第七話 塔に呼ばれた日 ― The Day the Tower Called My Name
塔の鼓動は、嘘をつかない。
人間みたいに取り繕ったりしないし、
ごまかしたりもしない。
さっきまで静かだった塔が、
俺の拍に合わせて一段だけ音を上げたとき――
嫌でもそれが分かった。
(……本当に、聞こえてるんだな)
足元の円陣から、じん、と痺れる感覚が抜けていく。
アシュバインドの光も、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「そこまで」
神官が手を挙げる。
「カガリ、下がっていいわ」
息を吐き、円の外へ出る。
膝はわずかに笑っていたが、倒れるほどではない。
次の候補者が前に出ていく。
塔の拍は、また少し表情を変えた。
◇
試験は、思ったよりあっさり終わった。
門階の広間で一人ずつ塔と向き合い、
心種を立てて、祈導のルートを開くだけ。
それだけなのに、終わるころには、
半分近くの候補者が座り込んでいた。
「……だ、大丈夫か?」
隣で青ざめている兵の肩を支えながら声をかける。
「へ、平気……っす。
ちょっと、塔が、近すぎただけで……」
言葉のわりに、額からは汗が止まっていない。
塔の鼓動は、人によっては“音”じゃなくて“圧”として来る。
それだけで酔うやつもいる、って教本にあったっけ。
(俺は……)
胸に手を当てる。
まだ、少し熱い。
でも、嫌な感じじゃなかった。
塔に心臓を掴まれているというよりも、
大きな波に一緒に揺らされている、って言った方が近い。
「ふぅん……」
神官が、一人一人の顔色を眺めながら、手元の板に何かを書き込んでいく。
「これで全員ね」
彼女は板を閉じると、俺たちの方を向いた。
「今日の結果は、正式な命令として各隊に降りるわ。
自分がどの塔上班に回されるかは、その時までのお楽しみ」
ざわ、と空気が揺れた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
前列の兵が、思わず一歩踏み出す。
「もし、ダメだった場合は……?」
「その時は、今まで通りよ。
塔下で走って、雪をかいて、祈りながら眠る日々」
神官は肩をすくめた。
「灰鉄塔アストラは、上も下も同じくらい忙しいの。
どこで鼓動を使うかが少し変わるだけ」
そう言いながら、視線だけ俺の方に滑らせてくる。
「……もっとも、“塔の方から呼ばれた心臓”は、そう多くないけれどね」
どきりとした。
さっき、塔と拍を合わせた瞬間の感覚が、背骨の奥で再現される。
「だからこそ、忘れないで」
琥珀色の瞳が、一人ずつをなぞる。
「ここにいるのは、選ばれた兵士じゃない。
“選ぶことを許された心臓”よ」
選ばれた、じゃなくて。
選ぶことを許された。
その言い方が、やけに胸に引っかかった。
「今日はもう下がっていいわ。
塔の音に酔っている子は、階段を降りる時に気をつけて」
神官が手を振ると、門階の扉が静かに開いた。
◇
塔の中の空気は冷たかったが、
外に出ると、雪混じりの風がさらに頬を打った。
「おーい!」
下から声が飛ぶ。
見れば、訓練場の端でユラが大きく手を振っていた。
その横には、喉をさすっているシン。
「おかえり、志願者くん!」
「ただいま、港に帰港しました」
「うわ、ちょっとカッコつけた」
ユラが笑う。
「で、どうだったの?」
言いながら、じっと俺の顔を見る。
「……ん?」
「目、光ってた?」
「は?」
「いや、なんかね。
塔が“気になる心臓”を見つけると、たまに目の奥まで光が走るって噂、あるじゃん」
シンが頷いた。
「さっき、門階の方から、青い線みたいなのが見えたよ」
「見間違いだろ」
「かもね」
ユラはニヤニヤしながら、俺の目の前で手を振る。
「でもまあ、光ってても似合うんじゃない?
港、わりと顔はいいし」
「はいはい、どうも」
からかわれているのか褒められているのか分からない。
でも、二人の声を聞いていると、
塔の中で張り詰めていた何かが、少しずつほどけていくのが分かった。
「結果は?」
「後で各隊に通達だってさ」
「ふーん」
ユラがわざとらしく肩をすくめる。
「じゃ、あたしらはその辺で騒ぎながら待ってるわ」
「静かに待てないのか」
「静かに待つ港なんて、絵にならないでしょ?」
言われてみれば、その通りかもしれない。
◇
夕刻。
兵舎の廊下に、人の壁ができていた。
「出たぞー!」
「どこどこどこ!」
掲示板の前に貼られた一枚の紙を巡って、
全員が雪玉みたいに集まっている。
その外側から、デイル分隊長がどなった。
「押すな押すな! 紙が破れるだろうが!」
「分隊長、読んでくださいよ!」
「耳はついてるだろ、自分で読め!」
わちゃわちゃした声の中を、
ユラとシンと一緒にかき分けて前に出る。
紙の上部には、整った字でこう書いてあった。
《灰鉄塔アストラ前線観測隊
塔上接続班 配属候補者名簿》
その下に、部隊名と、候補者たちの名前。
指で追いながら、自分の所属する小隊の欄を探す。
「……あった」
塔下第十三小隊。
その横に、ひとつだけ名前が添えられていた。
《カガリ・アスト=タルグ》
「おめでとう」
横でシンが、ぽん、と俺の肩を叩いた。
「やっぱり行くんだね、港」
「紙に書いてあるからな」
「紙に書いてあっても、直前で逃げるやつだっているよ?」
「……逃げないよ」
自分で言って、自分でも驚くくらい、声はまっすぐだった。
「だよね」
シンは満足そうに頷く。
「じゃ、俺たちはちゃんと“戻ってくる場所”の番をしてる」
「勝手に守り神みたいな顔するな」
「守り歌だけどね」
やたら偉そうに言って、シンは喉に手を当てた。
「ユラは?」
「んー……」
掲示板を眺めていたユラは、ゆっくりこちらを向く。
「ちょっとだけ、嫉妬した」
「正直だな」
「だってさ。“塔に呼ばれた”なんて、カッコいいじゃん」
言いながら、彼女は笑う。
「でもまあ、あたしは下で走ってる方が似合ってるし。
港が上で変なことになったら、真っ先にロープ投げてやるよ」
「それ、上から首吊られるやつじゃないだろな」
「さあ、どうだろ」
冗談半分に会話しながらも、
ユラの目の奥には、ちゃんと心配が滲んでいた。
「……ありがとな」
小さく礼を言う。
ユラは「なにそれ、らしくない」と鼻で笑った。
◇
夜。
兵舎の灯りが落ちたあとも、なかなか眠れなかった。
遠くで塔のざわめきが続いている。
いつもと違うのは、その音のどこかに、
自分の拍が混ざっている気がすることだ。
(ほんとに、行くんだな)
塔下で過ごした日々。
雪の匂い。
ユラとシンと、他愛もないことで笑い合った時間。
全部が、少しだけ遠くなる。
怖くないと言えば嘘になる。
でも、それ以上に――
(見たい)
戦争の行方を。
塔の中に沈んでいる祈りの正体を。
そして、塔が本当はどんな顔をしているのかを。
心臓がひとつ鳴る。
それに応えるように、
塔の奥から、低い拍が返ってきた気がした。
それは、呼び声というよりも、
「ここまで来い」という無言の合図みたいだった。
灰鉄塔アストラ。
灰と鉄でできた“墓標の塔”。
その喉元へ向かう階段を、
俺は近いうちに、もう一度上ることになる。
港を出る船は、もう錨を上げてしまった。




