3月1日 その3
そして晩餐会である……と表現するのはちょっと難しい。フレグと同じものを出すように注文をしているので、豪勢ではあるが厳かな感じがないためだ。何せ集った場所も寿司屋の一角なのである事も加えると、晩餐という言葉がますます似合わない。──それはさておき、初めて生の魚を食する事になったティア、ブリッツ、そしてお供の方々なのだが。
「美味しい……生の魚とはこうも美味しいものだったのですね。さっぱりしているのに味がしっかりします」「むう、焼くや煮るという形で食べてきましたが、生というのはこのような味がするんですね」
最初の一口こそ怖々という感じだったが、すでにフレグが食べているという事と部下から生の魚はうまいと聞いていたこともあって、勇気を出して一切れを口に入れて咀嚼するや否や、目を見開いてがっつき始めた。ティアやブリッツだけでなく、お供の方々も最初の一口の後は次々と口に刺身を運んでいる。
「お気に召していただいたようで何よりです。生で食べられる魚をよりおいしく食べるための職人の技を堪能してください。これらは生ではありますが、一切れ一切れに職人が長年鍛えてきた調理技術が生かされています。ただ生の魚を切っただけ、という物ではありませんから」
刺身の一切れを切るのだって、熟練の職人と一般人がやったのでは雲泥の差が出る。その差はそのまま味に影響する……単純に言えば、一般人の切り方と一般的な包丁では魚の旨味を逃がしてしまうのである。細かい事は省くが、そういった所から職人と言われる人たちの修練による差という物が出てくるのだ。
「でしょうね、ただ魚を切っただけではこうも美しい光沢を放つ訳がありませんもの。私の国にもありますよ、魚を生で食べようとした貧民の話が。かなり昔の話ではあるのですが、食べ物に困って川に居た魚を捕まえ、鱗などを取っただけで生で食べた。その結果、その者は病で死んだ。だから魚を生で食べるのは命を失う行為だという教訓になっています」
光はティアの話を聞いて、食中毒か寄生虫のどちらか、もしくは両方だろうとあたりを付けた。日本の川魚もそこら辺は似たり寄ったり……だから川魚を生で食べてはいけないのだ。食べる為にはちゃんと火を通さないといけない。
「私の国も似たような話はたくさんありますよ。ですから魚を生で食べろという言い回しは、遠回しに嫌がらせや恨みを抱いている事を伝える言葉になっていました。しかし、日本に救援のため行っていた部下からはこの言葉もそう遠くないうちにそういう意味でつかわれる事は無くなっていくでしょうという言葉を耳にしていましたよ」
ブリッツの国にはそんな言い回しがあったようだ。まあ言葉という物は時が移ろえば、意味が変わったり本来とは真逆の意味でつかわれるようになっていく物であったりする。怠け者の節句働きという言葉があるが、これは本来怠けている者はみんなが休む正月などに働くはめになるという感じの言葉なのだが……西暦2000年を回ったころには働き者こそ人が休む時期に働いて金を手にするようになっていたのだから、この言葉は完全に死んでいた。
「そうですね、何も考えず生で肉や魚を食せば体調を崩してしまいます。なぜそうなるかの知識を蓄え、安全に食べられるようにした結果が今皆様に口にして頂いている刺身です。それだけでなく緑色のペースト状になっている物体、わさびには辛みを与えるだけではなく殺菌の効果があります。刺身の上に乗っている花、菊というのですが、これも品種によって殺菌効果が望めます。そういった物で脇も固めているのですよ」
光の言葉に、なるほどという表情を見せるフォースハイムとフリージスティの面々。そして、ワサビ単体を少しだけ掬って口にしてみる人物もいる。
「なるほど、ワサビといいましたか。これ単品でもなかなかの味ですな。ただ辛いだけではない、むしろ辛味は短時間ですっとまろやかに消えてゆく。実に面白いですな、わが国にも辛味を感じさせる香辛料の類は豊富にありますが、このようなまろやかな辛味を感じさせるものがあるかと問われると……難しいですな」
ワサビ単体を味わって、そんな言葉を出してきたフリージスティの人物の言葉につられるかのように他の面々もワサビ単体で味わうという行動を取り、思い思いの感想を口にする。その後、再び刺身につけてもう一度味わって「なるほど」と口にする者もいた。
「これは、欲しいですね。藤堂殿、このわさびという物は育てるのが大変なのでしょうか?」
ブリッツの発した言葉に、光は頷く。
「このワサビは、ワサビ田という場所で育てるのですが……その管理は非常に大変です。きれいな水、きれいな環境下でなければ育たず、非常に手間がかかります。あまり機械を入れる事も出来ず……だからこそ、この味が出るのです。ですから一から育てる環境を作るとなると、かなりの時間が必要となる可能性は高いです」
光の返答に納得するように大きく頷いていたのはフォースハイムの人達であった。彼らも自然を極端に破壊することなく共存するというやり方には悪戦苦闘してきた歴史を持つため、ワサビ田の話を軽く聞いただけでその苦労が理解できた。これだけの良いものには相応の手間がかかっているのは、当然の事なのだと。
「そうですか、ですがこの辛味は素晴らしいです。神々の試練を乗り越えたら、ぜひ一度どういう環境で作られているのかを見に行きたいですね。直接目にしたい価値のある物が、日本皇国には多すぎて困ります」
笑顔を浮かべながら、そんな事をブリッツは言う。そんな会話をしている内に、各種寿司が店の大将のお任せで出てくる。寿司が並んだところで光が声を発する。
「さて、今度はこの寿司を召し上がっていただきます。御託はあとで、まずはお試しを」
生魚の切り身がまとめられた米の上に乗っているだけ……という見た目だが、これも部下がとても旨かったと言っていた料理。先ほどの刺身の様に、見た目では理解できない味があるはずだとティアとブリッツは身構えて片一番手前の寿司を口に運んだ……そして。
「これ、は」「──美味しい、としか言いようがないですね……」
ティアもブリッツも、そしてお供の人達も言葉が少なくなった。ただ目の前にある寿司を一つ一つ、ゆっくりと味わいながら食べていく。皆がただただ無言でただただ寿司を食べるだけとなり、その状態は完食するまで続いた。そして食べ終わった後に発した言葉が──
「追加をお願いします」「私も」「こちらも」「もう少し、食したいので……」
お代わりの要求であった。そして彼らが満足し、あがりのお茶を口にしたのは1.5人分程食べた後であった。完食後に見せたフォースハイム&フリージスティの面々の表情は、満足そうに少々とろけていた。とても満足してくれたようで何よりと、光は内心で胸をなでおろした。
「実に、実に堪能させていただきました。はあ、本当に美味しかった。部下がああも再び日本に行きたいと愚痴る理由が分かりました……」
とろけ顔を直さないまま、ティアはつぶやく。
「この食文化、ぜひ我が国にも広めていただきたいですね……日本皇国でしか食べられないのは、少々……いや、かなり苦しいですよ。こんな味を知ってしまった、もう後戻りはできません……」
ブリッツもイケメン顔がだらしない顔に変わるぐらいに呆けている。美味い物はどんな相手であっても形無しという事か……なんて事を光は思っていた。お供の皆様も完全に顔がしあわせ全開のほんわか顔になっていた。もしかすると、マルファーレンスよりもフォースハイムやフリージスティの人々の方がより好みに刺さったのかもしれない。
「広めるためにも、神々の試練には負けていられない。そうではありませんか?」
光が声を掛けると、ティアもブリッツもお供の人々もしあわせ顔から真顔に戻っていく。
「そうです、負けていられません」「勝利の美酒ならぬ、勝利の食事ですね。それを味わう為にも負けられません」「然り、然り」「うむ、ヤル気ががつっと上がったわい」「ふ、私も同意見ですよ。昨日と今日では、世界が違って見えます」
と、寿司屋の片隅で各国首脳がヤル気をストップ高する勢いで上げているという、珍妙な光景が展開したのであった──が、ここで面々が口にした言葉は全く嘘偽りなく。
翌日帰って行ったティアとブリッツからすぐさま支援物資が日本が出した要求量を遥かに超える量を送って来たのである……勝利の暁には美味い寿司をよろしくという一文を添えて。それで良いのかと光はちょっと頭を抱える事になった……。
 




