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Honey、トラップを仕掛けて~幼馴染が素直になる10秒前~  作者: 猫塚ルイ


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第1話

「っ、う……、さむい……」


視界がぐにゃりと歪み


世界の色が鮮やかな色彩から、寒々しい白銀の世界へと塗り替えられていく。


全身の血液が、血管の中で一つひとつ氷の粒に変わっていくような、刺すような悪寒。


私は、聖女として国境の結界を張り終えたばかりの静まり返った聖堂の床に膝をつきそうになった。


これが、私に課せられた「魔力酔い」という名の代償。


人並み外れた聖なる魔力を注ぎ込むたびに


私の体は、使う魔法が強力であればあるほど、深い深い死の淵へと引きずり込まれる。


指先が震え、呼吸さえも凍りつきそうになったその時。


「……また無理したでしょ、エマちゃん」


耳元に届いたのは、夜の静寂を溶かすような、低くて温かい、聴き慣れた声。


次の瞬間、ふわりと体が浮き上がる感覚。


私の細い体は、軽々と、けれど壊れ物を扱うような慎重さで、逞しい腕の中に収まっていた。


霞む視界で見上げれば、そこには月の光に照らされた、絵画のように整った横顔。


夜の闇をそのまま映したような黒髪と、慈しみに満ちた瞳。


私の幼馴染であり、この国の近衛騎士団で最年少副団長の座に就く天才騎士───アルヴィン。


「アル、くん…ごめん、ちょっと、出力、間違えちゃって……」


「いいよ、エマちゃんが頑張った証拠だからね…疲れてるでしょ?少しだけ、僕に身を任せて」


彼は私を横抱きにしたまま、迷いのない足取りで聖堂の奥にある「執務室」へと向かう。


そこは、魔力酔いを起こした私と、それを癒やせる唯一の存在である彼


魔力の相性が「100%一致」するという奇跡のパートナーだけが立ち入りを許された、二人だけの秘密の場所。


カチャリ、と重厚な扉に鍵が閉まる音が、静かな夜の部屋に響き渡る。


ソファに下ろされるのかと思っていたけれど、アルヴィンは私を抱きかかえたまま


自分もソファへと深く腰を下ろした。


そして、背後から包み込むように、私をその厚い胸板の中に閉じ込めた。


(あつ、い……)


一瞬で、全身の氷が溶けていくのが分かった。


アルヴィンの体温。肌越しに伝わってくる彼の熱は、どんな高価な魔薬よりも


どんな高度な治癒魔法よりも早く、私の凍えた芯を温めていく。


「アルくん。もう、大丈夫、だから……。重いでしょ? 下ろしてくれても……」


「全然。むしろ、エマちゃんはもっと、自分を大事にしなきゃダメだよ。君がこうして苦しむたびに、僕の心臓がどれだけ縮むか、分かっていないだろう?」


アルヴィンの声は、どこまでも優しく、包み込むようだった。


私たちは物心つく前からの幼馴染だ。


王家からは「聖女の安定剤」という


どこか事務的な役割を任されている彼だけれど


私に向ける態度はいつだって穏やかで、特別だった。


(私はこんなに、心臓がうるさいのに。アルくんは……どうなの?)


背中越しにドク、ドク、と伝わってくる彼の鼓動。


彼の手が私の冷えた手に重ねられる。


指先から溢れるような熱が流れ込み、魔力酔いの苦しさは引いていくけれど


代わりに胸の奥が、触れられた場所からチリチリと焼け付くように痛む。


この「治療」という名の密着が、彼にとってはただの「義務」なのか、それとも。


「……エマちゃん、顔が真っ赤だね。まだ、熱っぽい?」


耳元で囁く彼の吐息が、首筋を掠めて、私の体温をさらに跳ね上げる。


「……それは、アルくんが近すぎるからよ」


「ふふ、ごめんね。でも、これが『治療』だから。あと少しだけ、このままでいさせて。君が温まるまで」


彼はそれ以上、何も言わなかった。


ただ、私の体温が完全に戻るまで、甘く、けれど残酷なほど優しい抱擁を続けるだけ。

 

アルくんはいつも私に優しいけれど、それは「守るべき幼馴染」だからなの?


私を抱きしめるその腕に、一ミリの私情も混じっていないの?


私は……彼にとっての「聖女」ではなく、一人の「女」になりたいのに。


「ねえ、アルくん。……そういえばなんだけどね? 今度の夜会、隣の国の王子様が来るみたいでね。とっても評判がいいんだって。……アルくんはさ、私が他の男の人と踊るのどう思う?」


震える声で、私は小さな、けれど精一杯の「罠」を仕掛けてみた。


すると、私の肩を包んでいた彼の指先に


一瞬だけ、骨がきしむほど強い力がこもったような気がした。


「……。エマちゃんがそうしたいなら、止める権利は僕にはないよ。王子殿下なら、君をきっと大切に扱ってくれるだろうしね」


返ってきたのは、いつも通りの、物分かりの良い穏やかな微笑みの声。


……やっぱり。彼にとって私は、どこまでいっても「幼馴染」でしかないんだ。


そう思うと悔しくて、悲しくて。


でも、だったら


その余裕たっぷりで、完璧すぎる騎士様の仮面を絶対いつかぐちゃぐちゃにして


本音を引きずり出してやりたい


───これが、私が仕掛けたハニートラップの、始まりだった。

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