3.ひとりじゃない!
気が付くとソラはドゥポンゴールド城の2階へ続く、らせん階段の下にいた。
状況をすぐに飲み込めず、頭をぶんぶんと振っていた、そのとき。
「助けて!」
2階から突然悲痛な叫び声が聞こえてきた。
あれは、サチコちゃんでも悪魔でもない……、ウミの声だ!
弓矢を背負いなおして、休むまもなく少年は、手すりや柱にイバラを模した立派な彫刻が施されたらせん階段を、懸命に駆け上がった。
階段を上りきった石の床の上に、イチイの木の枝でできた杖が落ちていた。
白魔導士ウミの魔法の杖だ。
「ウミーッ。どこだぁ!」
と、ソラらしくない男らしい口調で怒鳴った。
ガラガラッと、石が崩れるような音がして、
「ソラ……ッ。こっちよ!」
と、苦しそうなウミの声が聞こえてきた。
ソラは魔法の杖を拾い上げて、声の方へ急いで走った。
長い廊下の先――大きな石の柱の根元に、信じられない光景がひろがっていた。
魔法の杖を失ったウミが、ライオンとも牡牛とも取れない四足の野獣に、首筋を押さえつけられていたのだ。
合成獣キマドゥラだ。
「うぁあああああああああああああああッッッ」
ソラは足の勢いを緩めずに、わめき散らした。背中の矢筒から鉛の矢を選び出して、そのまま矢をつがえる。本当は女の子の手前、さっそうと格好良く『キマドゥラ、僕が相手だ。かかってこい』と、言いたかったのだが。
ソラの魂の雄叫びは、キマドゥラにはダイレクトに通じたようで、ウミを押さえつけていた前足をゆるめて彼女を解放した。大きなカギ爪がついた前足をソラの方に向けた。
(うわぁ……、想像していたのと、全然違うじゃないか)
実際のキマドゥラの風貌は、確かにジフォッグが言っていたとおり荒々しく、獅子の頭や鋭い牙が光っていた。
しかし、右肩から無理やり生えている頭部はただの牛ではなかった。口からはみ出すようにむき出しになった大きな犬歯や、血走って狂ったように飛び出している目玉などは、もう牛ではない別の生き物だった。それに加えて尻尾の蛇も思っていたよりも胴体が長くて太い……。これは一匹の大蛇ともいえるほどでしかも猛毒だと聞いている。
その大蛇の尻尾をブンブン振り回しているので、危ないったらありゃしないのだ。
キマドゥラは、一向に足を止めず走ってくるひ弱そうな体格の勇者を見て逆上したのか、狂ったように雄叫びをあげた。そしてやおら口を開けて大きく息を吸い込んだ。
(狙い通りだ……ッ)
ソラはキマドゥラがその口から炎を吐き出すのを待った。距離を測りながら、頭を低くしてわずかに走る速度をゆるめた。ジフォッグから教わった攻略法を実行するのだ。
キマドゥラもできるだけ、ソラを引きつけたいのだろう。なかなか炎を吐かない。
そして、キマドゥラとソラの間が、あと10歩も無いという所で、キマドゥラの口の中が青白い炎の種でいっぱいになった。
(来るぞ)
ソラは突然、勢いづいた足を止めて、弓を限界まで引いた。
(狙いをはずさないように……よぉし、今だッ)
――ソラは気付いていなかった。
外見が想像以上であったのだから、能力や攻撃力なども未知数だということを。
ソラはすっかり、バレーボールくらいの大きさの炎が飛んでくるんだと思っていた。
しかし、現実は違っていた。運動会でよく見る低学年の定番種目〝玉ころがし〟の玉くらいの大きさ、の炎が目の前に現れた。
「ぅわッ」
弓使いの少年は命からがら、石廊下の脇にもんどりうって、炎を避けることができた。
とりあえず放った鉛の矢は、あえなく燃え尽きて、溶けてのどを塞ぐどころか、蒸発しきってなくなっていた。
危ない……
本当に、やられる所だった……
今さらな感想を頭に並べながら、もつれた足でウミのいる方へ走った。
とりあえずウミと合流したソラはあえぎながら言った。
「全く……効かないんだ。ジフォッグから教わった攻略法が……」
「ありがとう、ソラ。助かったわ」とウミはまずお礼を言って、顔を曇らせた。
「攻略法、役に立たなかったのね。ジフォッグは、嘘をついていたのかも……」
「どうしちゃったんだろう、ジフォッグ……」
「今はそんなことより、この化け物を倒すことを考えなきゃ」
ウミはソラから魔法の杖を受け取って、のっしのっし、と近づいてくるキマドゥラを見据えた。そして独り言のように、
「攻撃魔法――よね。防御じゃなく、攻撃、攻撃……」とつぶやいてから、ソラに言った。
「ソラ。先にアタシがキマドゥラを攻撃するから、ここで弓を引いて待っていて。アタシが合図したら〝鉛〟じゃなくて、〝鉄の矢〟をヤツの体に突き立てて」
ウミはそういうと、ソラの返答を待たずに隠れていた石の柱から飛び出した。
「じゃあ行くわよ。ワンコちゃん♪」
キリリとした笑顔のまなざしで、魔法の杖をキマドゥラに向かって振り下ろした。
「――〈ラ・シェル〉!」
ソラは、耳を疑った。
今さっき、「攻撃、攻撃」と暗示をかけるようにつぶやいていたのに……。早速、防御魔法を唱えてしまっている。やっぱり、人のクセってのは、抜けないのか?
「助けなきゃ」
ソラは急いで、鉛の矢を手に取った。ダメを承知でもう一度、ジフォッグから教わった攻略法でキマドゥラを倒そうと立ち上がった。
案の定、ウミは防御魔法〈ラ・シェル〉を狂ったように連発している。
(いつにも増して、ひどいよウミぃ……)
今まで〝こんな攻撃〟をしかけてくる戦士はいなかったのだろう。キマドゥラも面食らったのか、ちょっとあとずさり。
しかしいつものように、彼女の杖を振りかざす勢いは弱まってきた。まもなく魔力が切れて、ウミはその場で倒れこんでしまった。
「ウミッ、何やってんだよ。逃げてッ」
キマドゥラは悠々とウミを見下ろす所まで近づいた。十八番の火炎放射で、少女を焼き尽くすべく、大きく息を吸い込み始めた、そのときだった。
「ソラ、アタシは逃げないわヨ」と、血の気が通った表情のウミがにやりとソラを見た。
「キマドゥラは炎を吐く直前、息をたっぷり吸わなきゃならないのッ。今コイツは無防備よ。早くッ、コイツの体に鉄の矢を放って!」
そうなのだ。白魔導士はわざと〈ラ・シェル〉を連発して、能力のない魔法使いを演じていただけなのだ。ソラは急ぎ鉄の矢に取り替えて、弓を後方に引く。
(でも、この後どうやって、倒すつもりなんだ。鉄の矢一本くらいじゃ、キマドゥラはびくともしないよ……)
キマドゥラに狙いを定めたものの、ソラは一瞬迷った。
そんな少年の気持ちを見透かしたようにウミが叫んだ。
「ソラッ。アタシを、信じて!」
その言葉にはじかれたように、ソラは歯を食いしばり、矢を放った。
鉄の矢は、見事キマドゥラの背中に命中し、垂直に突き立った。
不意打ちに、雄叫びをあげるキマドゥラだったが、ソラの思ったとおり、倒れることはなく、四足で踏ん張りながら弓を射たソラをにらみ返した。
「やっぱり、だめだよ、ウミッ。早くそこから逃げて!」
ソラが必死に叫ぶ。
「逃げないって、言ったでしょ」
ウミははじかれたように飛び起きて、白いマントを脱ぎ捨てた。キマドゥラの獅子と牛の顔にマントがかぶさり、目くらましをくらった獣が石の床に足を滑らせた。
お気に入りの白い三角帽も「邪魔よ!」と放り投げた。
小顔に短い髪の毛が小さく揺れる。白い肩を出した少女ウミは、魔法の杖を今までになく大胆に天井へ振り上げて吼えるように唱えた。
「〈ア・ビリオン〉!!」
〝いかづち〟――雷撃魔法の呪文だ。
その瞬間、ソラはウミの立てた〝作戦〟にようやく気付いた。
天井で発生した電子たちが、キマドゥラの背に突き立てられた鉄製の矢に引き寄せられ、目が覚めるような電光石火が走り抜けた。その閃光を直視していたソラは残像で目がチカチカしてしまった。
全身に強力な電流が走った怒れる獅子は、たまらずぶっ倒れて痙攣を起こし……そのまま、むううう、と気絶してしまった。
「やったッ、スゴイ♪これ夢じゃないよね?」ウミがぴょん、と飛び上がった。チュールスカートがふわっとめくれて、一瞬だけ白い太ももを見せびらかす。
「いやーん。小さいころからの夢だったのよォ――魔法で悪を懲らしめることが♪」
倒れた獅子のそばで、キャッキャ、と黄色い声ではしゃぎまくる白魔導士の少女。
一方、唖然と突っ立っているソラは思わず、すごいや、とつぶやいた。
「やっぱり、僕は何やっても駄目だ……」
「ソラが、ゲームの中で発見した攻略法じゃない。アタシはただ思い出して実践しただけ――」
「いや、そうじゃないよ」ソラは、煙をたてて横たわる〝眠れる獅子〟を見て言った。
「僕は、気負いしすぎていのかもしれない……ヒトを助けるなんて、もともと僕みたいに弱い男がすることじゃ、ないんだ」
「サチコちゃん、のこと?」
「うん…………えぇッ、なんで知ってるの?」ソラは疑うようなまなざしで、ウミを見た。
「まさか、心を読む魔法とか、使った?」
「そんな魔法ないわよ、失敬ね」ウミはツンと口をとがらせて、言った。
「もちろん、存在しても使わないわよ――木の上で聞いちゃったのよ、偶然」
クングースカの森で、ソラがジフォッグに悩みを打ち明けていた日のことだ。
「アンタたちね、声が大きい。アタシ寝られなかったんだから」
「ご、ごめん」
「でも――」ウミは真剣な瞳で、ソラを見つめた。
「サチコちゃんは、間違っているワ」
「え?」
ウミはゆっくりと、言葉を選びながら話し始めた。
「危険な目にあったり、悩んで前に進めないこ尖ったり、傷ついたり……。そんなときに、ひとりで問題を解決できる人なんて、この世の中にはいない気がするの。
――そんなの、神話や英雄伝説の本の中だけの話よ。
ひとりで何でもやれるって思っている人だって、知らないうちに誰かの助けを借りて生きていると思うの。だから失敗したり、落ち込んだりしている人を、本当は誰も責めたりできないはずなの。それよりも、悩んでいる人が自分の大切な人なんだったら、手を差し伸べて、いっしょに協力し合って……さ。
その方が、ずっと、ずっと難しくて、大切なことなんだよ、きっと」
少女はしゃがみ込んで、白いマントを拾い上げた。凶暴なキマドゥラも、いまだに気絶したままでピクリともしない。
「このモンスターもアタシひとりじゃ、倒せなかったよ。絶対ムリだった……。
2人で力を合わせたから、できたことなんだヨ」
そう言って、ウミは、ソラを上目づかいに見上げた。
ブーツから生えたツルツルの膝が目に眩しい。
「そうでしょ、〝ベレロフォン〟さん」
悪戯っぽく笑う同い年の少女が、ソラは急に愛おしくなってしまった。
欧米人なら、彼女を抱きしめてしまう所だろう。
「――抱きしめ、て?」
と、ソラはつい自分の思いのたけを言葉に出してしまった。
視線が合ったまま、2人の間に気まずい時間が流れた――
天使が通ったような静けさをぶち壊したのは、爆音と、たくさんの瓦礫と、口を覆うほどの土けむりだった。
ソラの背後の壁は大きな穴がぽっかり開いて、ソラは頭から小麦粉をかぶったように全身まっしろになってしまった。
「いやぁ。わりぃ、わりぃ」と、大きな体をゆすって崩れた壁から現れたのは、ビッグフット――ではなく、獣人のダイチだった。
「いやぁ、〝ヒラヒラ〟が思ったより強くって手加減できなくってよぉ。ジフォッグの野郎の言う通りに首をぶった切っても倒せねぇから……面倒だから城ごと潰しちまおうと思ったら、なんかアイツ、急に姿を見せなくなったンでぇ」
そう言って彼は辺りをキョロキョロと眺め回した。
「あのサ……その瓦礫の下から、何か見えてますけど?」
感動の再会シーンを省いて、ウミがダイチの足元を指差した。
崩れ落ちた大量の瓦礫の山の中から、ラグビーボールのような黒い物体がのぞいていた。
「あ、こんなとこに」そう言って、ダイチはそのラグビーボール――多頭竜ヒドゥラの頭部を持っていたこん棒で、つんつんと、突っついてみた。
「なんでぇ、石に埋もれてのびてやがんの。歯ごたえの無いやつでぇ」
と、大柄な割には、身軽に石の床に飛び降りた。
「おぅ。おめぇらも〝キラキラ〟を倒したんだな」
と、ダイチは床の上に倒れたままのキマドゥラを見つけて言った。
彼が言うヒラヒラとは多頭竜のヒドゥラのことで、キラキラとはソラたちが倒した合成獣キマドゥラのことを言っている。念のため。
「どうしたぃ。2人とも『ようやく倒すことができました』って顔してらぁ。てぇしたことねぇな……」
がはははは、と崩れた壁の前に立ち、勝ち名乗りを上げたように笑うダイチ。
「ウミ」ソラは言った。
「問題をひとりで解決できる人――なんていないって言ってたけど……?」
「ごめん、ソラ。このおバカを忘れていたワ……」
2人が苦笑していると、上階――最上階の3階から、聞き慣れた甲高い叫び声が聞こえてきた。




