3.父親の影
「お前ら、これニセモノじゃあねぇだろうな」
ソソ村の酒場〝英雄酒場〟の店主エクトール・ガントは、多くの村民に囲まれる中で、つぶやいた。
「また同じこと言ってらぁ」
と野次が飛び、皆笑った。ガントはすでに同じ言葉を3回も繰り返していたのだ。
黄金に光るリンゴを顔の前にかかげながら、ようやくガントも不器用に笑って歯をのぞかせた。
無事、黄金のリンゴを持ち帰ったソラたち一行は、ソソ村の人々からすっかり英雄扱いされ、宴会の中心にいた。
ガントの経営する酒場には、数え切れないほどの人々が集まっていた。仕事を終えた村の商人や役人ならまだしも、女や子供、通りがかりの旅人までもが、宴会の趣旨も分からず「タダで酒を飲める」ことを耳にして店の外にまであふれかえっていた。
何しろ、誰も成功しなかった「黄金のリンゴを持ち帰る」という偉業を達成したのだ。
加えて最近は、魔王ドゥポンの邪悪な支配が迫ってきており、村人たちも気分が沈みがちであったため、その不安を吹き飛ばすかのような盛況ぶりだった。
たて琴や横笛を持ち寄り、民謡的な演奏が始まったかと思えば、男性も女性も手を取り合って踊りだす。皆が知っている歌になれば、老若男女が皆そろって歌いだし、歌い終われば大笑いする――。
狂ったようなお祭り騒ぎの中、家でも部屋に引きこもりがちだったソラとしては、もう少し静かにしてほしかったが、皆、自分たちのことを祝ってくれているのだ、と思うと、多少は嬉しくは思えた。
それはほかのダイチもウミも同じだった。
現世から離れ、突如ゴブリンに襲われるわ、気色の悪い緑色の小人が現れた、と思ったら「ここはゲームの世界だよ♪」と宣告されるわ、あげくにドラゴンに追いかけられるわで、結構大変な思いをしてきたのだ。
――〝試練の洞穴〟から、無事にソラとダイチが出てきたとき、ウミが白い三角帽を飛ばしながら、ソラとダイチに続けて飛びついて抱きしめてきた。
ゲームの世界と分かっていながらも、待っている側のウミとしても不安でいっぱいだったらしい。洞穴の中からドラゴンの雄叫びが聞こえてきたと思えば、次は塚山が地震のように揺れたりして、いても立ってもいられなかったようだ。
涙こそは見せなかったが、「生きて帰ってきて、よかった!」と、顔を赤らめる男子たちを恥ずかしげもなく、何度も何度も抱擁したのだった。
ビールやワインなどお酒の匂いがプンプン漂うお店の中で、大勢の人々に祝福された子供たちは、襲ってくる睡魔にこくりこくりとし始めた。少し離れたカウンターの席でワインをたしなんでいたジフォッグが気を利かせて、ガントに声をかけ、ソラたちを酒場の2階にある広い空き部屋に向かわせた。
殺風景だが、毛布とベッドが人数分用意された部屋で、3人はホッと息をつくことができた。眠気のため、ほとんど会話も無く、寝床につく。
ソラは「おやすみなさい」と言うと同時に、すやすやと眠りに落ちた。
ウミは「シャワーを浴びたいわ」と苦情を言いつつ、男子から少し離れて横になった。
ダイチは「もっと食いてぇ」と、すでに寝言をつぶやいていた。
それでも空腹は充分に満たされたのだろう。洞穴で拾った赤いリンゴは彼の胃に入ることはなく、半ズボンのポケットにおさまったままだった……
夜が明けるころまで宴会は続いた。1階から湧き上がる音楽や笑い声にも目を覚ますことなく、子供たちは川の字になって朝まで熟睡した。
翌朝、出発前にジフォッグを含めた4人は、約束どおり黄金のリンゴと引き換えに〝黄金の手綱〟を手に入れた。黄金の手綱は酒場の裏手にある馬小屋の中で、作業道具と並べて無造作に引っ掛けられていた。
「普段はこんな所に置いているの?」
とソラたちが仰天すると、ガントは悪びれる様子も無く、
「馬に使うもんだからな、〝手綱〟ってのは」
と、赤ら顔で笑った。
「――では、そろそろ我々は出発します」と緑色の案内人ジフォッグがガントに一礼。
「いろいろお世話になりました」
「いいってことよ」
朝焼けが村をほんのり赤く染め始め、心地よい西よりの風が肌に吹き付けていた。
大騒ぎしていた大人たちはいなくなり、家路に、または宿泊する宿に帰ったようだ。酒場は酔いつぶれて動けなくなった村人たちだけを残して、すっかり静まり返っていた。
「最後に、あの件のことですが……」
と、ジフォッグがガントを仰ぎ見る。
「そうそう、忘れる所だった――お前さんたちが探している〝無常の果実〟のことだったな……」
昨晩、お祭り騒ぎの大宴会の中にもかかわらず、ジフォッグはガントに頼みごとをしていた。酒場に集まった人々から魔王ドゥポンを倒すためのアイテム〝無常の果実〟について情報を収集してもらっていたのだ。
「皆、〝ヤツ〟には大迷惑してるからな……、だから協力的ではあったんだが」と、悔しそうにガントは言った。
「残念ながら有力な情報は無かった。俺も魔王ドゥポンには恨みがある……いつも仕入れているブドウ酒が品切れなんだ。西方にある畑でしか収穫できないブドウからしか醸造できない至極の一品なんだが――ジフォッグ、ワイン好きのあんたに飲ませたかったよ――、ヤツのせいで畑は壊滅……農場主も逃げ出して、居場所も分からん、ときてる。
その無常の果実ってやつがあれば、俺がヤツを倒しにいくね」
「ガントさまは、無常の果実について、なにかご存知ではないのでしょうか」
「そうだな……俺自身も昔、遠く北の果てを旅していたころに聞いたことがある。それは北の荒地に暮らす放牧民たちの伝承でな。彼らの先祖から代々伝わる詩歌の中で、闇の子サターンが守護しているやらなにやら……と、歌っていたな」
結局、無常の果実については何も分からないまま、ソラたちはソソ村をあとにした。
ガントだけが村の門から勇者3人と緑色の小人を見送っていた。
一番最後を歩くソラは、小さな背中に大きなリュックを背負っていたので、遠ざかると体が隠れてリュックだけが縦に揺れているように見えた。
その少年が豆ほどの大きさになったころ、こちらに向かい、走って戻ってきた。
どんどん豆が大きくなって、酒場の店主の目の前に息を切らしたソラが立っていた。
しばし無言だったが、ガントは何も言わず彼の言葉を待った。
「あ……あの……」うつむいたまま、ぼそぼそとソラは言った。
「昨日は……お昼ご飯と……夕ご飯……あ……ありがとうございました……」
「それは、さっき聞いたぜ。わざわざそれを言うために戻ってきたのか、少年?」
ガントが苦笑いすると、ソラは背後からガサゴソと黒いものを取り出した。リュックにぶら下げた食器類がカランカランと音をたてる。手にしていたのは、ガントから腹の足しにと、皆に持たせてくれた保存食で、干したくん製のベーコンだった。
「あ……あの、これも……」
ソラは顔を上げて干しベーコンを手に、パクリ、とひとかじりして見せた。
目を丸くする、ガント。
「あ――ありがとうございました。お、おいしいです」
「おいおい。それはな、保存食といって、食べるものが無くなって困った時に食べる非常食なんだぜ。いま食べてどうするんだよ」
「……」
もぐもぐと口を動かしながら、また黙ってしまうソラ。
「いいんだよ、冗談だ」
ガントは二重あごを引いて、にやりと笑って見せた。
「……」
無言のまま、うつむく少年。
ガントは酒焼けでかすれた声で静かに声をかけた。
「俺もがんばるから、お前もがんばれ」
「……」
「早く行かないと、仲間に置いて行かれるぞ」
ソラは干しベーコンのかけらをぎゅっと握りしめて、上目遣いで大きな体のガントを見上げた。そして、声にならない声で「うん」とうなずいた。
「ばかやろ……ッ。早く行けよ」酒場の店主が悪びれた口調で言った。
「魔王ドゥポンを倒すまで、帰って来るんじゃないぞっ。それが今、お前さんのやるべきことなんだから」
ソラは再び「うん」とうなずき、こみ上げる何かを抑えて歩き始めた。
ガントは、少年の背中に言葉をぶつけた。
「行けッ。男に――真の英雄になって、帰って来いよ!」
朝陽に照らされて金色に光る少年の背中が、以前よりも少し大きく見えた。
――酒場に戻ると、酔いつぶれて眠っていたはずの村びとたちが起きだしていて、カウンターテーブルの上に無造作に置かれたままの黄金のリンゴを取り囲んでいた。
店の入り口に立つガントの気配に気が付き、男がひとり、群集をかきわけ近づいてきた。
「おい、ガントのだんなっ。みんなで分け合って食べようぜ。このリンゴを食べると、不老長寿を得ることができるんだろ?」
例の常連の男が悪魔に取り憑かれたように、らんらんとした目を輝かせて言った。どうやら彼が率先して、村びとたちを誘惑したようだ。早朝だというのに、またどこからともなく徐々に野次馬が集まってきていた。
干しベーコンを握りしめる少年――ソラを思い浮かべたとき、ガントの脳裏に遠い少年のころの記憶がよみがえった。
『――ガント、人間はいつも神から試されて生きているんだ。それを忘れちゃいけない』
それは、今は亡き父の言葉だった。
『恐れることはない。今、やるべきことをやればいいんだ、ガント。それだけで神はいつもわれわれを守ってくださるんだよ……』
すっかり忘れてしまっていた。
大好きだった父との思い出――
「オヤジ……」
ヒビが入った食器棚のガラスに映りこんだ自分の醜態を見て、先ほど自分がソラに投げかけた言葉を思い起こしていた。
「お前さんのやるべきことなんだから――、か。このなりで、よくも言えたもんだな……」
ガントの耳に、男が興奮してまくし立てる声が入ってきた。
「……で、所有者であるガントのだんなに、決めてもらいたいんだよ。誰が黄金のリンゴの分け前をいただけるか……、すなわち、不老不死になれるのか、だッ」
「――俺に、話しかけているのか?」
「だんなァ……しっかりしろって。二日酔いかい?」と、面白くも無い自分の言葉に空笑いしてから男が言った。
「もちろん、私には権利があるよな。いつもこの色気も無い酒場に毎日足を運んでいるのだから……。あとは、このリンゴを何等分できるか、だな……。小さくなりすぎて効力がなくなっちまったら、意味が無いし……、どう思う?だんな」
ガントはもう一度、食器棚に移る自分の姿を見つめながら言った。
「アダムとイブの話は知らねぇのか、お前たち」
「……なんだい、だんな?この期に及んで聖書の説教かい?」
男の言葉に、取り巻く村人たちが下品にゲラゲラ笑った。
むやみにテーブルをたたき、地面を踏み鳴らす者もいた。
皆、〝永遠の命〟に目がくらみ、取り憑かれたように粗暴になっていた。
――が、一瞬で皆の目は覚めた。
がごっ
鈍い音がして、気が付くと常連の男は5m以上先へ吹っ飛んでいた。はずみで倒れた椅子やテーブルにうずもれて、酒場の床の上で男は気を失っていた。
「欲……かいちゃ、いけねぇんだ」
ガントが凄みのあるしゃがれ声でつぶやいた。
「俺たちはただの人間だ。今日もやるべきことをやるだけだ。
みんな……自分の仕事場に行ってくれ。そんで、いつものようにたくさん働いて、また帰りにビールを一杯飲みに寄ってくれ。それだけで、いい」
村は静まり返り、
悪魔は去っていた。




