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灰鉄の戦祈(アイアンリクイエム) ― Chronicle of the Ash-Iron Campaign ー  作者: CROSSOH


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第二十話 門の裏側で、誰が呼吸する ― Who Breathes Behind the Gate

 塔の上の夜は、音が少ない。


 風の音も、雪の音も、地上より薄い。

 その代わりに――鼓動だけが、やけに大きい。


 灰鉄塔アストラの内壁を伝ってくる、低いざわめき。

 残響脈エコーラインのうなり。

 そして、それらに混じって時々刺さる、自分の拍じゃない拍。


(……拾うな)


 思い出す。

 第十八話で言われたことを。


 漏れた拍を、拾わずに守れ。

 港であることを、武器にするな。

 港であることを、制御しろ。


 拾った瞬間、守りは“借り”になる。

 借りた守りは、いつか返さなきゃいけない。

 返す相手が誰なのか分からないまま、返す日だけが来る――そんなのは嫌だ。


 冷たい手すりに指をかけ、深く息を吐く。

 吐いた息が白く揺れ、鉄の匂いに消えていく。


「……目、逸らすな」


 背後から声がした。


 ダリル・レーンだ。

 塔下第三の副隊長代理。

 俺の相棒として、ゲートリンク班に置かれた男。


 こいつは、いつも“見ている”。

 鼓動じゃなく、足元と状況と、逃げ道を。


「北、来る」


「……分かってる」


 言った瞬間、塔のざわめきが――一段、上がった。


 まるで巨大な肺が、息を吸う直前の、

 あの静けさを作るみたいに。


     ◇


 ゲートリンク班の持ち場は、塔の“喉元”だ。


 外から流れ込む祈導の波と、

 塔の中に沈んでいる古い鼓動と、

 まだ生きている人間の拍。


 その三つが、ぎりぎりで触れ合う場所。


 床には、灰脈素アシュフローの導線が薄く刻まれている。

 円と線と、縫い目みたいな細い記号。


 神官たちはそれを“門”と呼ぶ。

 兵士は――“穴”だと思ってる。


「配置」


 淡い琥珀の瞳の神官、イレナが短く言った。


 イレナは今日も淡々としている。

 淡々としているくせに、言葉だけは的確に刺してくる。


「ダリル、外縁。拍の乱れを切れ。

 カガリ、内縁。漏れた拍を受けずに“止めろ”。」


「……受けずに、止める」


 言い直すと、イレナは小さくうなずいた。


「港のやり方で止めるな。

 港の“受け口”を閉じて、堤防の“面”で受けろ。」


 堤防。

 港じゃなく、堤防。


 言葉の置き換えだけで、胸の奥の形が少し変わる気がした。

 受ける場所を、穴じゃなく面にする。

 抱えるんじゃなく、押し返す。


「できるのか?」


 ダリルが小さく訊いてきた。


「……やるしかない」


「なら、やる」


 こいつはいつもそうだ。

 励まさない。

 気遣わない。

 でも、同じ方向を見る。


 それだけで十分な夜がある。


     ◇


 最初に来たのは、音じゃなかった。


 圧だった。


 空気が重くなる。

 塔の内壁の金属が、きしむ。

 床の導線が、薄く青白く点り、波紋みたいに広がっていく。


「北塔――歌う」


 イレナの声が落ちる。


 そして、遅れて“歌”が来た。


 歌、と言っても綺麗なものじゃない。

 喉の奥を削るような低音。

 誰かの祈りと、誰かの罵りと、誰かの恐怖を混ぜた、

 街ひとつ分の雑音。


 耳が痛い。

 目の奥が熱い。

 胸が勝手に、応えようとする。


(拾うな)


 自分に言い聞かせる。


 拾うな。

 拾ったら、港になる。

 港になったら、飲まれる。


 なのに――


 北塔の歌は、門の隙間に細い針みたいに刺さってきた。


 “誰かの拍”が、漏れてくる。


 怒り。

 焦り。

 そして、妙に整った冷たさ。


(……これ、兵士の拍じゃない)


 祈ってる拍でもない。

 叫んでる拍でもない。


 測ってる拍だ。

 観測して、選別して、裁定してる拍。


 背筋が冷える。


 イレナが言ったことが、頭をかすめた。


――前線観測隊は、戦うために塔上に立つんじゃない。

――戦争の鼓動を読み解くためにいる。


 読み解く者がいるなら、

 読み違えさせようとする者もいる。


「カガリ」


 ダリルが短く呼んだ。


 外縁が揺れている。

 ダリルが“切る”はずの拍が、逆に増えている。


 誰かが、外から意図的に“混ぜ”てる。


「……来るぞ。混線だ」


 混線。


 塔の喉元で起きた混線は、厄介だ。

 戦場の混乱とは種類が違う。

 これが起きると、塔が“間違った相手”に応え始める。


 街が焼けるのは、その後だ。


(拾わずに守れ)


 俺は息を吸い込む。

 胸の底の“重み”に触れる。


 怖い。

 でも、怖いだけじゃ足りない。

 重くていいと許せる想いが要る。


 ――ここで間違えたら、塔が街を殺す。


 その想いに触れた瞬間、

 鼓動が一拍止まり、次の拍で沈んで戻る。


 心紋が熱く立つ。

 胸の真ん中、縦に伸びる一本線。


 でも今日は、そこから先へ落とさない。

 銃にも、足にも、声にも。


 落とす代わりに――面を作る。


「祈導、《守》……いや」


 口にしかけて、飲み込む。


 “守”だと、いつもの癖で拾う。

 拾って束ねて壁にする。

 それは港の守りだ。


 今日は違う。


「……祈導、《堤》」


 自分で勝手に名付けた。

 教団が聞いたら嫌な顔をするだろう。


 でも、いま要るのは名前じゃない。

 形だ。


 胸の前に、見えない板が一枚立つ感覚。

 穴じゃなく、面。


 北塔から漏れてくる拍が、その面に触れた瞬間――


 受け口を閉じる。


 拾わない。

 抱えない。

 ただ、面に当てて、滑らせて、外へ逃がす。


 雪の上を流れる風みたいに。


「……っ」


 痛い。

 胸が痛い。


 拾ってないのに痛い。

 それはたぶん、“港”が面に変わる時の摩擦だ。


 ダリルが外縁で、切る。


「《断拍》」


 短い祈導。

 こいつの拍は乾いていて、刃物みたいに迷いがない。


 俺の面に当たった拍が、ダリルの切断で細かく裂け、

 塔の導線の上を無害なノイズとして流れていく。


 門が、ひとつ深く息を吐いた。


 塔が、応えかけていた“間違った歌”を、飲み込まずに済んだ。


「……成功」


 イレナが言った。

 褒めてるのか、確認なのか分からない声で。


 だが、次の瞬間、彼女の琥珀の瞳が細くなる。


「……おかしい」


「何が」


「北塔の歌に、“意図”が混ざってる」


 言い方を変えるなら、もっと嫌な言葉になる。


「誰かが、歌を操作している」


     ◇


 作業が終わっても、夜は終わらなかった。


 ゲートリンクの内側。

 塔の中の通路を下っていくと、補給連絡班の詰め所がある。


 そこで今、騒ぎが起きていた。


 灰脈素アシュフローを通す搬送路。

 補給路の導線の一部が、裂けている。


「昨日の裂け目とは違う……」


 イレナが床に膝をつき、導線を指でなぞった。


「これは“事故”じゃない。

 刻印が――上書きされてる」


「上書き?」


 ダリルが眉をひそめる。


「導線は祈りでできてる。

 祈りは“書き換えられる”」


 イレナが淡々と言った。


 淡々と言いながら、声の奥が少しだけ硬い。


「誰が?」


 俺が訊くと、イレナは答えなかった。

 代わりに、補給係が震える声で言った。


「……これ、見つけました」


 差し出されたのは、小さな紙片だった。

 祈り本に挟むような薄い紙。


 そこには文字じゃなく、記号が描かれていた。


 三つの心臓が、輪になって重なっている印。


 その下に、短い走り書き。


《記録は残す。裁定は下す。予見は先に呼吸する》


 ぞっとした。


 宗教の言葉じゃない。

 軍の言葉でもない。


 “上からの言葉”だ。

 誰かが世界を盤面として扱っている時の、冷たい文章。


 イレナが紙片を見て、目を細める。


「……三賢人トライハート


 その単語が出た瞬間、詰め所の空気が一段冷えた。


 噂としてしか聞いたことがない。

 教団の上、軍の上、さらに上にいる“何か”。


 記録/裁定/予見。

 役割だけが語られ、名前は語られない。


「いるのかよ、そんなの」


 ダリルが低く吐き捨てる。


 イレナは、否定しなかった。

 肯定もしなかった。


 ただ、紙片を裏返す。


 裏には、別の文字があった。


《ゲートリンク班:カガリを“面”にした。次は“穴”を作れ》


 血の気が引く。


 俺のことを知っている。

 今夜の変化を知っている。

 しかも、“次”を指示している。


 その下に、署名のように短い名前。


ROCA


(……ロカ)


 頭の奥で、何かが噛み合う音がした。


「イレナ。これ、誰だ」


 俺は声を抑えた。

 抑えないと、喉が割れそうだったからだ。


 イレナは紙片を見つめたまま、少しだけ間を置いてから言った。


「知らない。……少なくとも、私は“その名前では”知らない」


 嘘じゃない顔だった。

 でも、隠してる顔でもあった。


 ダリルが一歩前に出る。


「つまり、ここにいる誰かが、外と繋がってる」


「……可能性は高い」


 イレナが言った。


「補給路の裂け目。導線の上書き。北塔の歌への混線。

 全部、一本の線で繋がる」


 彼女の琥珀の瞳が、俺を見る。


「ゲートリンク班は“橋”よ。

 橋は、敵も味方も渡れる」


「……俺たちが、渡される側になるってことか」


「そう」


 淡々とした肯定。


 その瞬間――塔の奥で、またざわめきが一段上がった。


 北塔の歌じゃない。

 アストラ自身の、深い呼吸。


 まるで、塔がこう言っているみたいだった。


――門の裏側で、誰が呼吸している?


 俺は胸のアシュバインドを握りしめる。


 拾わずに守れ。

 面で受けろ。

 穴を作るな。


 でも、世界のどこかで、

 “穴を作れ”と言っているやつがいる。


 なら――


(穴を塞ぐ)


 港の仕事は、本当はそこだ。


 船を出す場所じゃない。

 穴を塞いで、街を守る場所だ。


 俺は、ダリルを見る。


 ダリルは何も言わない。

 ただ、うなずいた。


 同じ方向を見る。

 それだけでいい夜が、また始まった。


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