12月18日
時は午前3時42分を少し回ったころ。突如光の電話がけたたましく鳴り響いた。
「──もしもし、私だが……それは本当か!? 緊急招集を掛けろ、私もすぐに官邸に向かう!」
その一報を受けた光は文字通り寝床から飛びあがった。眠気などすでに微塵もなく、慌ただしく服装を整えて官邸に向かう。彼をそうさせた一報とは──日本に対し、ある方法で展開されている障壁を乗り越えて攻撃を加えようとした敵対存在が確認されたという知らせであった。
「揃ったな!? 如月司令、報告を!」
電話を受けてから30分後には全大臣と異世界のメンバーが全員集まっていた。そうさせるだけの緊急事態なのだ。
「報告します、送り込まれた兵器はこれになります」
如月司令がその兵器を映し出す。外見は黒いボールのような物だった。大きさは直径で50センチほどだろうか。しかし、その球体がただの球体の訳もなく……多少の変形をすることでスクリューを利用した海上移動や短いながらも二足歩行な足が出せるようになっていた。
「そして、これは母体です。攻撃を行うのがこちらの子機だったようです」
如月司令の指示で、技術者たちがそのボールの一部に何らかの操作を行うと、中から無数の小さな四足歩行を行うと思われる子機が出てきた。だが、まだこれらがどういった攻撃を行うのかが分からない。
「そして、この物体の結論から申し上げます。このメカには一つの指示しかありませんでした。それは、『栄養失調に陥っている日本人を救え』という内容です。しかし、実際にこの子機に仕込まれている薬品は栄養剤などではありません。この子機が内部に仕込んだ薬品を撃ち込まれますと、数日の潜伏期間を置いてからある症状が発症します。それは──狂犬病という表現が一番近いでしょう。ただひたすらに狂い、異常な行動を取り出すのです」
この場にいた全員の背中に冷たい汗が流れ落ちる。そんなことになったら大混乱が起きる……戦うどころではなくなってしまう。
「しかし、そのような悪意がある存在をあの障壁は弾いてくれるのでは? なぜその兵器は日本にやってくることが出来たんだ? そして、水際で止めることに成功した者は?」
大臣の一人が口にしたことは、ここに集まった皆の疑問でもあった。
「障壁の方はひとまず置いておきまして、発見し、阻止したのは四国周辺に展開していた自衛隊の一団です。機械に頼り切らない目視による警戒を続けていたおかげで、この母体の集団が不自然に日本に向かっている事に気が付き、これを撃退。攻撃能力自体は備えていなかったようなので、無力化はそう難しくなかったそうです。ですがこの球体は一定のステルス能力を備えているようで、探知系機器の反応が鈍かったのは恐るべき点と言えましょう」
ギリ、と誰かの歯ぎしりの音がする。日本に唯一やらせなかった兵器開発。その技術は無駄に進んでいたらしい……こんなところばかり進歩しなくてもいいだろうにと考える人が出る事を非難などできはしない。
「もちろんすぐさま各種探知系機器にこの球体のデータは入れましたが、やはり目視による警戒をやめるわけにはいかないでしょう。向こうもそれを狙って次々と送り込んでくる可能性は十分にあり得ます。こちらを精神的にも肉体的にも疲弊させることが出来るのですから」
籠城戦における辛い所がここだ。音を出す、昼夜問わずチクチクと何らかの無視できない攻撃を続ける。仕掛けられた方はいつ攻撃が来るのか気を張り続けなければならず、休息が取れなくなっていく。疲労が判断力低下を招き、落ちた判断力によるミスは仲違いを呼ぶ。
そうなれば後は内部から崩壊するだけ……そんな負け方をしてきた戦争の歴史はいくつもある。そして今、まさに世界はそれを日本に仕掛けてきた。
「すみません、こちらからも。その存在が障壁を乗り越えることが出来たのはおそらく『栄養失調の日本人を救え』と言う指示のためだと思われます。まず人間は悪意を敵に対して一切持たないという事はまず不可能です。攻撃する意思はどんなに心の奥深くにしまい込んでも消せるわけではありませんから。しかし、このゴーレムは純粋です。彼らはただ指示を受けたまま『救う』ために行動したのでしょう……そして何より、彼らは人間ではない。ゆえに障壁を越えられたのだと思います」
ここで、異世界側からそういう推測があがってくる。だがこの推測通りならば、この球体による攻撃を行ったその理由も腑に落ちる。人間ではなくメカを送り込み、その命令は善意しかないものにする。その指示に従って動く彼らに悪意はない。そう、彼らはシンプルな指示を疑わない、疑うように作られていない。その中身が本当に栄養剤なのかという事を考えもしないのだ。
「なんという事だ、こんな手段を用いてくるとは……向こうにもこの手の事に知恵が回る輩がいるという事か。可能性としては考えていたが、このことに気が付いて仕掛けてくる確率としては低いと考えていた。そこを突かれるとは」
考えはしたが、様々な仕事に忙殺されたがゆえに対策を講じなかった事へのつけが回ってきた。頭痛をこらえるように頭に手を当てた光は、そう言葉を漏らした。これではいざ本番を迎えるまでにどれだけ戦士達の肉体と精神が削られるか分かったものではない。
常にそんな危険性の高い薬品を所持させた小さな暗殺者がいつどこからやってくるかどうかが分からないなんて、精神にどれだけ負担がかかるか……そう考えただけで憂鬱さと恐ろしさが襲ってくる。
「おそらく、今回はわざと捕まえさせたって事も考えられますぜ? 一回あれば二度三度があって当たり前って考えるのが人ってもんで……こんな嫌がらせが出来るという実験に成功すりゃ、次々送り込んでくるでしょうな。昼夜など関係なしに……俺だったら間違いなくねちっこくやりますぜ」
出席していたガレム隊長の言葉に皆が頷く。実にいやらしい手だが、とても有効な手でもある。自分達が攻める側であったのなら、間違いなくやるだろうという意見はこの場にいる全員で一致していた。
「成功の有無は関係なく、大勢の人間にいつそんな暗殺者がやってくるかの恐怖を植え付けることが出来る……その見えない恐怖を見せられるだけで、どれだけの緊張と疲労をこちらに強いることが出来るか。おちおち眠れない、この一点だけでガタガタに崩されてしまうぞ」
また他の大臣の発言だ。そう、まさにそれが狙いなのだ。解ってはいるが……すぐに対策が立てられるはずもない。そもそも時間が足りない。
「いっそのこと、こちらから打って出るのはどうでしょう? 根元を叩きに行ってしまえばこの暗殺者が放たれることもないでしょうし」
池田法務大臣からそんな意見が出てきた。確かにそれが出来れば問題ないが……
「如月司令、これが放たれた場所を探る事は可能か?」
光の問いかけに如月司令が首を振る。
「時間をかければ可能ですが、さすがに今すぐという訳には。特定できた時にはすでに24日を迎えている可能性の方が高いでしょうな。まさか流石に世界に向かって四方八方にミサイルをぶち込んでみて、あたりを引くまでそれを続けるなんてマネは物資的にもできませんし」
物資は無限ではないし、この暗殺者が作られている場所を特定するのも時間がかかる。如月司令の言う通り、今すぐ暗殺者たちの元を見つけて潰すという手段はとれそうになかった。
「それも世界の手段の一つでしょうな、こちらが打って出て来る畏友を作り上げて、そこを各個撃破する。流石に神威・弍式と言えど、無数の相手を続けるのは無理がありますからな……この策を練り、実行に移してきた者はそれも考えの中に入れているでしょう。厄介な敵がここに来て本気を出してきたのかもしれません……」
如月司令の言葉を聞いて、会議室に重い空気が流れたその時。別方面から光へと連絡が入る。
「失礼。もしもし、私だが──何、それは本当なのか!?」
その伝えられた情報は、予想外の物だった。この暗殺者の事がすでに国民に何故かばれている。しかし、それを知った国民は光を始めとした首脳陣の予想とは全く違う動きをし始めたというのだ。それは──
「俺達は神威に乗って戦えねえ! だが! 見張りは出来る。そうだろう!!」
「「「「「「そうだ!」」」」」
「だったら、見張りは出来るだけ俺達が交代で務めるんだ! 戦う人達には戦闘が始まるまでできる限り休んでもらって、俺達はそれまでの間見張りをして暗殺者達を近寄らせねえようにするんだ! 何か見えたらすぐ自衛隊や異世界からの戦士の皆さんに報告しろ!」
「「「「「「おおっ!!」」」」」
「俺たちに出来る戦いを、俺たちがやるんだ!」
この時代の日本国民は逃げなかった、怯えなかった。むしろ戦いの場に行けないのならば、今こそ国の為に役に立とうと各地で奮い立ったのだ。そして、戦いに行く戦士達の足かせになどになってたまるかと気炎を上げた。
これによって海の見張りを行う人の目はむしろ大きく増え、次々と送り込んでくる暗殺者を内包した黒球を目視で発見できた。夜の明かりは異世界側が協力することで明るく照らし、発見を手助けした。その結果、日本人の同士討ちを狙った世界側の作戦は頓挫することになる。
普通はこんな風に窮地に国民全体が気炎を上げることなどまずありえない。しかし、長く苦しめられてきたという歴史。その歴史に終止符を打つことが出来るという希望。さらにはその手伝いをすることが出来るという高揚感。
それらが組み合わさった結果、怯えるのではなく日本の一人一人が立ち上がって国を守ろう、脅威に今こそ立ち上がって長い苦難と屈辱の歴史を自分達の手で終わらせるという意思をより高いレベルで一体化していた。結果として、国民の団結力を高める事をこの暗殺者は強くプッシュしてしまったのだ。
「そうか、そうか……良く解った、国民と連携し、見張りを続けて欲しい」
そう告げて連絡を終えた光。そして会議場に集っていた面子に国民の動きを伝える。
「恐れていたことが起きなかっただけではなく、むしろ立ち向かおうという全体の意思がより強まった訳ですな……行けますよ、この流れに乗って最後まで押し切ってしまいましょう!」
池田法務大臣の声に、明るい表情で皆が頷く。
「ああ、国民が奮い立っているんだ。我々が暗い顔をしている場合ではないぞ! 世界にお前たちの策など通じぬのだと声高に笑ってやろうじゃないか!」
すでに会議室の空気に暗くて重い空気はどこにもなかった。団結力を高め、日本と異世界チームは来るべき時に備え続ける。
前回の終わり方で年越しまで気を持たせるのは酷なので更新しました。




