鉄砲隊
〈朝飯す目刺の銀を目に留めつ 涙次〉
私はそんな句と共に、今日の私のカンテラを書き始めた。私、私と五月蠅いだらうが、もう少しこの記述にお付き合ひ願ひたい。(YM賞の選考委員は、私がカンテラ一本鎗の、所謂「一發屋」だと知つたら、愕然とするだらうか。)
【ⅰ】
私は書き物をする為の寢城に籠もり、と或る出版社から借り受けてゐる、薄型ノートPCに『斬魔屋...』の續きを書き始めた。人には何らかの「立て籠る」場處が必要なのだ、と云ふのが、私の持論である。さう、カンテラに於ける「外殻」のやうな。
風は伸びをしてゐる。彼は当年3歳の雄猫である。勿論、テオのやうな天才は持たぬ、普通の猫である。千葉の田舎の丘で拾はれてきた野良上がり。不思議な愛嬌を備へてゐて、猫と云ふのは、眺めて、睦んで、いゝものであるなあ、と私に思はせる。
埼玉県の東京寄り、何の名物もない殺風景な町。そこに私の(風呂なしの)襤褸アパはある。風呂に入る時には、實家に行く。實家はバイクで5分ほどの場處にある。
【ⅱ】
トイレで吸ひ殻を流した。風は餌皿に掛かりきりだ。彼は大飯食らひである。
バイク、と書いたがスクーターである。ヤマハ シグナスグリファス125のブラックメタリック。改造をあちこちにしてゐる。ヤマハ純正のスモークのウインドシールドとリアキャリア→赤い、人目に立つリアサス→社外のぶつといフルエキゾーストマフラー→そしてタイヤをモタード仕様の凸凹のもの(珍品と云つていゝ。見つけた時には小躍りしたものだ)、に順次替へて行つた。更にパーツを購入した時にオマケで付いてきたステッカーを、べたりと貼つてある。所謂「ステッカー・チューン」だ。足つきはオリジナルの儘で丁度良かつたので、特にロウダウン・シートには替へてゐない。私はこれを「シュー・シャイン」と勝手に名付けた。杵塚のやうな、人に自慢出來るコレクションはなく、私にはこれ一台きりだ。借金、と書いたが、50歳の手習ひで通つた教習所- 慢性の腰痛にもめげず、免許を取得した暁、私は深い滿足感に包まれた- そしてこのグリファスのお蔭で、その大方は拵へた。
アパートの部屋のドアには、「面會謝絶」のプレートを提げ、鍵も掛けて置いたのだが、やはり【魔】には通用せず、鰐革男は勝手にドアをこぢ開け、ずかずか入り込んできた。
「おい、永田、俺がいつ迄も待つてゐるとは思ふなよ!」私は、あらん限りの勇猛心を奮ひ起こし、「あんたに渡す原稿など、ないよ」と返答した。何故だか、谷澤景六の『かぼちやの馬車に乘つて』の献辞、「全ての思ひ出、特に唾棄すべき、に捧ぐ」と云ふフレーズが思ひ起こされた。
【ⅲ】
鰐革「今度は随分強氣だな。だうせカンテラの處の猫にでも入れ知恵されたんだらうが」風はすつかり怯へ切つて、尻尾を股の間に挾み部屋の隅で私たちの問答に震へてゐる。鰐革「窓の外を見てみるんだな」私はちら、と見た。鰐革の親衛隊が、ぐるりを取り囲んでゐるやうだ。しかも、戦國大名が用いたやうな、鉄砲隊(火繩銃で装備した)の體裁の。
「あの鉄砲は、俺がルシフェル様から拝領したもの。旧式に見えるが、ルシフェル様の込めた妖氣で、現代のライフルをも凌駕する性能を發揮するのだ」(やれやれ、こんな痩せ文士一匹を嚇す為に、随分大時代な-)私は呆れてものも云へない。
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〈猫同士睦めば眞に樂しかろ人間相手ぢや媚も混じらう 平手みき〉
【ⅳ】
だが、鰐革には考へがあつたのだ。そして、その憂慮(だつたかだうかは知らないが)は的中した。ぶるん、ばたん。カンテラとじろさんが、臙脂色の旧型三菱デボネアで、こゝ、埼玉の片隅に迄、私を助けに來たのだ。
鉄砲など、どんな髙性能でも、この二人には役に立たない。じろさん、ぽかぽかと暢気に見える拳固で、鉄砲隊の頭を叩いて回つてゐる。だがその効力は絶大で、毆られた連中は泡を吹き、失神。どんな秘術を使つたかは、私は知らない。
カンテラが部屋に入つてきた。「未だにルシフェルの威光に縋つてゐるのか。俺の知る鰐革男は、もつと獨立心旺盛な男だつたがなあ」「な、何を!?」カンテラの拔き身の脇差しが、ぎらりと光る。カン「俺はこの人(と私を指し)と約束したんだよ。必ず守るから、とな」
【ⅴ】
そこには「負のヒーロー」の面影は、ない。大道を闊歩する、私の知るカンテラ、こゝにあり。私は、風のとは別種の震へを覺えた。それは一種の武者震ひであり、私の誇りとするカンテラしか兩の目には映つてゐない。
結果として、私は、カンテラに守られての事だが、鰐革男に勝利した。鰐革、捨て台詞もなく消えた。
【ⅵ】
私の部屋からお送りする事の出來るあらましは、以上だ。私はこれから、カンテラとの約束(それは決して一方通行のものではないのだ)を守り、原稿料を稼がねばならない。谷澤景六としてのテオ、此井晩秋としてのじろさん、そして私・永田。カンテラ周囲の文壇(?)は、くすんだ色ながら、光彩を放つてゐる。斯くあれかし、と私は思ひ、この通信を終はりにしたい。
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〈そろそろだ狹山に新茶馨る頃 涙次〉
お仕舞ひ。次回から通常の三人稱記述に戻ります。お付き合ひ有難うございました。