2.カメレオンみたいに色を変化
「なんだそりゃ! 悩んでたってのは、そんなことかい。てっきり、仕事のことで重大なミスでもやらかしたか、不正に手を染めてるのかと勘ぐってたのに」何をか言わんやとばかりに、山県は頭の先から素っ頓狂な声をあげた。カリカリに焼けたカルビと椎茸を同僚の紙皿に入れてやる。「わかるわかる。おれだってグラドルの本を何冊か持ってたんで、わかるよ、感覚的に」
「別人のようにがか? こんなことってよくあるか?」
保阪はメガネの位置を直し、マグカップに注いだビールに口をつけた。山県の方に身を乗り出す。
山県はタマネギとソーセージを一緒に食べた。旺盛な食欲を示す。
「けどさ、写真って昼か夜か、屋外か室内か、ロケーションにもよるだろ。ポートレートは逆光が基本だと聞いたことがある。浜辺での撮影だと太陽の照り返しで、被写体は眩しそうな顔をしてるもんだ。アップだと、クマや瞼の腫れぼったさ、目尻の小じわの有無、眼球の充血などのマイナス要素まで、はっきり写り込んでしまう。今日び、いくらでも修正が利くとはいえな。たしか見座 リツコは33歳ぐらいだったろ」
「今の33歳は、全然若いよ。28の僕が言うのもおっさん臭いけど」
「なんたって、女は化粧次第さ。一重の瞼もまつ毛をつけ、二重に代えりゃ、まったくの別人にもなる。濃いメイクをしてるか、そうじゃないかでもガラッと変化するだろ」
「そのぐらい、君に突っ込まれなくったって、わかるさ!」と、保阪はカルビを噛みながら声を荒らげた。箸を相手に突きつける。「僕が言いたいのはな、顔の造りとボディーラインそのものだ。ページによって別人みたいに違いが見られるのはどういうわけか。眼と眼の間に開きがあったり、鼻の高さの微妙に異なる写真までまぎれてる。唇だって、本来なら普通のサイズのはずなのに、やたらと厚ぼったいときさえある。そもそも背丈が小さいときもあれば、手足が長く、やけに妖艶に見える理由を知りたいんだ。メイクでどうにかできるレベルじゃない。こんなに見座 リツコに見えない写真集は、他でお目にかかれないんだよ!」
「だったら答えはかんたん。整形してるだけだ」
「たしかに、鼻はそうだろうが――」
急に保阪は前のめりに身を乗り出し、心ここにあらずの顔つきで顎をゆっくり撫でた。
まばたきもせず、焚き火の炎を見つめた。
「……考えてみりゃ、見座 リツコの元の姿形をよく知らない。記憶が一定していないのはなんでだ? 彼女の代表作、『傷痕』、『女の敵は女!』、『遥かなる憧憬』、『虹という漢字はなぜ虫偏なのか』、『ダウジングの人』、『さよならギフテッド』……。そういや、どれもみんな、微妙に違って見えたな」
「落ち着けったら。その映画って、見座が何年にもわたって出演した映画だろ。彼女だって年食うんだし、今言ったように美容整形で、ちょっとずつアップデートしてるのかもしれん。今日び、エイジングケア治療だって、男優やアーティストだってやってる。めずらしくもなんともない。メイクだけじゃない。髪型で、ガラリと違って見える。それだけの話さ」
「身体つきが幼い小柄なときと、やけに大きくって淫らに見えるのは説明になってないぞ!」
「水着次第で見え方が変わってくるもんだろ。水着だけじゃない。カジュアルな恰好か、シックなドレスでも、別人みたいに変化するだろうよ。そのうえで、メイクも相乗効果を出す。とにかく――女は化けるものなの!」
「鼻梁にシリコン入れてるのはわかるとして、どうして眼と眼の間に開きがある写真に見えるんだ。そんな整形をする必要はないし、そもそもできないだろ」
「問題の写真を見ないことにはなんとも言えん。アップのとき、下から煽った広角レンズのアングルでそう見えるのかも……。知らねえよ、しょせんおれは素人なんだし!」と、山県は身体を反らしながら気色ばんだ。「なんにしたってさ。だからこそ、女優なんだろ。ましてや去年だっけ。なんちゃらっていうタイトルの映画で、最優秀女優賞を取っただけあるってことじゃないの」
昨年公開された邦画『さよならギフテッド』は、低予算ながらベネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞に輝き、主演をつとめた見座 リツコはボルピ杯と呼ばれる最優秀女優賞を手にしたのだった。映画の作中ですら、貞淑な教育ママと奔放なキャバクラ譲を見事に演じ分け、審査員から絶賛の拍手を浴びたのだった。
「女優だから、世界で認められた演技派だからって、複数の人間に写し分けができるってか?」
「あるいはこうかもしれん。――実は見座 リツコ単体の写真集ではなく、別の誰かと一緒に撮った本じゃないのか? 例えば、ほら、新作映画の番宣をかねたタイアップ的な本とか……。大抵、表紙の帯に書かれてたはずだ」
「なわけない! 僕は見座のコアなファンだ。写真集が発売されるにあたって、前もって情報を仕入れていた。どこにもそんな企画だと書かれていなかった!」と、保阪はカルビを頬張ったまま、自信たっぷりに反論した。「例えそうだとしても、どれもが見座 リツコ本人だと保証できるよ。水着姿になったときや、露出度の高い衣装姿のとき、右の首筋のココと肩、腋の下に特徴的なホクロがあるのを知ってる。そのホクロの位置で、まちがいなく見座だとわかる!」
「おいおい……。女の子が聞いたら、ドン引きするぞ。――まあ、ホクロはよほどおかしな位置にない限り、除去手術はしないからな。ひとつの目安だわな」
「やたらと色っぽく見えたのは、そのときに恋愛してたのかもしれない……。写真集って、ごく短期間で撮るのもあれば、長期にわたってロケ地を変えてやる場合だってあるだろ。となると、私生活でもいろいろあったろうし。けど、君も知ってるだろ。見座は恋多き女で通ってたから。ほとんどフリーの時期なんてなかったんじゃないか」
「4、5年前だったか、魔性の女って言われてたよな。どうりで、世間一般の女の受けは悪かった」と、山県は言ってから缶ビールを飲み干した。ゲップを洩らす。それにしてもあけすけな会話だった。「それとも、あれかもな。顔の造りに変化があったのは、整形の使用前と使用後が混じってるのかもしれん。本にするにあたり、出版社側も『これはちょっと、マズいんじゃないか』と気づくべきだろうけどな。……それで思い出した。フォトショップだよ。写真の補正。美肌に加工できるどころか、顔の大きさまで小さくしたり、脚を長く見せることも可能だ。そうにちがいない」
「フォトショぐらい知ってるって! 仮にそうだとしても、原型がなくなるほど修正するのは、プロとしてあるまじき行為だろ!」
「なんにせよだ。一人の女性がいくつもの顔を見せる。カメレオンみたいに色を変化させられる。それも才能だって。退屈しなくてすむ。そう解釈すればいいんじゃないの?」
ほぼ山県がバーベキューを独り占めしていた。自身で野菜と肉を焼いては堪能する。
新たな缶ビールのタブを開け、流し込んだ。
保阪は、ますます頭を抱えるようになった。