8月10日
政府の呼びかけに対し、5つのカレー関連のメーカーが名乗りを上げた。彼らは海外第一号店をマルファーレンス首都からある程度離れた場所にある5つの街に1件ずつバラバラに開店した。これで売り上げなどはどうなるか、などの反応をひとまず見る事となった。と、落ち着いて言えればよかったのだが……
「カツカレーを4人前!」「こっちにミートボールカレーを3人分!」「持ち帰りのカレーセットを5人分頼む!」
カレーの専門店が日本からやって来た、という事でお店が出来た5つの街に大勢の人が詰めかけてしまったのだ。おかげで売り上げはすごいが、在庫の消費量と従業員の疲労の溜まり具合はもっとすごい。転送陣を使って材料を送っているのだが、一日に何度も転送してなお在庫が尽きる状況だ。
「多分、これは一過性の物だ。もうしばらくすれば落ち着くだろう……目新しい物だから、押し寄せてきているだけと見るべきだ」
各メーカーの上層陣がこう考えるのも間違ってはいない。今はただ目新しいから大勢の人がお店に詰め掛けているだけ、ある程度食べてもらえば落ち着くだろうと判断する事が普通なのだから。店員は一日で交代し、過労で倒れる従業員が出ないように配慮したうえでしばし需要の推移を見る事になった。
──上層陣がそう判断して更に1週間がたった。5つの店は、いまだに大勢の人が詰めかける状態から抜け出せていなかった──理由は単純。お店の存在を聞きつけたフォースハイムやフリージスティの国民まで5つの街に押し寄せてきたからである。
「店長、このペースではお昼で食材が切れます!」「ええい、またか! こちらの世界の人々の胃袋は底なしか!?」「店長、食材の追加は!?」「無理だ、生産が追い付いていないと報告が入っている! 今日の分はすでに使い切った!」「今日もお昼で店じまいになりそうっすね」「だねえ……」
お店は戦場その物であった。作れば作るだけ売れるという状況は、まだ陰る気配を見せない。この状況を打開するため、各メーカーともフォースハイム、フリージスティにもお店を出す準備を急ピッチで行っている。既に5つの街はパンク状態に陥っており、カレーをめぐっての殴り合いも多々起きる始末。
「とにかくあと三日耐えろ! そうすればフォースハイムやフリージスティ支店がオープンする。そうすればお客は分散されるだろうからな」「この地獄がようやく終わるんですねえ……うっうっうっ」「店長、話は分かったから仕事に戻ってくださいー! 外でまた喧嘩が勃発してますー! 速く通報してー!」「またか! これでもう何度目の通報だ!?」
こんなドタバタを、すべてのメーカーの支店に勤めた従業員が味わう事になった。支店が出来た後は少しはましになったが……カレー熱はまだまだ各国で続くことになる。その状況は、当然光の耳にも届く。
「まさか、こんな事になろうとは」
頭を抱える光。多少は盛り上がるかもしれないが、その後は落ち着くだろうと見積もってメーカーに話を振った事を少々後悔していた。ここまでのぶっとんだ展開を迎えてしまうとは……すでに日本各国にあるカレーに関係した食糧プラントの稼働率が跳ね上がっている。そうしないと、5つのメーカーの出してくる要望を満たせないのだ。
確かに物が売れてお金が回るから経済的にはありがたい。が。度が過ぎると終わった後の反動が問題になる。緩やかに消費が減っていくのであればいいが、ある日パタッと需要が無くなったら、過剰に生産してしまった食品の行き場所が無くなる。それを破棄する事はお金を丸々捨てる事と言う経済的な話と、生命を捨てる道徳的な面の二つでよろしくない。
「穏やかに需要が落ち着いていく事を祈るしかない……各国の国民からはよくぞ店を出してくれたという感謝の声がメーカーだけでなく私の所にも来る始末だからな」
あえて口に出す事で、状況を理解するように努める光。経済が回る事と、各国の国民に良い印象を与えることが出来たのは好材料なのだが──手放しで喜ぶ気分にはならなかった。これがせめてこんな急激な需要ではなく、穏やかな需要であったのであれば、素直に喜べたのだろうが。
(だが、まあとりあえず今はこれで良いとしておく他ないだろう。特にマルファーレンスの人々にとって、神々の試練の後に自分の国がどうなるか分からないという不安が渦巻いているはずだ。そういう潜在的な不安を打ち消すために、美味しい物を食べて少しでも気持ちを楽にしたいという欲求があるのかもしれないからな)
暦はすでに8月に入ってしばらく経つ。あと少ししたら復興が進む靖国神社にて、今度は祖先のお力に頼らず今を生きる者の力で未来を勝ち取るという事を誓い、その翌日には宇宙に旅立つソウル・ガーディアンとなった大和を見送る式典を行う事になる。そして、来年の秋ごろには希望者を日本に避難させることになる。
(だが、8月の終わり頃には調整も終えた先行生産されたブレイヴァーが5機、マルファーレンスに送られる手筈になっている。それを見れば、マルファーレンスに住まう人々の内心に抱えている恐怖心を和らげることが出来るだろう。そうなれば、今の異様なカレー熱も穏やかになるかもしれん)
如月司令達から入る新型機体の量産状況は良好であるとの報告書が届いている。そして、映像などではなくきちんと組み立てられて今すぐに動かすことが出来るブレイヴァーを5機用意し、マルファーレンスに送る事で大々的にヒューマン・トーカー作戦の準備は順調に進んでいるとアピールする。
現物があれば、マルファーレンスの政府が国民を納得させる難易度は大幅に落ちる。当然マルファーレンスの政治的なトップであるフレグはこの話に飛びついた。現物が遂に自国にやってくると聞いた時のフレグの顔は、この時を待っていたとばかりに喜びを隠さずに前面に押し出していた。
(あの時のフレグ殿の笑みは印象的だったな……もっとも、今はカレーの一件で頭を抱えているやも知れぬが)
当然カレーの一件はフレグ……だけではなくフォースハイムのティアやフリージスティのブリッツの耳にも入っている。そして光の大体予想通りに頭を抱えているのだが……方向性がちょっと違う。カレーが売れる事は別に良い。だが、その分他の食事所で出す料理は食べられない訳だ。当然、割を食う人々が出てくる。
幸いと表現するのはおかしい話だが、供給が追い付いていないためにカレーの店はお昼のみしか動いていないので夜の食事には影響を与えていない。しかし、昼飯時を狙って今までやって来たお店はかなりの損害を出してしまっている。朝や夜にお店を開店させようとしても、どんなものを出せばいいのかのノウハウが彼らにはない。
こういった理由で、無視するのは少々無理がある規模の問題となっていた。光はこの情報を『忍』によって個人的に手にしており、支援と言う形で彼らが新しい料理を生み出すまでの時間と金銭的な猶予を与える事を各国の首脳陣に打信している。日本が原因で、そういう人々の仕事と命を奪うわけには行かないからだ、と添えて。
むろん、光がそんな動きを見せたのはそれだけの理由ではない。今、日本が嫌われるわけには行かないからだ。皆に好かれるのは不可能でも、出来るだけ新しく嫌う人の数を増やさないようにその芽を素早く摘み取りたいのだ。こういった芽は素早く積まないと、あっという間に根を伸ばして引き抜くことが難しくなってしまう。
(とりあえず根回しはこんな所か……幸い、こちらの支援を受けて新しい料理に挑戦してみる、営業時間を調整するなどの対応策を取ってくれる人々達で助かった。カレー騒ぎが収まれば、彼らの所に客足も戻っていくだろう。そうなれば、支援を打ち切って彼ら自身でやって行ってくれればいい)
声をかけたのは自分自身である以上、起きた問題もまた対処するのは当然自分がするべき。そうしなければ信頼という物は一瞬で消え去ってしまうのだ。総理が信頼を失えば、その先の日本にとって、良い影響などあるはずがない。
(だが、こちらの世界の人々はたくましい。だからちょっとした支援を与えれば十分に克己心を起こしてくれるはずだ。支援とは元々そういう物のはずだからな)
残り人口が僅かになってもなお、抗い続けてきた人々だ。相当にタフでなければ、絶望に染まって全てを投げ捨てているはず。しかし、そうならないだけの強さがこの世界の人々にはある。その強さは、日本が見習っていかねばならない強さだろう。
(なんにせよ、8月はこの先やるべき大仕事が山積みだ。ビシッと決めなければ格好がつかないからな。自分一人の為につける格好は情けない時があるが、自分は国を背負っている。その自分がビシッと格好をつけられないというのは、国が情けなく見られる要因の一つになりかねん。気合を入れ直さなければな)
9月に、書籍化の作業が入る可能性があります。
その場合はしばし更新が止まります、報告は活動報告で行います。




