15.女子会
さらさらさらと、水の流れる音がする。
それに加えてとても甘い香りがしたから、俺は怖がらずに目を開けられたんだと思う。
「こ―――こ、って…」
どこなんだ。
辺りを見回すと、俺の目の前ではリンゴが実っていて、冷たくなった片足は小川に突っ込んでて、背後では木苺が実っているのを確認した。
穏やかな風に撫でられて揺れる木々、そして可憐な花々から薄桃の蝶がの優雅に舞い上がるのを見届けて、思った。……天国って、こんな所なのかな。
張りつめた糸が緩み、俺は疲れた体を倒してまた大の字になったんだが、数分もしないうちにまた起きる事になる。
「……あれ、君、こんな所でどうしたのー?」
先程ひらひら飛んで行った蝶を従えて、男の柔らかい声が―――上から。
固まった俺の視線の先で、薄い青と緑、光の加減で桃にも紫にも見える繊細な羽が、妖精の羽が――もう一度言おう、妖精の羽が。
俺と歳も背も近そうな「男」の背に生えて、ぱたぱたと、飛行。
………。
「迷子さんかな?此処は一般公開されていないのだけど…」
うーん、と首を傾げる「男」の妖精(言ってて何か虚しくなるな…)の格好は、ひらひらしている。
その上着は端が薄い青に変わる、地べたについても余るほどに長い、白のコート。
ボタンはたぶん全部真珠で、コートの首元の留め飾りは繊細な青緑色のリボンに真っ青な薔薇だ。
その服装―――少しだけコートから見えるネクタイにも、肩から垂れ下がる飾りも、腰から下が優美なコートの流れが人魚姫の尾のようなデザインのコートの至る所にも、花と真珠、水晶に銀の十字架が下がっていて、…どうやら男は高位にして神聖な存在のようだ。
……ただ服装はもとより、喋らなければ女の子にも見えそうな甘い顔立ちや優しげな雰囲気のせいか、威厳は感じられない。
そのまま視線を上げれば、前髪にも花のピンが留められており、全体的に少し毛先が長い黒髪は綺麗だった。
髪飾りは他にもあり、まず耳の後ろに桃色の花飾り、頭上にはちんまりとした王冠があって、黒髪に映え―――…王冠?
(……どこかの…王族?妖精の羽もあるし……あ、アレか、妖精の王様!何かそんな感じ!)
じーっと失礼にも観察を続けると、服にもよく使われている青と緑が混じった、不思議な色の瞳に魅入られた。
……何だろう、宝石で例えるのが申し訳ないほどに綺麗だ。
その煌めきは、繊細な硝子細工で造られた花弁みたい。―――砂糖と、素敵なものだけがその瞳に詰め込まれてる気がする。
俺は悪意も邪気も感じられない――無垢で穏やかなその瞳と、ずっと俺の返事を待ってくれている姿に安堵して、できるだけ柔らかい表情を繕って口を開いた。
「あ、あの……すいません、えっと…ラビ―――」
(―――待て。)
唐突に、俺の心のどこかで、「言うな」と何かが止める。
何でだと、躊躇した自分に反抗するようにもう一度口を開いたけど、本能が俺の唇を縫うように沈黙を選ぼうとするから言葉が続かない。……俺は諦めた。
―――まあ確かに、初対面の人間(あ、妖精?)に「勇者でーす☆」とか言えないだろう。おちょくってると思われること確実だ。
まだこの世界の事情に疎いから、下手に嘘をつかずに誤魔化した方がいい。
「…その、旅の途中で、仲間とはぐれてしまって…何か、ええと、何て言えばいいのか分からないんだけど、変な迷路に入ってしまったら魔物に襲われて、よく分からないうちにこんなところに……」
だいだい合ってるし、これでいいだろう。
男は俺の話に「え、」と驚いた顔をした後、何故か悲しそうな顔をした。
「…そうか…それは"ラビリンス"だろうね。怖かっただろう?
ごめんね、ラビリンスで遊ぶ子たちは皆、おか…先代の魔王が気合を入れて創った者だから、こうして"普通なら行けない"所に連れて行っちゃうんだ。
此処に出るって事はよっぽど力の強い子に当たったんだろう……怪我は?」
「え、あ…無い、です…ていうか、詳し―――いや、俺が無知なだけなのかな?」
そういやモールも知ってる風だったし、頭の良い奴なら常識なのかな。目の前の妖精の王様(多分)だって知っててもおかしくないのかも。
「ああ、そうだっ」
何とも言えない気持ちでいると、手入れの行き届いた手が差し出された。
左手の薬指に指輪―――既婚者なのか?
「ねえ、甘いものは好き?帰り道が見つかるまで、俺とお茶を楽しみながらお喋りしようよ!」
「よ――喜んで!」
べ、別に食い物に釣られたわけじゃないんだからね!
*
【"彼"の彼女】
「く…にみつ、くん……」
「…文…その、ええっと…も、モールぅぅ…」
「元気出してくださーい」
「あんたねぇ!?」
「………」
「………そうだ。」
「「「ん?」」」
「このラビリンス、全部壊してしまえば。国光くんが帰って来るかもしれない」
「…お、おう…」
「いっ、いえ、あの、文?このラビリンスは神器に等しい魔法具でね、いくら毛玉でもラビリンス自体の破壊は無理ですわ。ラビリンスの核を壊さないと…」
「それこそ、竜でも召喚出来たら一発かもしれませんけどねー」
「………」
「「「………?」」」
「竜…竜か。よし、そうだ、竜を出そう」
「いやいやいやいや!!気楽に言うんじゃありませんわ!竜なんてどんだけ面倒な存在か分かってますの!?あいつらは下克上を平気で―――」
「調教すればいい。僕の命令に喜んで従うように」
「ぇぇぇ…」
「…なんつーか、先代魔王みたいになってきましたぁねぇ…」
「そうと決まればこのハープも持って行こう。魔力切れたら使おうか」
「文お嬢さーん、それ反則行為ですよー。ていうかね、ハープなんてクソ重い物を女の子が持てるわけ―――えぇぇぇぇぇぇ毛玉が引っこ抜いた!?」
「まあ…流石、勇者の使い魔…」
「そんなんありなんですか、ちょっと」
「…じゃれ合いはそこまでにして、さっさと先へ進まないか?あまり時間を浪費すべきではない」
「ああ、そうだね……。僕の恋人を拉致しやがった糞野郎め。見つけ次第、竜に踏まれて死んでしまえばいい」
「文、言葉遣い言葉遣い」
*
「ふぁぁぁぁぁ何これうめぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「でしょー!美味しいよね、ベリーの味が丁度いいの!さあさあ梨のタルトもどうぞ!」
「うまっ!うまっ!!」
「ふふふ。あ、そうだ!ムースケーキはいかが?クラッシュゼリーは?」
「む、むーふ!」
「たんと食べてね!」
―――俺たちはあの小川から少し歩き、休憩用なのかお茶会用なのか分からんけどティーセットの揃った此処にやって来たわけで。
天井に桃色の藤の花が垂れる東屋で、白いテーブルクロスに負けないくらいの白い薔薇、玩具みたいに可愛らしい茶器にお菓子にケーキにフルーツを広げてガッついている。
東屋の周囲の花は桃色の物が多くて、でもうんざりしないのはちょこちょこと生えている目に優しい黄色や薄い青の花のおかげだ。それも全て芸術的に植えられている。
ちなみに、このお茶会のバックミュージックを担当しているのは野薔薇の巻きついた白のピアノやハープやらで、奏者は小さな妖精の女の子たち。
みんな遊ぶように、踊るように弾いているが、とても綺麗な演奏だ。
そして演奏に合わせて湧きあがる噴水は何か綺麗なのがキラキラ沈んだり舞ったりしていた。……温室らしいけど、随分と金かけた所だなあ。
「―――今日の紅茶はね、マスカットフレーバーにしてみました」
「ま、ますかっと…?」
「口に合うといいなあ」
わざわざ妖精の王様にお茶を淹れて貰ってるんだが、何か物凄く悪いことした気分だ。
でも本人はとても嬉しそうだし―――このパンっぽいのうまっ!
「はむっ、むぐぐ……」
「ふふ、こんなに食べてくれると作り甲斐があるなぁ…ねえ、此処に住まない?」
「へ!?」
「だってねー、せっかく作ったのに陽乃ったら『太らせたいの!?』って言って小鳥が啄む程度にしか食べてくれないんだもの…君みたいにたくさん食べてくれると嬉しいんだ。―――あ、そうそう、お土産に包もうか?」
「えっ、あ…じゃ、じゃあ…」
「じゃあ君の分と、……お友達用かな?それとも恋人さん用?それによってラッピング変えるけど…」
「こっ…お、お友達……びと用!」
「え、ごめん、何て―――わあ、顔真っ赤だね!」
「――~~~ッ」
「ふふ、もしかして彼女さん用かな?そうなのかなー?」
「……う、うっせー!バーカバーカ!」
「馬鹿って言った人が馬鹿なんだよー!…ねえねえ、どんな子?可愛い?」
「え?…う、ん……いや、男前です」
「へー!…あのねあのね!実は俺の恋人の陽乃もとっても男前なんだよ!だけど美人で可愛いの!寝顔は妖精さんみたいなんだよ!」
「お、おぅ…その人とは、もう結婚…?」
「ん?まだだよ?今は婚約中」
「ほぉー」
「ねえ、その彼女さんは男前で他にはどんな感じ?何が得意?」
「不思議な感じ…あ、絵が上手い」
「へぇ!どんな絵を描くの?」
「人物画で賞をとったって…聞いた」
「……見てないの?」
はい、見てないです。
落書きなら見たことあるんだけどな。昔の記憶だと…クラスでも結構群を抜いて上手かったような…。
「じゃあ、もし今度会えたら、俺と陽乃の絵を描いてくれるかなぁ」
ふにゃ、と妖精の王様が笑う――のに、クレヨンを握る文の記憶が途切れた。
俺は「うーん」と首を傾げ、
「…あいつじゃなくても、あんたならすっげー画家呼べんじゃねーの?」
「……うーん、実は…画家が…いなくはないんだけど、来てくれないというか何というか。描くとしてもすっごく仰々しい感じになっちゃうんだよね。だから素朴な感じ…ていうと失礼かな。見てて落ち着くような絵が欲しいんだ」
「ほー…今度聞いてみる」
「うん!」
男の俺が王様にこういうのもアレだが、王様の笑顔って可愛い。
……これ、文に言ったら俺はどんな目に遭うんだろうか……。
「早く見たいなぁ……そしたら、もし俺が彼女を置いて逝ってしまっても、きっと寂しくないもの」
「……おい、その若さでもう死ぬこと考えてんのかよ…」
「いつ死ぬかなんて、神様以外分からないものだよ?」
「…自分が置いていかれる心配はしてねーの?」
「ありえないもの」
笑ってるのに、目だけは凛としている。
さっき可愛いとか思ってしまったが、この顔を見て「あ、こいつも男だわ」と考え直してしまった。
「大事な恋人だもの、死んでも守るよ。どんな汚いことをしても……絶対」
「……なんつーか、その、…純愛結構だが、お前その彼女が"残された"後のこと、考えてる?」
「そこは俺の我儘だね、きっと悲しむだろうけど…俺が死んでも、少しでもこの世界が安らかなものであるように、俺の創った物で埋めてあげたいんだ」
「ふーん」
「……でも陽乃のことだからなー。力尽くで無理を押し通しそう」
「押し通す?」
「"魔女"を探しだして死者復活を頼むとか」
「魔女―?魔法使いとは違うのか?」
「うん、魔法使いは結局、詠唱によって精霊に協力して貰ったりとか神様の力を術式によって人間でも扱えるようにしたりとか、そんな程度しか出来ないのだけど―――魔女はね、自分で作るのさ」
「魔法を?」
「そう。この世界の神様や精霊に頼らない。"全て自分で作る"のさ。
……ただ、別格の存在だからそうそう至れないものでね、"魔女見習い"程度ならどの世界にも数人はいるらしい。
見習いレベルでもかなり上位の存在なのだけど、未熟ゆえに何かしらの代償を被っているんだって――俺の知り合いの魔女見習いさんが言ってたよ。その通り、彼女は身体がとても弱いから外には一時間もいれないし、長期戦には向いてない人なんだ」
「ほー…」
「正式な魔女というのは、"別格"過ぎて一つの世界に長く居れないから、それこそ捕まえるのは難しいそうだよ……でも、陽乃だからなぁ…。――どんな手を使っても、魔女を捕まえてしまうかもしれないね。きっとその時の陽乃の顔は、獲物を咥えた猫みたいに可愛らしいんだろうな」
「…どーだか。もしかしたら下種な顔してるかもしれないぜ」
「むっ、そんなことないよ!彼女はちょっと我儘だし意地悪な顔もするけど、でもとってもとっても優しい子なんだからー!下種な顔なんてしないよ!しててもきっと可愛いよ!――だって陽乃以上に愛らしいひとはいないんだから!」
「お、俺の文だって優しいし!すっげーし!何でも出来るし!たまに意味不明なことをしでかすが可愛いぞ!」
「陽乃は髪の色がとっても綺麗なんだから!猫舌で可愛いんだから!」
「文なんて髪がふわふわしてるし!熱い物なんかやろうと思えば一気飲み出来る格好良さまで備えてるんだからな!」
……あれ、何か話がおかしいことになってるような……。
*
「―――大変だ。召喚したはいいものの、従ってくれない」
「だから言いましたのよ――!どうしますのよ!どうしちゃうんですの!?」
「困ったな……そうだ」
「え?」
「毛玉、あの竜をとりこんでしまうんだ。そうすれば問題も解消する」
「んなっな―――!」
「いやいやいや!!何を言ってますの毛玉を殺したいんですの!?ってひぃぃぃぃぃ!?」
「幻覚見せてから喰いつくとは…エグいですなぁ」
「しょうがないだろう。これも国光くんのため………さあ、竜に生まれ変わった毛玉―――いや、ドラ玉!全てを燃やすんだ!!」
「んごぁ―――!」
*
恭ちゃん⇒どこの人間の男の子かな?
国光くん⇒妖精の王様マジでやっべー
文ちゃん⇒ドラ玉と現在絶賛破壊活動中
陽乃さま⇒???