第7話 終わりなき競争
夏の日没は遅い。二十時なのに、薄っすらと明るい。
キュルキュッキュキュウ ズドドドドバラッバラッバラッバラッバババッ!
俺はRX‐7のエンジンをかけた。とんでもない爆音。今回はエンジンパワー重視の為、マフラーのサイレンサーを外していた。ロータリーエンジンは構造上排気バルブが無いから、爆音の音量も桁違い。暴走族なんて目じゃねえくらいの爆音。
「お兄ちゃん!近所迷惑よ」
女の子たちが総出で見送りに来てくれている。出征する兵隊さんの気分だ。
「わかった、もう行くよ」
ライトオン!フェンダーからリトラクタブルヘッドランプが飛び出した。闇に向ってビームを照射する。
ロータリーエンジン特有の排ガス臭を残して、潤は豊原峠へ向った。
「気をつけて!」
お姉ちゃんが手を振って見送る。潤さんの後ろの赤い丸四灯のランプが五回点滅した。聞こえたみたい。
俺は豊原峠へ向った。準備は万端。やるべき事はやった。後は、俺の運転技術が何処まで通用するか。楽しみだぜ。
「首洗って待ってろよ!34GT‐R!」
豊原峠の入り口がせまって来た。時刻は二十時。俺は、ハンドルを左右に切り、蛇行運転する。フロントタイヤを暖める為だ。ブレーキも暖まって来た。キーという金属音がしなくなっている。
豊原峠入り口の分岐に来た。左に曲がり、峠に入る。
峠の入り口でヤツを待つ。
エンジン音が聞えてきた。聞き覚えのある排気音。ヘッドライトの光がオレを照らす。
オレの前でそのクルマは止まった。R34型GT‐R。ヤツだ。ドアが開き、男が降りてきた。
「逃げずにきたのは褒めてあげますよ。見せてあげましょう。あなたと私のマシンの差を!」
GT‐Rの男がオレを挑発している。良いだろう。その喧嘩買った!
「マシンの性能がスピードの決定的な差ではない事を見せてやるぜ!」
オレは愛車に乗り込む。四点シートベルトを思いっきり締め上げる。身体を完璧にシートに締め付けた。
ヤツがクルマをオレの右側へ並べた。いよいよスタート。オレは爆竹の導火線に火をつけ、道路の真ん中へ放り投げた。爆竹が鳴ったら、スタートだ!
バイイイイイイイイイイイーン!
アクセルを煽り、レブ・カウンターの針を六千回転に合わせる。これ以上の回転数でクラッチミートしたら、ホイルズピンが激しくて、前に進まない。
パン!
ギャギャギャギャギャギャー!
爆竹の音と同時にクラッチミート。ホイルズピンを最小に押さえ、ロケットスタートを決めた。
九千回転でシフトアップをして行く。スピードが乗っていく。GT‐Rのヤツは・・・・・・オレの後ろに付いている。
「余裕かまして、後ろから追っかけるつもりか?その余裕が命取りだぜ!」
最初のゆるい左カーブに飛び込む。
サードまでシフトダウン。
フォン!フォン!
アクセルを煽って、エンジンの回転数を合わせシフトダウン。アクセルを煽るたびに、バックミラー越しにマフラーからアフターファイヤーの煌きが見える。一つ目のゆるいカーブに差し掛かった時、俺はアクセルを床まで踏んだ。
バイイイイイーン!
五百馬力の13B‐REWロータリーエンジンが唸りをあげる。『ピー』と過回転警告警報が室内に鳴り渡る。
ゆるい右カーブを抜けると登り短い直線。トップにシフトアップ!
パシュー
大気開放式ブローオフバルブが開く音がする。
バイイイイイーン!
三速全開。ターボブースト計の針が跳ね上がる。この時点で百七十キロ出ている。
ルームミラーに後続車のライトがチラチラ光る。どんどん近づいて来る。
「ヤツだ」
峠の登り坂でこんなスピード出せるとは・・・・・・さすがGT‐R。
次は少しキツイ左コーナー。そこは若干の下り坂になっている。下りはフロントタイヤの接地荷重が自然と上がるから、三速全開で駆け抜ける。
キョオオオオオオー
俺のRX‐7が装着しているセミスリックタイヤの低いスキール音が聞こえる。強烈なGが身体に掛かる。フルバケットシートと四点フルハーネスのホールドが有りがたい。俺がクルマの一部になった感覚で、クルマの挙動が良くわかる。
この左コーナーは俺の方が速い。GT‐Rを引き離す。だがこの先はゆるい右カーブ。しかも上りだ。GT‐Rのヤツはエンジンパワーと4WDのトラクション性能を使って一気に詰めて来るはずだ。八千RPM。トップギヤにシフトアップ。そしてフラットアウト。
パシュー!バイイイイイーン!
RX‐7はロケットよろしく、打ち出されたように加速する。そのRX‐7に追いつこうとするGT‐R。上り坂で詰められるとは・・・・・・GT‐RのRB26DETTエンジンはなんてパワーだ!GT‐Rの車重を考えると、七百~八百馬力はある。
「クルマはパワーじゃねえ!トータルバランスだぁ!」
GT‐Rがどんどん迫ってくるのが、バックミラーで判る。次は下りのきつい左カーブ、そして上りのきつい右カーブ。コーナリングスピードはこっちが上だ。
GT‐Rに追いつかれた。殆どバンパーtoバンパーの距離。GT‐Rが俺を抜こうとイン側にクルマを寄せる。コーナーに飛び込む。ブレーキング競争。車重の軽いRX‐7はギリギリまでブレーキを我慢出来る。ロッキードのシックスポットモノブロック、ブレーキキャリパーと三百七十ミリブレーキローターは伊達じゃない!
「突っ込み勝負なら、負けはしないゼ!」
俺はギリギリまでブレーキを我慢する。案の定、GT‐Rのヤツのブレーキは俺より早く踏む。コーナー突っ込みで、また俺とGT‐Rの差が開く。
ブレーキを踏みながら、セカンドまでシフトダウン。
フォン!フォン!
ヒール&トウ、ダブルクラッチを駆使する。6速ドグミッションのシフトレバーを2速へ叩き込む。マニュアル車の運転が特殊技能化している現代、この必殺技を使えるヤツは人間国宝になれるだろう。と思う。
俺は左へステアリングを切り込みアウト側から一気にインに入る。ブレーキの踏み加減をコントロールしてフロントタイヤに加重を乗せ、ステアリングを切る。こうする事で、フロントタイヤの接地面積が増え、グリップが上がり、コーナーを速く曲がれる。コーナリング中はアクセルワークに神経を注ぐ。テールが流れないように、そしてフロントの荷重が抜けないようにアクセルをコントロールする。コーナーのクリッピング・ポイントを抜けると、アクセル全開。次の右カーブを目指す。この右コーナーで更にGT‐Rとの差を広げようとする。それは、このタイトな右コーナーを抜けるとゆるい右コーナーで、長い上りストレートが控えている。その上りストレートで追いつかれる可能性が高いから、少しでも差を広げたい。
セカンドのまま、右コーナーへ飛び込む。イン側、中央分離帯のガードレールギリギリまでクルマを寄せる。
キョオオオオオオー
クリップを抜け、再び全開。バックミラーに視線を移すと、GT‐Rはいなかった。
「少し離したな・・・・・・・だがヤツは絶対に来る!」
サードへシフトアップ。八千回転まで回す。そしてトップへシフトアップ。上りストレートに挿し掛かった。
スピードメーターが狂ったように上昇して行く。だがGT‐Rのプレッシャーのせいか、スピードメーターの上昇が鈍く感じる。バックミラーを覗く。再びGT‐Rのライトが見えた。ヤツも上りストレートに入った。どんどん迫ってくる。このストレートの次はこの峠で一番キツイ左コーナー。しかも出口は狭くなっている。勝負所はこの左タイトコーナーとジャンピングスポットとそこから続くタイトコーナーだ。このストレートで抜かれる訳には行かない!
四速八千RPM。ハイトップへシフトアップ。二百キロは超える。最終減速比の関係から、六速全開でも、二百三十キロしか出ないギヤ比だ。ウルトラ加速仕様のギヤ比。そのギヤ比を使ってもGT‐Rに追いつかれる。BNR34GT‐Rは半端ねえクルマだぜ。
GT‐Rがどんどん迫ってくる。次のコーナーがえらく遠くに感じる。
『熱くなりすぎるな。潤。RX‐7の限界性能を出せれば、勝てる』
そんな声が何処からか聞こえて来た・・・・・・・気がした。
俺は一度冷静さを取り戻す為、メーターを一瞥する。油温九十℃。油圧8キロ。水温九十五℃。水温が上がって来た。熱ダレでパワーが落ちる前に対策をとる。俺は空調のヒーターを全開にした。温風が出て来る。熱い。だが、室内へ熱を逃がす事により、エンジンの水温が下がる。夏にヒーター。夜とは言え、暑い。汗がぶわっと吹き出るのを感じた。水温八十八℃。少し下がった。窓は・・・・・・開けない。空気抵抗が増えて、速度が落ちる。
あと少しで左コーナー。コーナリングで引き離す。GT‐Rはもう真後ろまで迫ってきた。ヤツだって、タイヤもブレーキも油温も厳しくなって来ているはずだ。特にGT‐Rはフロントタイヤがアキレス腱だ。絶対にタレてくる。
ようし!左コーナーに飛び込むぞ。俺はバックミラーを見た。GT‐Rがいない。何処だ?
いた!GT‐Rはもう俺の左、イン側にいる。
キャアアアアアアアアー!
俺の左リヤタイヤとGT‐Rの右フロントタイヤが接触している。派手なスキール音と白煙を撒き散らしている。まずい!このままインからクルマを当てられ、弾き飛ばされたらスピンして谷底に真っ逆さまだ。
俺はアウト側で踏ん張りながら、左タイトコーナーを曲がる。RX‐7のコーナリング性能なら、アウト側でも勝負できる!
ドン!ドン!
GT‐Rがイン側に割り込んで来る。ボディが軽く接触している。このままいけるのか?それとも谷底か?二台同時にコーナーは抜けられない。だが、俺はアクセルを緩める気はまったく無い。死ぬのは嫌だけど、負けるのはもっと嫌だ。
突然、GT‐Rが俺の真後ろについた。GT‐Rのヤツが引いたのか。
「弾き飛ばすのを止めて、フェアプレイで行くのか・・・・・・正々堂々勝負だ!」
この先は下りストレートでジャンピングスポットだ。俺はこのジャンピングスポットを全開で通過できるセッティングを施して来た。自信はある。絶対に勝てる。
「GT‐R。勝負だ」
俺は下りでアクセル全開。コーナーを抜けたGT‐Rもフル加速。あっという間に右に並ばれる。二速八千RPM。三速へシフトアップ。
パシュー!バイイイイイーン!
俺はブーストコントローラーをスクランブルモードにする。一時的に七百馬力がでる。だが、これはエンジンがブローするかも知れない諸刃の剣。
「行くぜ!RX‐7!」
あすかはオレの手を握ったまま、如月の所へ。昼言ってたように、如月に自分の思いをぶつけるようだ。
「如月お姉さん」
「あすかちゃん」
「今朝はごめんなさい。私、如月お姉さんに酷い事言いました。謝ります。私、お兄ちゃんが如月お姉さんに取られるんじゃないかと思って・・・・・・」
「あすかちゃん。私も謝らなきゃ。潤さんをあすかちゃんから私に向いてくれるようにしてたから。ごめんね、あすかちゃん」
あすかはオレの手を離れ、如月と抱き合う。オレの役目は終わったな。弥生に交代だ。
「あすかちゃん。私わかったの。昼間、潤さんとドライブして。私とあすかちゃんには共通のライバルがいるって事に」
「共通のライバル?」
共通のライバルって、もしかして潤さんて彼女さんがいるの?私は驚いた。潤さんはお姉ちゃんと彼女さんの三角関係?ラブコメ的には有りだけど、倫理的にはねえ。
「共通のライバルは手ごわいわよ。潤さんは私より、あすかちゃんより、その子の事が好きなんだもん。私、妬けちゃった」
お姉ちゃんがヤキモチ妬くなんて、どんな女の人だろう。私も葵も寧々も興味深々。
「如月お姉さんがヤキモチなんて・・・・・・そうだ!RX‐7」
「そうよ。私達はまず、クルマに勝たなきゃいけないのよ。手ごわいわよ」
「そうですね。がんばりましょう」
下りストレート。横に並んだGT‐Rはドンドン加速し、俺を抜きに掛かる。そして、抜かれた。俺の目の前にGT‐Rのテールランプが光る。憎たらしい丸いテールが。
「ここからが勝負だ!34GT‐R!」
GT―Rが一車身飛び出した状態でジャンピングスポットに突入した。
グワン!
体が中に浮く感覚。クルマがジャンプした。左へハンドルを切る。クルマがスッと左へ切れ込む。アクセルを踏む。クルマが加速する。
「思った通りだ。タイヤは完全に路面を捉えているぜ!」
前を走るGT‐Rは思いっきりアウトに膨らんでいく。ヤツは完全に空中に浮いている。
ドスン!
着地した。サスペンションのバンプ・ストップラバーが上手く衝撃を吸収してくれた。お蔭で、コントロール不能にならずに済む。
GT‐Rは・・・・・・いなくなった?俺の前には間違いなくいない。
ギャギャギャギャギャアアアアー!
バックミラーを見ると。GT‐Rがスピンしている。派手にタイヤスモークを上げて。ジャンプの着地で、姿勢を崩したらしい。ジャンプって結構危ないんだ。やった事ある人はわかると思うけど。
勝負あったな。オレはクルマを広い路肩に止めた。ややしばらくして、GT‐Rも来た。
「俺の負けだ・・・・・・」
「Rの人。あなたは良い腕してるよ。峠でRX-7に挑むなんて。最速のコーナリングマシンのRX‐7にGT‐Rじゃ圧倒的に不利だ。高速道路で最高速勝負ならオレは勝てない」
Rの人はニヤっと笑った。
「勝てるとわかっている勝負なんて、面白く無いでしょう。不利な条件で勝ってこそですよ。それは君も良く知っているはずだ」
Rの人の方がオレより上手だ。精神的に。修行が足りないなぁ、俺は・・・・・・でもバトルに勝ったことは純粋に嬉しい。
「じゃあ、今度は俺からバトルを申し込む。ハイウエイバトルと行こう!」
「ああ、やろう。今度こそ勝つ」
私達は部屋で潤さんを待っていた。お姉ちゃんは着替えてピンク色のメイド服姿になっている。さすが、お姉ちゃんはオシャレに手を抜かない。ところでメイド服何着持ってきてるの?
ボボボボボボボボボボ!
「お兄ちゃんが帰ってきた!」
私達は表へ出た。旅館の玄関先には赤いクルマ、潤さんが帰ってきた。クルマのタイヤから煙が上がっている。火事?〔注・正確にはブレーキキャリパーから煙噴いている〕
「勝ったぜ!GT-Rになんぞに俺は負けん!クルマはパワーじゃねえ!トータルバランスだぁ!」
潤さんは運転席の窓を開け、ドアに腰掛けて手を振っている。なんと足でハンドル操作しているのが見えた。この人車を自分の手足のように使っている。
「お兄ちゃん。良かった、無事に帰ってきて」
「潤さん、心配しましたよ。危ない事はもうしないで・・・・・・と言っても駄目なんでしょうね・・・・・・頑張って私の方へ振り向かせて見せますよ。潤さん」
お姉ちゃんとあすかちゃんは潤さんの傍で喜んでいる。潤さんが無事でよかったね。あれっ?足が勝手に、羅刹さんだ。もう!突然ビックリするじゃない。
「弥生、すまん」
オレは、赤いクルマ・・・・・・韋駄天様のところへ行った。もの言わぬ機械だが、オレには韋駄天様の存在がわかる。
『ご無事で何よりです。韋駄天様』
『その言葉は潤にかけてやってくれ。我は何もしていない。全てはあの若者のなせる業。素晴らしいものだ。それとあの死神小僧にも。ヤツは正々堂々と戦った。死神にしておくのは勿体ないな』
『それでは、これで、今度こそさらばです。韋駄天様。あの若者を護って下さい。お願いします』
『心得た。だが羅刹天よ。我はおぬしと遠からず、逢う様な気がするがな』
オレは韋駄天様に背を向け、如月とあすかの方へ向った。
「お邪魔虫は消えましょう!」
葵がオレと寧々の手を引き、旅館の中へ連れて行こうとする。
「寧々はまだ見たいんだよ。葵ちゃん」
「子供は見ちゃ駄目だよ。寧々」
俺たち三人は旅館の部屋へ戻った。