5月1日~上旬
宇宙ステーションが稼働して1か月が経過するころには、既に不満を言う人は現れなくなっていた。安全性は一月自分の体で生活してみて、地元よりもよほどいいとさえいう人まで現れていた。なんにせよ、前線基地としてはこれ以上ないほどの良い環境であり、しっかりと休める頼りになる場所であるという認識で一致するようになっていた。
もちろんその裏には技術者たちの必死の努力があった訳なのだが、居住者全体の雰囲気が良い事と、多くの給与が支払われて報いようとする国の対応が合わさって彼らもまた満足げに仕事をこなしていた。よって、宇宙ステーションの空気は良い状態が維持されている。そして、計画の一部を前倒ししないか? という話がここで持ち上がってきた。
「ふむ、なるほど。実際に実機を使って宇宙空間での動きを確認する事だけは始めていこう、というのですね?」
光の言葉に頷いたのはフレグとブリッツ。この両名が提出した議題に、本来ならあと1か月先に行う予定とされていた実機を用いた宇宙空間での作戦行動の一部前倒しがあり、その一部が実機を使って宇宙空間で行動し、慣れるという物があった。
「ええ、現にこの1か月。多くの人の尽力のおかげでこの星々の世界に生まれた前線基地での生活環境は大きく整えられました。そして、そのおかげでこちらの想定していたよりも早くこの世界での行動に戦士の皆様は慣れてくれています。中には、少々退屈だという声も聞こえてくるようになりました。ですので、武器を持たせない純粋な移動訓練に限定して、計画を前倒ししてはどうだろうか? という話です」
ブリッツは退屈だ、という表現をしたが……VRでの訓練ではなく自機に乗り込んで動かしてみたいという意見が多く出てきているのは事実であった。早く乗ってみたいがために普段の訓練が疎かになる、と言う事もわずかではあるが出てきてしまっている。そう言った問題を潰すためにも、少し前倒しして実機を用いた訓練を行おうと言うのが彼の主張である。
「こちらの方も、早く実機を実際の戦場となる場所で動かしてみたいという声は日増しに大きくなっている。もちろん光殿たちが用意してくれた訓練設備を甘く見ている訳ではないが、やはり戦士たるもの、己の体で実際に武器を持ってみたいと思ってしまうのだ。どうか理解して欲しい」
フレグの言葉通り、特にマルファーレンスの戦士達からこの前線基地も大方分かったからそろそろ本当の機体に乗っての訓練を始めて欲しいという要望が増えつつあった。正直あと一か月、彼らの言葉を無視して訓練のみを続けさせるのは、戦士達の意欲を奪う事になるだろうという見方を彼はしている。
「──確かに、技術者の方々のおかげで、この場所は前線基地であるというのにもかかわらず気持ちよく生活できるまでになりました。そうなれば、精神的な余裕ができるのは分かりますが……ヒカル様。その、各国の機体の調整は大丈夫なのでしょうか? 本来ではあと1か月先の話となる訓練を前倒ししてしまうのは、機体を調整してくれている技術者の皆様に多大な負担を強いる事になりませんか?」
一方でティアからは、整備班を心配する声が出てくる。彼女は実際に整備班の所へ何度も足を運んでおり、機体の整備にはかなりの手間がかかる事を十分に理解していた。
しかも次から次へと宇宙ステーションに機体が転送陣を通じて送り込まれてきており、日々それらの機体の調整をしている彼らの仕事がいかに大変なものであるかと言う事もまた理解していた。
「ええ、その質問は出る事を考慮して、技術班との話し合いは事前に行っています。技術班曰く、今ある機体の半分はいつでも出せるようになっている、だそうです。残り半分はまだ転送した後のチェックが終わっていないので動かさないで欲しいとの事でした」
ティアのような質問が飛んでくることを、光は予測していた。だからこそこの日の会議前に技術班と連絡を取り合い、機体の状態はどのような感じになっているのかの情報を自分の耳で仕入れていた。
「ですので、訓練の要望には応えられます。幸いと言っていいのかは分かりませんが、今は特定の人物に合わせて調整した専用機という物はありません。ですので、ベーシック……追加武装をつけていない状態で、二人交互に交代しながら訓練をすれば希望はかなえられます。それでも良い、というのであれば数日後から実際に機体に乗って宇宙──星々の世界での行動訓練は可能です」
光の言葉に、フレグとブリッツは笑みを浮かべた。これで、部下から上がってくる早く訓練したいの声に対応できるのだから。しかし、そんな二人に光からの待ったが入る。
「ただし、星々の世界では普段着のまま外に出てしまうと助かりません。機体が何らかの異常を起こしたり、戦闘で破損して脱出しなければならない時などを想定して、機体の訓練を行う前に特殊な鎧のような物を着て活動できるようになる為の訓練を行う必要があります。ちなみに、その鎧というのはこちらになります」
いつ説明が必要な時が来てもい良い様に、光は宇宙服を魔法を駆使して持ち歩ける普段は見えない所にある箱……日本人にはアイテムボックスと言った方が分かりやすいだろうか。それに入れていた。
と言っても、ここは技術が進み、マギサイエンスも駆使できるようになった時代。その宇宙服は宇宙開拓が始まった時と比べてかなりスリムになっており、少々無理すれば普段でも着れそうなものとなっていた。
「この服を着て、このヘルメットをかぶり、気密を保つ。そうすることで、星々の世界であっても行動が可能となります。また、この背後についているバックパックのような物は酸素と小型ブースターの燃料が入っております。星々の世界では言うまでもありませんが足をつけるところなどまずありません。なので、この小型ブースターによって移動を行います。極端に加速してしまうと、止まるのが大変なのですが……」
光の取り出した宇宙服と、その説明にフレグ、ティア、ブリッツの三名は真剣に見て、聞いていた。何しろ今までの経験が全く役に立たない世界だ。知っている人物の教えは何よりも大事なものである。
「ですので、実際に機体に乗って訓練をする前に──この宇宙服を着てちゃんと星々の世界でも行動できるかの訓練が先ですね。万が一の時に行動できず、パニックを引き起こすようでは話になりませんから。もちろん、私や皆さまも機体に乗って戦いに赴く以上、この訓練は必ず行います」
これは絶対必要な訓練なので、必ず全員がやらねばならない。
「最初は宇宙ステーションの無重力エリアで練習ですね。そこできちんと動けるようになったら実際に星々の世界に出て訓練となります。宇宙ステーションの周囲を難なく行動できるようになるまでみっちりとやらねばなりません」
だが、この光の言葉に対して不満など出るはずがない。新しい訓練、新しい刺激、必須。これら三点が組み合わされば、部下達の不満が吹き飛ぶ事をフレグ達三名は確信したからだ。むしろ、新しい訓練こそ望むところという奴である。
「ヒカル殿も人が悪い。そんな大事で刺激的な訓練があるというのであればもっと早く言ってくださればよいのに。部下達も新しい訓練を受けられて、今後に繋がるとなれば喜んで訓練を受けるでしょう。もちろん、私も積極的に参加して訓練を行いますよ」
フレグの言葉に、ティアやブリッツは全く持って同意だと言わんばかりに何度も頷いていた。こうしてこの日、希望者は新しい訓練をして星々の世界で生き残るための鎧の訓練を順次実施していく事が発表された。
そして、希望者が殺到したことは予想に難くないと思われる。幸い宇宙服は十分な量が生産されており、希望者全員に無事行き渡る事となる。こうして、計画は1か月前倒しする形で進む事となる。
そして、日々宇宙服における訓練をする人を見る事はあっという間に日常になった。無重力状態という物を半ば楽しみながら訓練をする者も多数おり、光を始めとした地球組の予想をはるかに上回る柔軟さで彼等は宇宙服を着ている時の行動を身に着けて行った。
当然そうなれば日本皇国側も負けていられないと発奮し、宇宙服を着て行って異空間で鬼ごっこなどをしてより良い動きが出来るように切磋琢磨する環境がいつの間にか出来上がった。
そうすれば、後はひたすら訓練──遊びも入っていると言われると反論が難しいが──をするだけであり、後はいざという時でもこの普段と同じ動きが出来るように状況を限定した訓練が混ざる事となる。だが、それすらも窮地を乗り越えてきた戦士達の前では児戯扱いであり、むしろいい刺激となった、なんて感じで片づけられてしまっていた。
しかし、訓練の成果は上がっている。皆宇宙服での行動をほぼマスターし、問題なしと判断される。そうなれば当然次に来るのは、実機を使った訓練である。訓練初日、マルファーレンスの戦士たちは皆ワクワクを隠せない様子で乗り込んでいった。フォースハイムやフリージスティの人々も興奮はしていたが、表面上は冷静を装っていた。
そして日本の自衛隊員たちは、これも任務だと冷静に考え整然と並んで実機に乗り込んでいった。とまあ、乗り込む前の様子などは国によってある程度差が出たが、いよいよ実機を用いた訓練が始まった。
計画が前倒しで進んでいる為、この機体の訓練に多少時間をかけても問題はない。余裕を持った状態で計画は進んでいる事は、世界全体にとって喜ばしい事である。
「では、本日より実機を用いた訓練を始める事となる。この訓練で機体の基本的な動かし方をしっかり学び、決戦に備えなければならない。各員、真剣に訓練を行い、成果を出す事を期待する!」
フレグの短い挨拶が終わった後、各機体が出撃の案内役の指示に従って一機ずつ星々の世界へと発進していく。こうして、ヒューマントーカー作戦は第二段階へと突入した。




