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7.人類の黄昏

◆◆◆◆◆


「負けるわけにはいかねえんだ……。あんたらの侵略を阻止しないと、地球の未来が大変なことになっちまう」


 と、山県やまがたは言って、引き剥がすように見座みざ リツコの豊満な身体を押しのけた。

 右手に握りしめた拳を女の胸に当てていた。

 ゆっくりと抜いた。

 アウトドア用の折り畳みナイフは、血に染まっていた。


 妖艶バージョンの見座は、信じられないような顔つきで、自身の左胸を見た。

 白いTシャツについた血のにじみが、見る見る面積を広げていく。

 急所を突いたはずだった。さしもの花人間でも、首から下は人間だ。


 人体は物理法則、数理科学に従って動いている。心臓は拍動し、物理的な力学効果を発生させ、血液はというと、流体科学に則って流れているはずである。そこに損傷を与えれば、失血死は免れまい。

 すなわち殺害できる。

 もっとも、地球上の法則が通用するならではあるが――。 




 驚愕の表情を浮かべた見座が、突如、ガクガクと揺れはじめた。

 白眼をむいたまま口を開け、まるで頭部だけがバイブレーションをかけたかのように震え出す。

 顔じゅうから発汗していた。汗にしては粘液じみていた。それこそ大量の粘液を滂沱ぼうだと滴らせている。


 顔色が急速に変わった。

 どす黒い色になる。

 一面に稲妻のような毛細血管が浮き出た。


 とたんに、巨大な風船が破裂するような音とともに、肉片と血しぶきが放射状に飛び散った。

 見座の頭部は、無惨にも左右に割れた。

 ささくれた肉塊の中央に、つぼみ状の物体があった。

 蕾は紡錘形ぼうすいけいをしており、見るからに硬い殻に覆われている。


 その蕾までがびくびくと震え、大きく膨張した。

 と思ったら、殻が裂け、一気に黄色や赤、紫、水色など色とりどりの花弁が飛び出した。

 またたく間に花弁は上に向かって広げ、ぶわさっ(、、、、)とパラソルが開く音とともに、弾むように大きく開いた。


 まさに巨大な一輪の花。

 地球上のどの草花にも相当しない、世にも美しい花冠かかんの塊が現れたのだった。

 中央にひと際眼を引く堂々たるしべが屹立しており、まるで女王を護衛する騎士のように、いくつものしべが取り巻いていた。

 雌しべの先端に当たる柱頭ちゅうとうは、ぬらぬらと湿った色をたたえている。


 花人間は胸に血を染めたまま、山県につかみかかった。

 捕獲すると、その花冠に山県の上半身を放り込んだ。

 山県の悲鳴は聞くに堪えない。

 さながら食虫植物のように、花びらをバクバク言わせながら山県を頭から食らっていく……。


◆◆◆◆◆


 保阪ほさかは眼をました。

 すぐに夢を見ていたのかと思ったが、どうもそうではないらしい。

 赤すぎる夕日が、甘い考えを打ち消した。

 殴られた頭頂部がズキズキとうずく。


 地面を探り、メガネを見つけると、かけた。

 見座 リツコの写真集から彼女のプライベートに迫り、地球外からやってきた侵略者だと看破したのを憶えている。


 その矢先、何者かに背後から襲撃され、気を失っていたと思い出す。

 気づかれたのだ。正体を見破ったため、それを阻止しようと、奴ら(、、)が実力行使に出たにちがいあるまい。


 グズグズしている場合ではない。一刻も早くこのことを、政府に伝えなくては……。

 とりあえず今は無事だ。気配を殺して逃げるしかない。

 テントの入り口に立てかけたリュックサックを手にした。

 ハタと気づいた。

 隣には、別の誰かのリュックまで置かれているのだ。


「これは――誰のだ?」


 保阪は怪訝な顔で、見慣れぬリュックを見た。

 フロントポケットのストラップの金具に、ネームプレートが取り付けられていた。

 『山県 章夫』と書かれている。


「山県?」と、保阪は眉をひそめてつぶやいた。「山県って誰だよ。いったいなんで、僕のテントに――」


 かかずらっている時間すら惜しい。保阪は自身のを背負い、立ち上がった。

 タープの真下にはダッチオーブンやバーベキューコンロ、メスティン、片手鍋、クーラーボックスが雑然と置かれている。

 テント地のアウトドアチェアが二つあるのは、どういうことか?




 ――僕は単独でキャンプに来たはずだ。なら、これらの荷物は誰が運んだんだ? そもそも、こんなキャンプグッズを購入した憶えはない。椅子が二つ並んでるのが、いちばん引っかかる。まるで並んで、さっきまで誰かと会話してたみたいに……。


「それとも……。僕は、他人のキャンプで気を失ってたんじゃ?」保阪は違和感のさざ波に襲われるたび、あり得る限り、可能性を並べてみた。どんなに頭を働かせても、別の疑問がこみあげてくる。まるで靴の中の小石のように、気になって仕方がない。「今は考えるな。とにかく駐車場まで行こう」


 キャンプ場のずっと向こうにある駐車場までは、ざっと100メートル。

 そして、愛車に乗り込むのだ。

 奴らに見つからず車に乗ることができたら、こっちのもの……。

 キーは……と、保阪はジーンズのポケットをまさぐった。

 アパートの鍵しか出てこなかった。


 ない。

 どこをどう探しても、車の鍵が見つからない。

 保阪はそこで我に返り、眼を瞠った。

 それもそのはず、保阪は車の免許を持っていないからだ。営業課とちがい、経理課は電車通勤だったのだ。

 とすれば、どうやって東京から長野のオートキャンプ場に来た?


 片手を頭にやった。

 思い出せない。

 都内を発ったのは早朝の、まだ暗い時間だった。

 新幹線でやってきたのだったか? 一人キャンプをするのに、あれだけの荷物を総動員して? 多くの乗客は、さぞかし顔をしかめたことだろう。


 目眩めまいを憶えずにはいられない。

 波乗りしたみたいに足元が揺らぐ。どこから現実で、どこから夢なのか?

 一人キャンプをしていたつもりだったのに、さっきまでずっと誰かと会話していた気がするが……。


 それが誰だったか、思い出せない。その人物はどこへ行ったのか?

 第一、なぜインドア派の自分が、わざわざ戸隠くんだりまで足を運んだというのか。人はそんな気まぐれを起こすものだろうか。

 リュックを背負った保阪は、忍び足でキャンプ場を突っ切っている最中だった。


 思い思いの場所で焚き火をしたり、夕飯をとっていたはずのキャンパーたちが立ちあがり、こちらを見ていた。

 そこかしこで、直立不動のシルエット。

 木陰のせいで頭がかげっていた。

 保阪は、眼を凝らして彼らを見た。


 いずれも異様な頭部だった。

 キャンパーたちは、人間の頭をしていなかった。まるで花束をシャツの首に突っ込んだみたいに、誰もが大きな花を広げていた。


 もの言わず、たたずんでいた。

 無理もあるまい。花には声帯がないのだ。

 魅入られてしまい、眼を引き剥がしたくても逸らすことすらできない。

 花人間たちはいっせいに保阪のもとに歩いてくる。手を差しのべ、よたよたと、しかし確実に。


 ――さっき誰かと(、、、)しゃべった(、、、、、)花人間にちがいない。


 ――誰か? いったい誰と、そんな話をしたんだ、僕は?




 奴らはなにが目的かは、どうやらわからずじまいに終わりそうだ。

 侵略のやり方としては、まわりくどすぎた。どうせやるからには人口密集地でやれば、それこそ爆発的に被害を広げられるだろう。わざわざ長野のキャンプ場で、キャンパーに偽装して保阪のような人畜無害に手をかけるとは婉曲的えんきょくてきすぎる……。


 そこまで考えて思いついた。

 それとも都心は、今ごろすでに完全に奴らの手に落ちているとしたら?

 異性の性的魅力に訴えかける容姿にモデルチェンジし、接触する。ビーオーキッドのように擬態して。

 口づけだけで種を植え付け、かんたんに発芽させられるのだ。花人間に変態を遂げた者も、ゾンビのごとく増殖し、次々に人間を毒牙にかけていく。


 それこそオセロで、たった数個の黒石が、ゲーム後半で一気に形勢逆転し、盤上を黒一色に染めてしまうように、今ごろ東京は大変なことになっているのでは……。

 都心部がほぼ手中におさめられたから、次なるターゲットとして地方へ勢力を広げにきたのかもしれない。人口密集地に比べれば、消化試合みたいなものだろう。


 急速に夕日はかげりつつある。冷気が取り巻いていた。

 もしかしたらこの夕焼けは、そのまま人類の黄昏たそがれにつながるのかもしれない。

 じきに夜を迎える。奴らの時間がはじまるのだ――。

 擬態者の時間に。


◆◆◆◆◆


 暗くなった森の中で、5人の見座 リツコたちの声が聞こえた。花化はなかした妖艶バージョンは食事の最中だ。


「こやつら、よくぞ我らの秘密の計画を見抜いたものだな」


 と、年増な顔立ちと身体つきの見座 リツコが言った。

 その両側には、幼顔の見座、眼と眼に開きがある見座、どこか混血のような顔つきの見座、ややぽっちゃりした容姿の見座が佇んでいた。


「記憶にバグを起こさせても、ここまで食らいついたのだ。人間にしてはよくやった」


「メガネの若者は、なかなか見どころがある。だからこそ我らの下僕に加えてやる価値はあると思うの」


「勘は悪くなかった。ただし我らは、植物型ミュータントでも侵略エイリアンでもない」


「我らは――神だ」





        了




※参考文献


『脳はいいかげんにできている: その場しのぎの進化が生んだ人間らしさ』デイヴィッド・J.リンデン 夏目 大 (翻訳) 河出文庫

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― 新着の感想 ―
[一言] 続きが気になり一気読みしてしまいました。 それにしても怖い……(´;ω;`) 見座に引き寄せられた男たちの迎える結末がグロいですね。。。 保阪はなんとか無事に逃れられるのでしょうか。 ドキド…
[良い点] はじめまして。 企画から参りました。 真相はどういうことかと、一気に読みました。 最後の1行。 まったく予想だにしませんでした。 おもしろかったですよ。
[良い点] 企画参加ありがとうございます! どんどんと侵略されていく人間たち。ゾッとするパニックものでした! 面白かったです。
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