第四部
はじまりは、一年ほど前に遡る。
それは雪の降った日だった。
彼女はいつものように畑仕事を終え、いつものように家に帰った。かじかむ手をさすりながらも野菜を収穫していたことを鮮明に覚えている。
彼女には祖母がいた。祖母は高齢のため仕事に出ず、母の家事を手伝っていた。
夕食後、一家で暖炉を囲んでいたときのことだ。
暖炉の火を、彼女はアリィはぼんやりと眺めていた。仕事の疲れもあってか、いつもよりも眠気を感じていた。
夢を見た。それが夢だったのかどうか、今でもよくは分からない。
夢には祖母が出てきた。目を閉じていた。寝ているのか、そう思った。
ただ、それだけの夢だった。目を覚ましたとき、そばにいた祖母を見た彼女は急に不安に襲われた。その不安の正体は、そのときはまだ分からなかった。
祖母が息を引き取ったのは、少ししてからのことだった。
棺に収まった祖母の遺体、悲しみよりも先に、驚きが立った。
夢に出てきたあの表情と、同じ。
しばらくして、今度は近所に住む女性が夢に出た。やはり彼女は目を閉じていた。
その体は、水に濡れていた。
彼女はその女性と顔を合わせることが出来なくなった。理由も言えない。言えるはずが無い。なにかの偶然だ、ただの悪夢だと自分に言い聞かせるほか無かった。
それでも、悪い予感は消えない。
その女性がある日、川に落ちて死んだと聞いたとき。彼女は、自身の『異常』を確信した。
「それからは、人と顔を合わせるのが怖くなって」
教会に通い始めた。ここは人がいない。神にすがって、祈るにもふさわしい。
祈ったところで、なにかが変わるとは思えなかったが。
「それで、今も?」
「はい。……症状、と言っていいのかは分からないですが」
人の顔を見ているとき、ふと、その死相が目に浮かぶことがある。
だから恐ろしいのだ。自分自身が。人が。
「……そう」
「ルクさんは」
「俺のは、そういうのじゃあない。……ひょっとしたら、この体を欲しがるようなやつすらいるかもしれない。そういうものだよ」
「フィーズさんに、聞いたとおりなんですね」
「聞いたのか……。意外に、おしゃべりなのかな」
「あの人と私が知りあったとき、聞いたんです」
「知り合った、って。妙な縁だね」
「偶然町で会ったとき、……その、『視え』たんです。フィーズさんの……その」
「うん」
なんとなく、その情景は想像がついた。フィーズは勘のいい男だ。
「……どうしたらいいんでしょうか。私……こんなこと、フィーズさん意外に相談できなくて」
「それは誰だって同じだよ。どうしたらいいか、分からないんだ」
そんな方法があるなら、アリィや自分のような者は存在しない。
「アリィ、俺が『視え』る?」
「……嫌です。見たくありません」
「いいから。……たぶん、君の見たくないものは見えないはず」
「え……あの」
アリィはルクの目をじっと見た。恐る恐る、という感じで。
しばらくして、アリィはルクから目を逸らした。
「分かりませんでした……」
「やっぱり、ね」
「フィーズさんに聞いたとおりでした」
うん、と一つ頷いてから、ルクはアリィを見た。
「あのさ、アリィ」
「……なんですか」
「君は、何かをした?」
「え……」
「その目を疎んでここに逃げ込んで、それ以外に何かをした?」
「……なにも、していません」
「何かしてみれば、その死期もひょっとしたら変えられるんじゃないのかな、って、今思った」
「……そんなの、たとえいくら死期を延ばせたって……いつ死ぬか、私には分かってしまう。意味、ないじゃないですか……」
「そうかな」
アリィの声は震えている。
「誰だって、自分がいつかは死ぬってことを分かってて生きてるんじゃない?」
「ルクさんが、それを言うんですか」
「……ごめん。でもね」
ルクは長いすを立った。
「都合のいい話かもしれないけれど。俺はこの体のおかげで、旅をしていたおかげで、いろいろなことが分かったよ。知り合いも出来たし」
「……それで」
「フィーズとも知り合えた。君もそう、だよね」
「だからって」
「悲観するなかれ、道は常に前を向く。叱るわけじゃない、そんな資格も俺にはない。でも、哀れむつもりもない」
「……」
「その運命に、ぶち当たってみなよ。怖いけど、辛いけど、そのまま朽ちるよりはずっとましだ」
「無責任なことを、言わないで下さい」
「……ごめん。でも、俺はそうしてる」
荷物を背に負う。
「……こうやってあちこち回って、この世界を何とかできないか、探してる」
「ルクさん……」
ドアに手をかけて、ルクはひとこと、つぶやいた。
「俺はこの世界、嫌いじゃないから」
旅の中で得た、結論。




