10.揺れる僕ら
妖精とは本来、ひとつの種であった。
が、ある「事件」を機に二つに分かれた――闇と光に。
そのどちらも、時を経て環境の変化からさらに分岐し、魔界と人間界、もしくはその境で生きている。
―――その片割れ、魔界の妖精族は魔界でも「美しい」ところに棲んでおり、その一つとして魔王城の温室がある。
今の魔王の力により、薄暗い魔界において数少ない陽が差す場所――幻想的で美しいその温室の管理を、有力な妖精族の娘が担当している。
今、陽乃の目の前でくすくすと笑い合いながら花の面倒を見ているのも、小型の妖精族の娘だ。
その姿は清楚で優雅なドレスと口調――まさに「お伽話の存在」なのだが、その本性は人間の旅人を誘惑して殺したり、エロ同人的なことをしたりするビッチである。
危害を加えない「人間側妖精」はさっぱりした服や粗野だったりする者が多いため、人間はよく間違えてしまうのだ。
―――ちなみに、今の魔王…恭の父方の祖母は「泉の乙女」の育てた花を愛でる大妖精。容姿だけはビッチと同じく優雅でふんわりしているが、中身は箱入り娘と変わらない数少ない一族。
人間の恋物語に登場してくるのもこの種であるせいか、無知な人間ほど魔界の妖精に引っかかるのだ。
だから、その血を引く彼がふわふわ砂糖菓子みたいな魔王であるのはおかしいことではない。
だから、彼が無邪気に妖精どもとじゃれ合ってるのもおかしいことではない……?
「いいえ。バリッバリおかしいわ―――ええおい、浮気…してんじゃねえええええええええええええええええええ!!!」
「痛いぃぃぃぃぃ!?」
「おいふざけんなよてめー、もう一回顔上げろ、今度は往復だ」
「え、え、なに、俺、なにした?」
「ビッチに囲んでもらって!ニヤニヤ!してる肉欲まみれの魔王です!って言ってみろオラぁ!」
「ひぃっ、怖……お、俺そんなことしてない!陽乃にあげる新種の花の面倒よろしくって言ってただけ…」
「じゃあほっぺキスはどういうことだおらぁぁぁぁぁ!!」
「寝技はやめて!寝技はやめてぇぇぇぇぇ!痛いことしないでぇぇぇ!!」
「…チッ、」
「…!…ひ、ひの…キャ―――――!!」
「生娘みたいな声出しやがって。この無駄にゆったりして如何にも『妖精です』臭漂わせる服なんざビリビリにしてやんよ…!」
「らめえええええ皆が見てるのぉ……!」
「ほらぁ!魔王様の神聖な御身体見せつけてやろうや!」
「いやああああああああ!!」
「……何やってんですかアンタら…」
声だけ聞くとアレ過ぎるが、本人たちは子猫よろしく(最終的には)じゃれ合っていた。
ビリビリにされたのは背中やら袖ら辺で、陽乃は抱きついて「ビリィィィ」としているだけ―――しかし妖精たちはその「ビリィィィ」が自分たちの身体でされそうなので花の陰に引っ込んでいた。
そんな魔王夫妻に声をかけたのは陽乃の下僕である蝙蝠の「コロ」。
主に蔑んだ目で「コロデブが」と言い捨てられ我儘を言われても文句も言わずに願いを叶え、時に足置き代わりを務めているのは、あんなんでも陽乃を主と慕っているからに他ならない。
なんせ飢死にしかけたところを助けてもらったのだ。その後食べ過ぎで死にそうという大変贅沢な気持ちも味わせてくれたし、恩があり過ぎる。
「あーあ、恭ちゃんは不倫なんてしないと思ったー」
「しないしっ、好きな人以外を好きになっちゃいけないんだぞ!」
「魔界じゃ普通じゃん。なら王様の恭ちゃんだってそうじゃん」
「俺は愛妻家だもん!定時に帰って陽乃とご飯食べて一緒に居るのが今後の予定だもん!」
「魔王が定時に帰って許されると思ってんのかぁぁぁぁぁ!!」
「らめぇぇぇぇぇぇぇ!」
コロが丸っこい身体を左右に転がしている間に、破れた背中を気にせず陽乃をぎゅうっと抱いていた包容力あり過ぎる恭は今度は正面を思いっきり破かれた。
それでも悲鳴だけで済ませる彼は魔王じゃ無くて神様レベルに寛容だ。
(…素直になればいいのに……)
―――浮気を毎回疑う陽乃。
本人は「あの子ぼんやりちゃんだから、変な女に引っかからないように私がしっかりしないと」だの何だの言っているが、魔族では珍しく側室を嫌っているのだと何故か頑なに認めない。「浮気してんな」とすでに口走ってるのに何故か認めない。
基本的に、魔界では女も男もただ一人の誰かに固執せず、むしろ男であれば女は多いほど良いという風潮。たくさんの女を侍らせ、その上で優雅に微笑む正妃は立派と言われ、どうあっても正妃にはなれない側室達の嫉妬が心地よいと本人たちも言う。
まあ、女の本音としては正妃・本妻になれるほどに位が高い女は自ら男と浮気をするから気に留めない、が大きい。
身分の低い側室・妾たちとしても、女に人気な男に求められるのは光栄であったから、先代までこの考えは揺るがなかった。…のだが。
『ぼく、きみがそうしたいなら、我慢するよ』
『だけど、心の片隅でもいいから、ぼくが今この瞬間も君を想ってるってこと、忘れないでね…』
と、美少女みたいな王子が悲しそうに前魔王に言った時より、姫君に黄色い声をあげられるのが常の魔王は王子一直線。
それ以来、「愛妻家」という存在が、もう哂われる事は無くなった。魔界でも認められたのだ。
「愛妻家」代表の前魔王の子だから本人もまた「浮気はいけないこと」と人間に近い意識を持っている。……が、天然過ぎて女が意図して近寄って来ることに気付いていない。妖精にキスされたなんて本人からしたら飼い犬に頬を舐められたようなもんだ。
「ほら、ごめんなさい、は?」
「うっ、うぅ、ごめんなさい……」
「一番好きなのは?」
「陽乃!」
嫉妬深い陽乃――だが、特に想いが移ろいやすく、築いたハーレムの人数の多さを競うような吸血鬼の一族であるゆえに、公式の場で「側室禁止」と言えない。
吸血鬼にとって「一途」なんてものはどんな時代であっても変わらず……言えば、哂われる対象なのだ。
だから陽乃は、恭の口から「陽乃だけ」と言わせ続けている。
「…素直に言っちゃえばいいのに」
「あん?この団子みたいなデブがっ」
「陽乃、そんなこと言っちゃ駄目だよ」
素直に言わないと、恭には伝わらない。
なのに陽乃は誤魔化して、自分が不安と嫉妬で押し潰されそうになっても彼に助けを求められなかった。
その度に恭が気づいて、そっと抱き寄せてくれるから――平気だと、振る舞って来たけれど。
陽乃はそれでも、不安だった。
「魔王様!お花を……あっ」
「ミュシャ、おかえり……どうした?」
……よりにもよって、新入りの妖精が小さい花をスカートに乗せて飛んできた。
(どうしたのじゃなくてぇぇぇぇぇ……やめて、主は最近ストレスでよく寝てないし食べてないのぉぉぉぉ……!)
コロとしては恭が女を侍らしても構わないが、主を想うとこうして胃を痛める結果になる。
さっきまで膝の上でイチャイチャしていたのに、恭は陽乃に向けていた笑顔を妖精に向けてしまった。
陽乃が泣きそうな顔になったのも気付かず、「婚約者様とのお時間を邪魔して申し訳ありません」とわざとらしく涙目で言い、「気にしないで」の一言を求める妖精の腹にも気付かず、恭はにこにこと、
「気にしないで」
「…お、お優しいのですね、こんな新入りでも……私、だから魔王様のこと……」
「俺のこと?」
「ふふ、いやですわっ」
「え、どうしたんだい―――」
(もうやめたげてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!)
コロは陽乃が泣きそうな雰囲気から沈黙に入ったのに内心叫んだ。
魔王の側室狙いの女は多く、それらの全ては陽乃が側室を嫌い、同時にそう言えないことを知っている。
しかしその女どもの四分の一がすでに陽乃の手でイチャモンつけられた後に粛清されている。四分の二はそれ以来大人しいが、四分の一は魔界の勇者であった。
小妖精と言えど人間サイズには薬や魔法などで一定時間なれるし、魔王が妖精の血を引いているから、妖精族には特に親しい。今のように恭も無防備であることが多い―――つまりだ、すっごいチャンスなのだ。
しかし向こうは同時に、名前やらなんやら覚えて貰っても、彼の特別になれないことを分かっていない。現在草や花に隠れている年上の妖精たちは分かっているけれども。
「ねえ、陽乃。この子って陽乃と同じ髪色なんだよ」
―――その発言に、陽乃は一気に目が冷えていく。瞬きの後にはそれが消えて、「あら本当」と言った。そして、コロに一瞥をくれる。
「………私、もう部屋で休ませてもらうわ」
「えっ、……ど、どうかした……?」
「疲れたの。昨日寝てないし…だから部屋に来ないでね」
「ちょ、陽乃ー!」
恭は「待って―!」と妖精を置いて陽乃を追いかけ、野薔薇が蔓を伸ばす温室の扉前で痛すぎるビンタを食らった。尻餅を着いた隙に恭を置いて去った陽乃を、恭がしつこく追いかける。
閉まる扉を睨む妖精に、先輩の妖精は叱りつけていたけれど……。
*
サンの国に着いた。
―――だが、そこで滅茶苦茶な戦闘の際に馬車の一部が壊れ、現在修理中だ。
どうやら時間がかかるらしい。
だから各々が休息か鍛練に励んでいる。俺なんて「女性でも大丈夫!護身術講座!」に通って三日目だ。……あ、あと女神様が「こいつらアカン」って思ってくれたのか動体視力が上がった気がする。身体弄られてる気がして嫌だが、生きて水族館に行く為にはしょうがない。
ちなみに現在は腕立て中。一応向こうでもこの程度の筋トレならしてたんだぜ……なんせ女子高生と老夫妻と俺しか住んでないからな、何かあったら俺が頑張らないといけないだろ―――……もう駄目ぇぇぇぇ死ぬぅぅぅぅぅぅ…!
「きゅ―――休憩ぃぃ!」
ばたん、倒れ込んだ床が気持ちいい。
俺は仰向けの大の字になって身体を冷や………
「んっな゛あああああああああああああああああああああ!!」
「ビーム吐きながら入ってくんなぁぁぁぁぁぁ!!!」
ばんっと扉を叩きつけ、わんわん泣きながら(最近感情豊かだ)ビームを吐く毛玉……え、ちょ、マジで死ぬ。俺は叱りつけようと口を開――いたが、その前に毛玉が力尽きた。
電池切れの動くぬいぐるみみたいに、ぐすぐすと泣きながら床に倒れ込んだ毛玉は「ん゛なぁぁぁん゛なぁぁぁ」と鳴いたかと思えば床を両の手でばしんばしんと叩く。大荒れである。
「毛玉、おいどうした。文に虐められたのか?」
「ん゛っ」
「…え…マジか…?何されたんだ?」
「………」
「けーだーま、黙ってても分かんないから」
「………」
「…しょうがないな、ほら、文の所行くぞ。仲直りさせてやっから」
「んな゛っ!?」
そう言うと毛玉は慌てて部屋から逃げ出そうとする。
パッと走り出す前に首根っこを掴むと、俺はジダバタ暴れる毛玉を摘まんで文の部屋を開けた。
「「「…………あ」」」
―――その瞬間、鉄臭さと赤。桃色の内臓が見えた……って何でだぁぁぁぁぁぁぁ!!
俺の目の前、スプラッタ部屋では文がその汚れを一生懸命落とそうとしてて、最近では文と名前を呼び捨てしあう仲の姫様はベッドの上でドン引きしてた。周囲には魔導書、安い魔力の籠った宝石が散らばってるから、毛玉と特訓してたんだと思う。
最近は文とたくさんビームの練習をして、今では弱ビーム十回は出せる。疲れても宝石を食べさせて充電させているから、毛玉は毎日気持ち良さそうにビーム出してる……しかし、この死体は?
俺が固まっていると、姫様がそろそろと口を開いた。
「…その、召喚の練習をしていましたの。その…子を、だいぶ使役出来てきたし、新しい手札を用意してもいいかと…わたくしの考え通り、新たな子を召喚出来ましたわ」
「お、おお……凄いじゃねーか…」
「現れたのはピンク色の小熊…新種のモンスターかしら?と思っていたら……」
ピンキー熊とかちょっと見てみたい、が。
俺は口籠る姫様から文に視線を移すと、文は拭くのを止めて、しょんぼりと教えてくれた。
「その、いきなり会わせるのはよくないと思って毛玉を隔離しての召喚だったんだが……毛玉…その、どうやったのか影から見ていたらしくて、僕らが小熊を抱き上げて騒いでいたら、唸り声を上げて、その……」
「惨殺!?嫉妬に駆られて惨殺しちゃったの!?」
「う、ん……思わず固まってしまった僕達の前で、食べ始めて…だけど我に帰った僕が叱ったら、泣きながら君の部屋に……追いかけたかったが、血を何とかしないと宿の人に怒られるだろう?」
―――毛玉は最近、文にべったりだ。
文もモールに注意されても、毛玉を毎日風呂に入れてわざわざ文の手で綺麗にしてやったりとかどんな時でも膝の上に乗せてあげたり、お菓子あげたり、ご飯時も食べやすいように取り分けたり、もう自分が産んだ子供の面倒見てるように甲斐甲斐しくて……。
俺にも四六時中くっついてくるが、文が何処かに行けばそれに慌てて付いてく。寝てても慌てて起きて……んで、文の足にすりすりしてるんだ。そこら辺は子猫と同じく、今は甘えたい盛りなのかもしれない。……そう、モールの注意を無視してきたツケがこれだよ!
自分の居場所を奪うからと問答無用で殺しにかかり、捕食とか……「お前……」と摘まんだ毛玉を見れば、身体を丸めてびくびくしている。文に叱られたのは初めてで、多分怖がってるんだろう。
「毛玉、こっちに来なさい。お話があります」
「お話ってオイ」
「さて、掃除の魔法はっと…」
「姫様なんか逞しい!!」
「――――んな゛あっ」
ようやっと落ち着いたらしい姫様が慣れた手つきで魔導書を捲るのに突っ込んだら、隙を窺っていたらしい毛玉が俺の手を叩き、閉めた扉のノブにジャンプ。
そのまま器用に開けると、「な゛ああああん」と鳴きながらどこかに―――家出した!?