2-4
その十数分後。多少道に迷いつつも遠麻はその屋敷と呼んで差し障りない家を訪れた。
そして。
「……どういう状況だ」
言われた通り白姫と黒君を置いて(二人は最後まで渋っていたが)、一人で――それなりに緊張して邸宅を訪れた遠麻は、何故か和気あいあいと茶を飲んでいる三人に顔を引きつらせてそう訊いた。
「……帰っていいか?」
「待って待って違うから!」
「何がッ!?」
席を立って緊張感の欠片もない満の声で引き止められ、遠麻は軽く怒りを込めてそう言った。何だこれは。軽く担がれた気分だ。
「イヤちゃんと拘束してたんだぜ二十分ぐれェ前はよ。ただこいつも戦力だったから、テメェが来るまでにまた事が起こったら面倒くせェしよ」
「?」
「お前はこの異常を感じないのか? だとしたら期待外れだが」
「異常って……」
場の呪力が妙に高いのは感覚で判ったのだが、鬼柳達のやっている何かだと思っていた。
「これお前等がやってんじゃないのか」
「ううん。これも膨張現象だよ」
そう首を振って否定してから満はざっと遠麻にも説明をする。
「――で、塊が大きくなる程頑丈になるし、もっと多くの力が一か所に溜まると今度はその場そのものが歪んだりする――んだって。あたしも見た事ないけど」
「そりゃそうだ」
しかしおそらく今はその危険があるのだろう。その現象を、起こる前に収めるために律がいるのだ。
「じゃあこれは収めた方が良いんだな?」
「うん」
そこら中に不要に溢れている力に触れ、札へと変化させる。五枚の札が完成すると、辺りから息苦しさは消えた。代わりに手の中に残ったカードは大分地色が濃くなり、描かれている紋様もはっきりと、形も複雑になっている。
(成程、こうなんのか)
「さァて、んじゃ――」
「?」
あまりに寛いだ皆の空気に油断し切ってしまっていたし、鬼柳や御影が同年代なのもまずかった。だから鬼柳の声に特に警戒もせずに顔を上げ振り向いて。
ガッ、と鬼柳の拳を跳ね上げた満の腕が目の前にあって、息を飲む。
「な」
「本来の用件と行こうや!」
「白祈くん、下がって!」
上等なテーブルを遠慮なく蹴りあげ、満は鬼柳と距離を取る。言われるまま後退すると、後ろから腕を掴まれ次の瞬間床に捩じ伏せられた。
「痛ッ!」
鬼柳の隣に居たはずの御影を、いつの間にか視界から見失っていたのに気が付いたのは、次の声を聞いてから。
「大人しくしろ」
頭の上から冷ややかに警告される。背中の上に膝を乗せ、同じ位の体格の男に体重を掛けて押さえ込まれれば、身動きなど取れるはずもない。まして遠麻には何の心得もないのだから。
「白祈くっ」
「お前も動くんじゃねえ」
満の肩を掴み牽制すると、鬼柳は遠麻を見て。
「さっきのカード、俺が使えるように――っつーか、あの力を俺自身の呪力にしてェ。出来んな?」
「……断るっつった――痛ェッ!」
全てを言い終わる前に腕を角度をつけて捻られ痛みが走る。
「痛い思いをするのは好きじゃないだろ?」
「……当り前だ」
「テメーが頷かねえなら次は有谷をやる」
非道な宣告。鬼柳の瞳は冷酷で、本気である事が遠麻にも知れた。
「っ……」
満にとっての人質は遠麻だが、遠麻にとっての満も人質となりえるのだ。
ほぼ手詰まりの状況に満は唇を噛みしめ――しかし考える。
(あたしが逃げれば多分、こいつ等は白祈くんを手荒く扱う事ないと思うけど……)
多少殴られるかもしれないが、少なくとも致命傷はない。
――それにそれだって、すぐに助けを呼んでくれば。
「……」
ちらと遠麻へ目をやると、視線が合った。
「……判った。けどこれ以上俺達に関わんな」
「それは結果によんなァ。けど手ェ貸すってなら無茶はしねーよ」
「手ェ離せ。片手で良い」
「……いいだろう」
少し御影は迷ったが、遠麻に武芸の心得が何もないのはもう判っている。力にさえ気を配っていれば下手な真似は出来ないだろうという判断だ。
「俺の力が何か知ってんのか」
「『創造』って奴だろ? 話だけなら聞いた事あるぜ。本物見たのは初めてだけどな」
「そうか。――俺にはお前の力の流れが視える。その流れに龍気を変質させて同化させれば、多分お前の言う通りに出来んだろ」
「やれ」
そう命令され遠麻は御影に押えられたまま息をつき、鬼柳へと手を伸ばす。そして鬼柳に宿る呪力に触れ、一気に吸い上げ札の形へと具現化させた。
「っあッ! あ、あァッ!!」
「鬼柳ッ!!」
自分が何をされたかを悟り、鬼柳は慌てて飛びのくが、遅い。大半の呪力をもっていかれた。
「しまっ……」
「はァッ!」
隙を逃さず攻勢に出た満の一撃を受け、吹っ飛び壁に激突する。当然体の強度も落ちているので、以前とは効きが違う。
撃たれた箇所を押え、それでも何とか意識を失わないだけのガードは出来た。
「ちっ、畜生ッ……」
「鬼柳、退け! 早くッ!」
「くっ……」
よろけながら、しかし御影の言葉に従い、鬼柳は部屋から逃げ出した。
「白祈くん、追って!」
「って、俺が、かッ!?」
自分が追って鬼柳に何が出来ると、遠麻は言われた指示に躊躇った。
「大丈夫、あいつももう力ないし!」
そして逆に遠麻の手元には強大な力を具現化した龍気の札と、奪った鬼柳の呪力がある。
――使い方も、判る。
「けど、有谷は……」
「あたしも平気! こいつももうほとんど呪力ないし!」
潰せる時に潰しておく。自然の流れに逆らうのであまりやるべきではないが、遠麻の力ならば力そのものを奪い、封じる事が出来る。
「舐めるなッ!」
満の台詞に怒りと、そして微かな想像への恐怖に顔を強張らせながら、御影は距離を取って弓を構えた。
――確かに遠距離からでも手強い御影よりは、相性的に鬼柳の方が良い気がする。
「判った!」
頷き、満と御影を置いて部屋を出る。
「待て白祈――ッ!」
「あたしが相手するっつってるでしょ!」
怒鳴る声と破壊音が聞こえてくるが、御影が追って来る様子はない。そもそも今の御影に満を振り切るだけの力はないのだろう。
(鬼柳は……)
部屋の外に出て辺りに目を走らせると、角を曲がる赤毛が見えた。迷わずそちらへと走り出す。
呪力が落ちているせいか満の一撃のせいか、足運びも鈍い。二度目の角を曲がられる直前で追い付いて、腕を掴む。
「捕まえ――えっ!?」
「……っ……」
捕まえた腕は細く頼りなく柔らかい。身長も遠麻より、どころかおそらく満よりも低い。百六十に満たないだろう。
捕まえた相手は、間違いなく女だった。