はないのだ、遠麻としては。
「悪い」
「いや、いいけど……」
白姫の物言いや性格がきついのはもう十分満も知っている。先日の事もあるから余計だ。
……結構頑張って声を掛けてきたのかもしれない。
だとしたら、更に悪い事をしてしまったと思う。
「部長に会おうと思ったんだが、留守だっていうからさ。また今度出直して来る」
「え? 部長いるよ? いないの?」
「は?」
何を言っているのか、とでもいいた気にあっさりとそう言った満の言葉に、遠麻は唖然として二、三度目を瞬いて。
「――いる、のか?」
「うん。多分? 何も用がなければそのはずだけど」
満に嘘をついている様子はない。というよりそんな嘘すぐにバレる。取って返して確かめればいい。
(嘘、付かれた?)
いや、勿論今来たばかりの満が知らないだけで、本当に用ができてどこかに出掛けているのかもしれない。それならばそれでいい。
だがもしそうでないならば、何故和泉は嘘をつかねばならなかったのか。
「ちょっと部長に会って来る!」
「え、し、白祈くん!?」
普通でない険しい表情で協会へと駆けこんだ遠麻に、満もつられてが半分、何事かが起こっているのかの警戒半分で付いて行く。
脇目も振らずに三階まで駆け下りて、部長室の前まで辿り着き、そこで少し呼吸を整える。
(別に何か起こった訳じゃない、けど――)
今近衛を留守にした所で、僅かばかりの時間稼ぎにしかならない。そんな事は和泉だって分かっているはずだ。
だがもしその僅かばかり稼いだ時間で、彼女が何かをしようとしているというのなら、その何かは知っておいた方がいい気がした。
(……嫌な感じがすんだよ)
遠麻と近衛を会わせたくなかったという事は、もしかすれば近衛は遠麻に頷いてくれるのではないか。
だとすれば、和泉は協会の姿勢に反している事になる。
その執着が遠麻に危機感を与えた。
腕を上げ、静かに部長室の扉をノックする。おそらく遠麻達が来ている事はもう分かっているだろうが。
「白祈です。今いいですか」
「構わんよ。入りなさい」
落ち着いた老紳士の声。やはり、いた。
「失礼します」
扉を開けて遠麻は中に入り、満も何となくそれに続く。気になったのもあるだろう。
別に満がいて不都合がある訳ではないから構わない。とりあえず今は。
……和泉に誤魔化された事は言わなければいいだけの事だ。
「どうしたね」
「この本部にある呪具についてです。一所に力を留めるのは良くない。そこにある力も返還させて下さい」
「あぁ、構わんよ。折りを見てこちらから頼もうと思っていた所だ。情けない事だが、溜め込まれた力には手が出せなくてな。封じておくのが手一杯という有様だ。それでも封じ切れずに漏れてしまっている訳だが……」
「――……」
溜め息と共にあっさり近衛にそう言われ、遠麻は表情を強張らせた。白姫と黒君は輪を掛けて飲み込めないまま、きょとんとしている。
「で――では、お前等はあの呪具を留め置こうという訳ではないのだな」
「ええ、勿論」
「ならばなぜ、あの娘は……」
何故和泉はすぐさまバレるかもしれない、そしてバレたとき追及の免れない嘘を付いたのか。協会の方針すらも偽って。
それは僅かばかりでも時間が欲しかったからではないか――……
例えば今、正に倉庫で何かをするつもりで。
「――五階に入らせてもらえませんか」
「今かね」
急な申し入れに、流石に近衛は驚いた顔をする。しかし二度同じ事を聞きはしなかった。
「良いだろう、来なさい」