6月13日
それから3日後。フレグ、ティア、ブリッツの三人と護衛の者多数が日本にやって来た。言うまでもないが、目的は自国の国民を帰らせることにある。呼び出しを受け、各国からやってきた代表者たちは光陵重工の一番広い場所に集まった。バカでっかい体育館をイメージしてもらえれば、大体間違いはないだろう。
結局あの後もいい案は思いつかなかった。なので仕方がなく力尽くで自国民を引っ張るという話になったのだ。で、その為に各国首脳が直々に出張って来た。
「ヒカル殿とキサラギ殿から話は聞いている。帰りたくないとこの大事な時に駄々を捏ねた大馬鹿者がいるとな!」
集まって開口一発、フレグが怒気を含んだ大声を自国民に投げつけた。が、マルファーレンスの人々からは──
「そうは言いますがね、こっちだってタダで日本に居座るつもりはまったくねえですよ!」「仕事だってするし、きつい力仕事があれば率先して受けると話は通しています!」「今後も我々が近くにいれば、何かあった時にすぐ対処できるでしょう!」
なんて声が上がった。そんな意見に対してフレグは……
「阿呆! そんな意見をこっちが飲んでみろ! マルファーレンス国内にいる他の皆が納得しないぞ! そんな条件で日本に来れるのなら俺も行く、私も行くとなるなんて事になるだけだ! そもそもだ、ブレイヴァーの開発の協力のためにお前たちは日本の土を踏んだ、という事を忘れたか! そしてすでに開発は終わり、量産体制に入ったと聞いている! ならばお前たちは帰って来るのが筋だろう!」
フレグの言葉に、ぐっとつまるマルファーレンスの国民達。更にここでティアとブリッツも口を開く。
「私としても同じ意見です。日本に居たいという気持ちを理解しない訳ではありません。しかしながら、それを今は認めるわけには行かないのです」「神々の試練は迫ってきています。ですから皆さんには自国に帰って頂き、ここで得た経験を元に各国専用機体の動かし方のコツを広めてもらいたいのですよ」
フレグが鞭ならティアとブリッツの穏やかな話し方は飴だ。帰ってやるべき事があるのだから、日本に居座り続けてもらっては困るという事を理解させるために。だが、ここで一つの手が上がる。手を上げたのはフォースハイムから来た女性であった。
「仰ることは分かります……ですが、日本の清潔さを知ってしまうと帰り辛いという事もまた事実なんです。食事は何とか我慢します。布団は日本の皆様から何とか都合をつけるというお言葉も頂きました。風呂はここに来た皆と話し合って作っていこうという話し合いも進んでいます。ですが、あのトイレだけはどうしても手放したくないのです」
少々汚い話になるかもしれないが……ここで各国のトイレ事情をちょっと話しておこうと思う。出すものを出した後、その後の処理が必要になるわけだが……紙で拭いているのがマルファーレンスとフリージスティ。魔道具で水球を押し当ててすすぐのがフォースハイムである。
が、そのどれもが後始末と言う点で完全に綺麗には出来ていないという所が共通していた。いや、今まではそれで特に不満はなかった。しかし、日本のトイレのお尻にお湯をかけて綺麗にするという機能付きの温かい便座を味わってしまった彼らは、今までのやり方を受け付けなくなってしまっていた。
直接手で出した部分を触れる必要もなく、面倒な調整が必要な水球の操作も必要ない。それでいてお尻が綺麗になるので用を足した後の爽快感もある……と言うトイレ事情は彼らにとって革命以外の何物でもなかった。その為、国に戻ってまた紙で拭く形の不十分な処理や、面倒な調整が必要な水球による処理などもう考えられなくなってしまったのだ。
更に付け加えるのであれば、各国とも便座に座ると言うスタイルを取っていなかった。要は和式トイレのような形が一般的だったのである。そこに洋式型の座って落ち着いた態勢で用が足せるトイレを味わったのだ。帰りたくなくなっても致し方なかったのかもしれない。
「私も同意いたします。毎日世話になるトイレと言う部分だからこそ、その恩恵とありがたみを強く感じています。せめてあのトイレだけでも持ち帰って使いたい──しかし、残念ながらまだあのトイレはこの国にある電気と言う技術を使わなければ動かす事が叶わないのだとか」
フリージスティの男性兵士からも声が上がった。その言葉に日本に来ていた各国の人々はまさにその通り! とばかりに頷く。今、マギ・サイエンスは全て神々の試練に対する方向でのみ使われており、トイレを始めとした一般の人々が使う部分にまでは手を付けていなかった。そんな時間もない。故に、各国に日本のトイレを持ち帰って付け替える、という事は今は叶わない。
それに、便器の形も違う。だから日本から陶器でできた皆様にとってはおなじみの形をした物も買って帰らなければならないのも大変だ。この時代まで来ても、トイレは陶器でできていた。それ以上のローコストで都合の良い素材はまだ見つかっていない。
無理やりな手段を使うのであれば、日本の小型発電機を持ち帰るという方法がないでもない。だが、当然維持も大変だし手軽とは言えない……更に故障すれば修理の為に日本から人を呼ぶことになる。それを各国の国民全部にやろうというのは無茶だ。かといって、ここに居る皆だけにそれを適用すれば、えこひいきだという誹りを受けるのは間違いない。
「体験したことがないから言えるんです! ぜひ各国首脳の方々にも日本のトイレを体験してもらうべきだ!」「体験すればわかります! 私達が何故ここまで熱望しているのか!」「そうです、体験してください!」
3国の皆が団結した事で、フレグ、ティア、ブリッツは少したじろく。が、ここで引いてはならない3名は、その言葉に乗ってしまった。
「良かろう、ではこれから日本のトイレを体験しよう。キサラギ殿、済まないがお時間の方は……」「問題はありません、それに生理的な要望はいつ来るか分かりません。とりあえず皆様はいったん解散して頂き、用が済んだ後にもう一度集まって頂くという形でよろしいかと」
フレグの困った表情を察し、如月司令はそう助け船を出した。そして3時間ほど後……フレグ、ティア、ブリッツ共に生理的な要望に従い、日本のトイレに入って用を足すという事を体験する。体験し終わった後、3名は集まって話し合いの場を持った。
「──あいつらの言っている事が良く解った。このトイレは素晴らしいぞ……」「反論できませんね……これを知ってしまうと、確かに前のトイレに戻るのに抵抗が……」「日本人がおかしいのです、こんな快適なトイレを作り上げてしまうなんて……しかもこれが特別なのではなく、一般的だそうではないですか。改めて、この国の恐ろしさを感じましたよ」
そんな言葉が飛び交う。彼らも分かってしまったのだ、トイレと言う毎日必ず使う場所が快適で清潔であると言うのは、これほど素晴らしい物なのかと。
「だが、だからと言って彼らの意見をそのまま飲むわけには行かないぞ」「これ以上日本に負担をかけたくないのですが……頼む他ないですね」「国営で皆が使えるトイレを作る、という事ですね? その辺りが落としどころでしょう。さすがに一般の家庭にあのトイレを今すぐ設置するというのはあまりにも非現実的です。その辺りが限界でしょう」
ブリッツの言葉に、フレグとティアが頷く。日本に頼んで、国営の日本式トイレを一定間隔で設置してもらう。これが最大限の譲歩かつ現実的にできる範囲であるだろうと。再び国民を集めたフレグ、ティア、ブリッツはこの案を日本に居たいと言っている国民に提示した。妥協案としてだ。
「──仕方がない、か?」「ええ、確かにそう言う案を出してくれるのであれば」「このまま騒ぎ続けて日本の人々に迷惑をかけるのはよろしくない」「確かに、今すぐあのトイレを全ての家につけろと言うのは無茶だよなぁ」「気軽に使えないのは残念だが、一切使えないという訳じゃないのであれば、こちらも妥協すべき所か」「かなり折れてくれてるんだし、ここらが落としどころじゃないか?」
フレグ、ティア、ブリッツが最初の方針と違ってかなり折れてくれたことで、国民側もその案を受け入れた方が良い、これ以上日本で騒ぎ続けるのは良くないという流れで話が固まっていく。最終的に日本にトイレの設置をお願いし、神々の試練を退けたら、各家庭に日本のトイレを設置できるように働きかける、と言う形で纏まった。
「キサラギ様、こんな結果になってしまって申し訳ないのですが……」「いえ、こちらのトイレをそこまで買ってくれたというのは嬉しい物です。総理にもこの話を通しておきますので、出来るだけ早く技術者を回します。皆様はそれまでにどこにトイレを設置するのかを決めて頂ければ」
ティアに返事をしながら、如月司令は切った張ったにならなかったことに安堵していた。力尽くでも連れ帰るという話を聞いていた以上、それなりの血が流れる事も覚悟していた。それがトイレで何とかなるなら安い物……彼らは一番各国専用の機体を動かしている経験者だ。その経験者を怪我で数か月も休ませてしまうというのは避けたかった。かといって各国の方針にまで口を出すわけにもいかず、悩んでいたのだ。
「キサラギ殿、申し訳ないが頼む。もちろん相応の対価は支払う。出来るだけ早い設置を実現してほしい」「この様な話を勝手に決めてしまったことを謝罪します。しかし、確かに彼らがあのトイレを使い続けたいという心情も理解できてしまったため、こうする他ありませんでした」
フレグにブリッツも申し訳なさそうにしながら、如月司令にトイレの件を頼み込む。如月司令は、彼らの心境がこれ以上重い物にならないようにあえて笑顔で対応する。
「いえいえ、ティア様にも言いましたがそれだけこちらの技術を高く評価して下さっているという事ではないですか。それにこういう生活が手に入るのならばもっと頑張ろうという一例が出来上がったと、そう考えてみてはいかがでしょうか。努力と貢献の先には必ず良い報いがある。そういう事を知れば、人はより努力し明日に希望を持つものですから」
たとえそれがトイレであっても、だ。さらに、日本と友好的にしておけば相応の恩恵があるという事を自然に広める事も出来るという利点が日本側にはある。日本皇国は、この世界においてはまだ1年足らずの新参者だ。だからこそ、アピールできるチャンスは積極的に拾っていかねばならない。故に、このトイレの件を藤堂総理が断る事は無いと如月司令は考えている。
こうして、この一件は片が付いた。日本のトイレに関わる仕事をしている人達がしばらく忙しくなってしまったが……
トイレについて力説している文章を書いていると、何やってるんだろう自分って考えてしまう。




